鋼の錬金術師もついに完結いたしました。
本当はネタバレ感想を書こうとしていたのだけれど、長文まっしぐらだったので、その中の独立性のある一部で記事にしてしまおう、しかもあんまり他の人が書かなさそうなものを・・・というのが、これです。
どんだけ鋼が王道なのか、ということを考えてみました。
■どんだけ鋼が王道なのか
ジョセフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』という世界の神話における物語のパターンを研究する本がある。(『キャラクター小説の作り方』大塚英志、にも書いてあったと思うが)そしてセイゴーから引用する(^^;)
物語のメインプロットとしての(1)「セパレーション」(分離・旅立ち)→(2)「イニシエーション」(通過儀礼)→(3)「リターン」(帰還)については、いっぱい詰め込まれているので言及するまでもない。いくつかの母型(パターン)について、ざっと考えてみる。
>「眠り(闇)」と「覚醒(光)」の絶えざる循環という母型
セリムが生き残ったことで、ホムンクルスという闇が循環している。またエドとアルは旅に出る。
>「実界(此岸・現世)」と「異界(彼岸・浄土)」の境界を告知しつづける母型
真理の扉。
>「父(隠れた力)」と「子(試される力)」の関係の不確定をめぐる母型
ホーエンハイムとエド
>「個体(ミクロコスモス・部分・失われたもの・欠けたもの)」と「宇宙(マクロコスモス・全体・回復したもの・満ちたもの)」との対立と融和と補完をめぐる母型
エドとアルの体と魂。父の不在→母の死→再生失敗→父の帰還→父を超越→母の死の受け入れ。
また『物語工学入門』新城カズマで言うところの、キャラクターパターンは全部網羅される。
>さまよえる跛行人
エド(リン)
>塔の中の姫君
アル
>二つの顔を持つ男
セリム、大総統、スカー
>武装戦闘美女
メイ、ランファン、リザなど
>時空を越える恋人たち
ホーエンハイムとトリシャ
>あぶない賢者
お父様
>造物主を亡ぼすもの
グリード
突っ込みどころは満載な感じのこと書いてスマンね。ぱっと考えてもこれだけ出てきて、たぶんもっと重層構造になってるのが鋼。
さらに言うならば、折口信夫の貴種流離譚の贖罪型/不遇闊達型もあるしねぇ。リンやメイはそのまんまだし、ホーエンハイム、エド、アルも該当している。
個人的には、2つの面から父と母を巡るビルドゥングス・ロマンだと思っている。
母の死からスタートするエドの回復の旅は、エドが父を受け入れて超越したことで終わる。(ついでに弟と肉体を取り戻した。)
その裏側で、エドと同様に母は不在なものの、全能的能力を持ったホムンクルスは、悪の面をすべて奪われ、母を求めて母に受け入れられて終わる。(セリムが胎児になって、ママと呼ぶところ)
エンドとして、アルは全身戻ってきて、エドは手だけ取り戻すっていうのは予想通りだった。
ユリイカなんかで荒川さんが言っていた「人の死は簡単に感情を動かせるけれども、生かすことでもっと凄い感動を与えられるかもしれない」というのが、最後のセリムに来てるのかなぁと思った。
セリムのエンドによって、父側と母側がそれぞれ捩れてウロボロスのように循環を閉じたように見える。その構造は美しいなと思う。(個人的には、読んでいてそんなに盛り上がらなかったけれど・・・。私ロイファンだから)
ウロボロスのような構造は他にも意識されていて、最後の写真のエドとウィンリィが、ホーエンハイムとトリシャと同じ構図だったり、「格の違いを見せ付けてやる」ってエドのセリフが前半と後半に出てきたり、女を置いて旅立つ男(ホーエンハイムとエド)だったり、神視点の独白が入るのは冒頭とエンドだけだったり。よく構築されてますよ。ほんとに、お疲れ様でした。
本当はネタバレ感想を書こうとしていたのだけれど、長文まっしぐらだったので、その中の独立性のある一部で記事にしてしまおう、しかもあんまり他の人が書かなさそうなものを・・・というのが、これです。
