Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

今年も新人賞に応募しました。

2017-04-24 18:54:48 | days
本日、郵便局にいってきました!

完成した短編小説を二篇、
文藝春秋『第97回オール讀物新人賞』に応募するためです。

昨日の段階で、短いほうの短編の最終チェックを終えていて、
今日は、応募券目当てで注文した『オール讀物5月号』の到着をまちつつ、
各短編の表紙をつくっていました。

えーと、
正月前後に書いた長いほうの短編は91枚になりました。
ひとりの男の「再生」がテーマになっているかな。
3月末からひと月近くかけて書いた短いほうの短編は58枚。
こちらは子どもの世界の話で、
「さびしさとその対極のものの根源的なところ」がテーマになっているかなあ。
もともとぼく自身の子ども時代にあった小さな出来事を種にしていて、
そこから新たな物語が生まれた感じです。

前回の『微笑みのプレリュード』は、
章ごとに主人公が交互にいれかわる構成でした。
力量がいるといわれる、グランドホテル方式のプチ版です。
それが、『新人賞』の歯牙にもかけられなかったですからねえ。
今回は二作とも、その点では王道の構成です。
主人公がひとりで、だいたいひとつの章でひとつの作品たりえている形式の
短編としてできあがっています。
だから、ひとつの作品を章に小さくわっていると、
起承転結の「起」や「転」が多くなるように思うのですけれども、
今回はどしっとだいたいはひとつながりで語られるので、
「承」で語っている部分が大きいかもしれないです。
それでいて、前作や前々作の『虹かける』よりも説明的な部分は少ないというか、
ほぼ流れの中で語ることができています。
そして、哲学的な思想を語るところが無く、
物語全体でなにかを語る体裁になっています。
それは、大衆文学を意識してのことですね。
でもって、そういうふうに書けたのが、今回の成長分です。

まあ、なにはともあれ、
どう読まれるかです。
まずは、相性のいいひとに読まれてほしい……。



いざ、賽は投げられた。
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『スノーグース』

2017-04-23 23:50:09 | 読書。
読書。
『スノーグース』 ポール・ギャリコ 矢川澄子 訳
を読んだ。

ニューヨーク生まれで世界を旅した作家、
ポール・ギャリコの三つの短編を収録した本。

このなかでは表題作の「スノーグース」が
やっぱりいちばんかなという感想ですが、
あとのふたつ、「小さな奇蹟」「ルドミーラ」もよくないわけじゃない。
しかし、三つともそうではあるのだけれど、
あとのふたつのほうが、キリスト教的な色彩が濃いです。
もう、キリスト教は土着の宗教だ、
といってしまいたいくらい、生活の土台にキリスト教があって、
その価値観のうえで成り立つ短編でした。
「スノーグース」のほうが古い作品なのに、
まだ現代的でした。

三作品に共通しているのは、
報われないものを描いていること。
そして、報われないながらも、
その主人公たちの気持ちや心構えが清いがために、
彼らを主軸とする物語がうつくしい。
さらに、奇跡というスパイスを作者がふりかけて、
なにか、聖なるものごとへと物語を昇華させているふうでもあります。

日本人からすると、
キリスト教的すぎてうけつけない、
と毛嫌いしてしまう心象を持ったとしてもおかしくないかなあと思いました。
まあ、そうであっても、「聖性」というんですかね、
そういったものは、宗教の垣根を超えて、
読む者のこころにひしひしと伝わってくるのではないでしょうか。


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『話すチカラをつくる本』

2017-04-20 00:00:01 | 読書。
読書。
『話すチカラをつくる本』 山田ズーニー
を読んだ。

コミュニケーションについての基礎を教えてくれる本です。
例文は社会人を例にしたものを使っていますが、
中学生や高校生でも参考になるでしょう。

まずは、正論について。
<相手は、正しいことだからこそ傷つき、
でも正しいから拒否もできず、
かといってすぐに自分を変えることもできず、
「わかっているのにどうして自分は変われないんだ」と
苦しむことにもなりかねません。正論は、相手を支配します>
金言ですねえ!
よかれと思って正しさに寄って立ってものを言うことで、
思いもせずにそのひとを苦しめてしまう。
長くコミュニケーションについて考えてこられたからこそ、
気づかれたことなんだろうと思いました。
コミュニケーションって繊細な部分があるから難しいと思っちゃいますが、
その繊細さって、たとえばこういう「正論」の部分にあったりします。

また、
考えるとはどういうことか?それは問いを重ねることだ------
なるほど、たしかにそうだなあと
日頃、読書から問いや答えのヒントをもらっているもんだから、腑に落ちました。
細かい問いを見つけていって、
答えを出す段になるとリスクマネジメントが必要になったりしますよねえ。
ゼロリスクの問題については、
またそのうち違う本を読んで考えたいです。

「嘘は人を動かさない」
→個人的な話ですが、フィクションでひとを動かすには、
書いたフィクションに嘘がないことが大切になるってことですね。
フィクションって、表面は嘘でも、
中身は作者の根本思想と直結してこそのものだってことになります。
人間力、なんていう言い方もありますけども、
小説を書くにしてもそのひとの中身が反映されるものであって、
いろいろ考えて素直に光の射す方を向いていないと
ひとを動かすことはできないんでしょうね。
人間の地のぶぶんがでるものなんだってことですよ。

