「その土曜日、7時58分」 (2007年・アメリカ/イギリス)
こんなによく練られた力作を、この邦題で、しかも単館上映するとは驚いた。シドニー・ルメット監督84歳の久々の快作は、崩壊する家族の真実をじわじわとあぶり出す硬質な犯罪/心理サスペンスだ。原題は「Before the Devil Knows You're Dead」。脚本のケリー・マスターソンがアイルランドの慣用句「May you be in heaven half an hour before the Devil knows you're dead」(悪魔がおまえの死に気づく30分前に天国に行けますように)から付けたのは、救いのない犯罪に手を染める兄弟の末路を暗示した意味深なタイトル。目ざとい悪魔がいたせいか、家族のだれひとり天国へ行きつけない。その絶望感はまさに地獄だ。
事件は土曜日の朝、ニューヨーク郊外の小さな宝石店で起きた。開店の準備中だった店内に男が押し入り、店員の老女を銃で脅しながら宝石を袋に詰めはじめる。展示ケースを開けるのに手間取った男の隙をついて、老女は店の銃を発砲。しかし男も撃ち返して二人は床に倒れる。さらに間をおいて鋭い一発の銃声が響き、男はガラス戸を突き破って倒れこんだ。店の外に車を停めていた共犯の男は事態に驚き、あわてて車を発進させる。その男、ハンク・ハンソン(イーサン・ホーク)の狼狽ぶりは普通ではなかった・・・・・・。ここから映画はカットバックを多用しながら、強盗事件の背景とその真相に迫っていく。
個々のドラマを複数の視点から繰り返し描写して、緊迫の一瞬にいたる背景に迫った作品といえば、「バンテージ・ポイント」が記憶に新しい。本作の場合は、主要人物の心理的葛藤を浮き彫りにするために、時制の解体(カットバック)が効果的に使われている。両親の宝石店を襲うという無謀な計画に手を染めるハンクと兄アンディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)。二人がそこにいたった経緯をそれぞれの立場から紐解くように描くくだりは、まるでミステリー小説を読むような緊迫感をかもし出す。しだいに明らかになる彼らの窮状と犯した過ちには、もう目を覆うばかりだ。ハンクは離婚した妻から養育費の支払いを催促されているが、停職にも就かずに兄嫁と深い仲になっている。羽振りのいいはずの会計士のアンディは、会社の金を横領してドラッグを常用する毎日。そこへ国税局の査察が入るという事態に、とっさの金策を思いつく。勝手知ったる宝石店を襲ってひと山儲けよう。店には保険が下りるから実害はないと、弱気な弟を納得させる。かくして計画は実行された。しかし事態は思わぬ方向へ展開する。まるで坂道を転げ落ちるように人生を踏み誤る二人の兄弟に、カメラはどこまでも冷徹な視線を向ける。
後半からは兄弟の父親、チャールズ(アルバート・フィニー)の視点が加わって、物語はさらに緊張の度合いを深めていく。アンディは言う。「会社の経理は金額を合計すれば答えは出る。でも俺の人生はパーツをつなぎ合わせても一つにはならない。バラバラのままなんだ」(←だいたいこんな感じだったかと・・・)。アンディのこのセリフの意味を、観客はやがて父親との確執の中に見出す。赤ん坊のように甘やかされたハンクと父親に愛されなかったアンディ。成人してもなお人生の選択を誤る未熟な心が引き起こした悲劇は、父親チャールズを救いのない行動へと駆り立てる。まさに暗澹たるラスト。「カポーティ」でアカデミー賞主演男優賞を受賞したホフマンは、今回も冴えわたった演技で魅せる。イーサン・ホークの狼狽ぶりもいい。しかし個人的に最も異彩を放っていると感じたのは、父親チャールズを演じたアルバート・フィニー。温和なはずの老人の中に憎悪の炎が燃え上がったとき、そこにはたしかに地獄が見えた。
関東地区での上映は、いまのところ恵比寿ガーデンシネマ1館のみ。10月18日からは名古屋市のゴールド劇場でも公開される。
満足度:★★★★★★★★☆☆
<作品情報>
監督:シドニー・ルメット
脚本:ケリー・マスターソン
製作:ウィリアム・S・ギルモア
音楽:カーター・バーウェル
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン/イーサン・ホーク/マリサ・トメイ
アルバート・フィニー/ローズマリー・ハリス
<参考URL>
■映画公式サイト 「その土曜日、7時58分」
■DVD情報(北米版) 「Before the Devil Knows You're Dead」
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努力・能力、親を思う心や行動を遥かに、軽々と凌いでしまう「美」の魔力。
子供心に鋭く突き刺さった劣等感は、努力で変える事が出来ないものであるがゆえに、その人格形成に次第に深く重く関わって行く。
輝くばかりに美しかった「トム・ジョーンズの華麗な冒険」のアルバート・フィニー。皮肉にもこの父親役とは…。最近の彼の活躍ぶりは嬉しいけれど怖い父でした!
常に比較・対照される姉妹・兄弟。
他者のそれより遥かに辛い肉親からの言われなき差別。努力・能力、思い・行動を、遥かに軽々と凌いでしまう「外見的美」という魔力。子供自身の力ではどうにもならぬこの「差」で生涯に亘る「人格」が形成されてしまう事さえ…。そして差別した父親に下りる鉄槌とは。
「トム・ジョーンズの華麗な冒険」で輝くばかりに美しかったアルバート・フィニーがこの怖い父親役とは…ウーム。
好みの映画が似ているとのお話、うれしく拝読しました。
この作品は何とも言えない後味を残す映画でしたね。
さりげなく描かれる二人の兄弟の確執。
その背景にある子ども時代のできごとは劇中ではさらりと描かれていますが、
実は二人の人生を左右する重要な布石になっている。
そのことに気づいたとき、この映画の恐ろしさを
ひしひしと感じました。
カインとアベルの例を挙げるまでもなく、こういう関係の兄弟姉妹は
たぶん多少の差はあれ、世界のどこにでもいると思います。
奥の深い映画だったと改めて思います。
「トム・ジョーンズの華麗な冒険」はあいにく未見ですが、1963年の作品なんですね。
若きアルバート・フィニーは本作からは想像もつきませんが、
最近では「エリン・ブロコビッチ」の名脇役ぶりが印象に残っています。