どんだけ鋼が王道なのか、ということを考えてみました。
■どんだけ鋼が王道なのか
ジョセフ・キャンベルの『千の顔をもつ英雄』という世界の神話における物語のパターンを研究する本がある。(『キャラクター小説の作り方』大塚英志、にも書いてあったと思うが)そしてセイゴーから引用する(^^;)
物語のメインプロットとしての(1)「セパレーション」(分離・旅立ち)→(2)「イニシエーション」(通過儀礼)→(3)「リターン」(帰還)については、いっぱい詰め込まれているので言及するまでもない。いくつかの母型(パターン)について、ざっと考えてみる。
>「眠り(闇)」と「覚醒(光)」の絶えざる循環という母型
セリムが生き残ったことで、ホムンクルスという闇が循環している。またエドとアルは旅に出る。
>「実界(此岸・現世)」と「異界(彼岸・浄土)」の境界を告知しつづける母型
真理の扉。
>「父(隠れた力)」と「子(試される力)」の関係の不確定をめぐる母型
ホーエンハイムとエド
>「個体(ミクロコスモス・部分・失われたもの・欠けたもの)」と「宇宙(マクロコスモス・全体・回復したもの・満ちたもの)」との対立と融和と補完をめぐる母型
エドとアルの体と魂。父の不在→母の死→再生失敗→父の帰還→父を超越→母の死の受け入れ。
また『物語工学入門』新城カズマで言うところの、キャラクターパターンは全部網羅される。
>さまよえる跛行人
エド(リン)
>塔の中の姫君
アル
>二つの顔を持つ男
セリム、大総統、スカー
>武装戦闘美女
メイ、ランファン、リザなど
>時空を越える恋人たち
ホーエンハイムとトリシャ
>あぶない賢者
お父様
>造物主を亡ぼすもの
グリード
突っ込みどころは満載な感じのこと書いてスマンね。ぱっと考えてもこれだけ出てきて、たぶんもっと重層構造になってるのが鋼。
さらに言うならば、折口信夫の貴種流離譚の贖罪型/不遇闊達型もあるしねぇ。リンやメイはそのまんまだし、ホーエンハイム、エド、アルも該当している。
個人的には、2つの面から父と母を巡るビルドゥングス・ロマンだと思っている。
母の死からスタートするエドの回復の旅は、エドが父を受け入れて超越したことで終わる。(ついでに弟と肉体を取り戻した。)
その裏側で、エドと同様に母は不在なものの、全能的能力を持ったホムンクルスは、悪の面をすべて奪われ、母を求めて母に受け入れられて終わる。(セリムが胎児になって、ママと呼ぶところ)
エンドとして、アルは全身戻ってきて、エドは手だけ取り戻すっていうのは予想通りだった。
ユリイカなんかで荒川さんが言っていた「人の死は簡単に感情を動かせるけれども、生かすことでもっと凄い感動を与えられるかもしれない」というのが、最後のセリムに来てるのかなぁと思った。
セリムのエンドによって、父側と母側がそれぞれ捩れてウロボロスのように循環を閉じたように見える。その構造は美しいなと思う。(個人的には、読んでいてそんなに盛り上がらなかったけれど・・・。私ロイファンだから)
ウロボロスのような構造は他にも意識されていて、最後の写真のエドとウィンリィが、ホーエンハイムとトリシャと同じ構図だったり、「格の違いを見せ付けてやる」ってエドのセリフが前半と後半に出てきたり、女を置いて旅立つ男(ホーエンハイムとエド)だったり、神視点の独白が入るのは冒頭とエンドだけだったり。よく構築されてますよ。ほんとに、お疲れ様でした。
等価交換なんて、子供騙しのインチキだ。
函館本線ではよ帰れ
コメントを下さりありがとうございます!
こんな内容の記事を書いたことなど
すっかり忘れておりました(笑)
当時の勢いに任せたテンションを想像して苦笑しております。
実写劇場版のお蔭で原作の鋼の錬金術師も
色々な方の目に触れる機会を得ましたね。
錬金術は実在しないので
インチキといえばインチキですね!
函館線ではよ帰れというのは
どなたに向けたメッセージなのでしょう?
荒川先生のご実家は函館線ではたどり着きませんよ~。