コミュニケーション、とくに信頼を築くことにおいては、
陰と陽のやり方があると本書を読みながら考えました。
本書のような、
意見と論拠をはっきりさせるだとか、
目指す結果を考えるだとか、
論点を意識するだとかのコミュニケーションの方法は、陽だと思う。
コミュニケーションで信頼を築く陰の方法は、
前にも言ったことがあるけれど、
目的的じゃないコミュニケーション。
カポーティの言葉を借りれば、
話の内容なんてものはさして重要じゃないんです、
信頼を持って話し、共感をもって聴く、そこに大事なものはあるんです、
というようなことになる。

と、まあ、そういうわけで。
30分で読めると謳われている分量なのですが、
ぼくはいろいろ自分や他人やあれこれに当てはめて読んだので、
1時間を超えました。
それでも、122頁だったかな、そのくらいですから、
一夜漬けもできる本です。
よかったですよー。


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『完璧な家』

2017-04-19 01:39:10 | 読書。
読書。
『完璧な家』 B・A・パリス 富永和子 訳
を読んだ。

全英100万部のベストセラーを記録し、
英国アマゾンレビューが6900を超えた(評価4.2だそうです)という
サイコ・サスペンスです。

ぼくはサスペンスってほとんど読まないし、
サイコ・サスペンスなんてなおさらなんだけれど、
そういう映画は多少見ているんですよ。
『ゴーン・ガール』なんかも面白かったですしね。
サスペンスは、読むより映画で見る派だったんですが、
本作を読んで、読むのも面白いものだなと思いはじめています。

たいてい、酷い目にあう主人公は頭が悪くて墓穴を掘ったり、
それくらいわかるだろってところで鑑賞者をやきもきさせます。
ある意味ドリフターズのコントでの「志村!後ろ!後ろ!」の世界。
『完璧な家』は、敵役の頭のよさでもって支配されてしまう主人公なんだけれど、
いろいろ考えて試すことに対しては、失敗ばかりになりながらも、
まあそれくらい抗うよなあという現実味は持っている。
等身大の知能なんですよね。

だからまあ、ふだん読まないサスペンスを読んで、
中盤までは、エンタメに特化した小説だし、
映画化も計算に入っている感じだし、
ジョージ・クルーニーのあて書きだろうなんて思っちゃうんだけど、
そのプロット、構築をきっちりと(当たり前だけど)
頭を使ってやってるから読ませるんだよね。

ネタバレになっちゃう感じだから、
ここ以下は読まないほうがいいかもしれないですが、
最後には、ぼくもあの部屋はどうするつもりかって考えながら読んでたんです。
でも、うまく処理したし、
ラストの数行で読後感が変わったと思った。
おもしろかったですねえ。

ただやっぱり、敵役がボロだしたところがあって、
それは直接の結末までの筋には関係がないんだけれども、
あの読後感にするためのカギでしたね。
好きな読後感でした。

ハーパーコリンズ・ ジャパン
発売日 : 2017-03-17

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良貨であれ!

2017-04-17 15:54:44 | 考えの切れ端
悪貨は良貨を駆逐する。
検索すると、
「悪がはびこると善が滅びるというたとえにも使われる言葉」
と出てきます。

だから、しょうがないけど負けたくないから悪貨になってしまおうかなあ、
と実際にそうなるか否かを若い頃って考えてしまうことがある。
ひとによっては、悪貨になるのが「現実的」に思えるのですが、
それってたいてい、理想を持っていないし場当たり的。
他者を幸せにしようという気持ちを最初から放棄してますし。

正しさ自体、疑ってかからないと危ないものだと言われるし、
ほんとうにそうなんだと思うのだけれど、
大多数の正しさと比較的少ない人にしか適用されない正しさがあり、
後者は悪と呼ばれることが多い。
でも、大多数の正しさ同士でも衝突するし、
突き詰めると人類の正しさなんて所詮すべて悪だ、
みたいなことにもなり得ると思うんです。

正しさを妄信しない態度でもって、良貨になれればいいし、
実際それを良貨と呼ぶのでしょう。
でも、良貨になるんだっていう道は悪貨になる道より
ずうっと険しいわけですな。
もう大変なんだから。
たとえば、蔑視だとか優越だとか、
生きづらさをつくる心理っていろいろあるけれど、
それらは本人が自覚できない潜在的な意識から
生まれているっていうんですよね。
そのようなことを知ろうとしたり、
アタマをバージョンアップしていく行為を放棄しない態度は、
良貨になるには必要なのだと思います。
悪貨になるには我慢をよせばいいみたいなところがある。
でも、悪貨になれば心が痛んだりはするんだよね。

親鸞の悪人正機を解説する話のなかで、
悪人は犯した罪を悔いて毎日祈るようになる、というのがあったと思う。
そのへんの苦しみは計り知れないでしょう。
そして、そこからわかるのは、
ひとって自分が悪だという意識に耐えられないんだということです。
どんなことにも例外はあるとしてもね。
ゆえに良貨を目指した方がよい。

まあ、現実的に、ぼくは100%良貨的人間です、なんてならずに、
良貨であり悪貨であり、という要素がまぜこぜになりますよね。
そういうものだと思っています。
でも、自分に悪貨の要素があっても、
「悪貨でいいんだ」と開き直るべきではないんじゃないかなあ。
良貨を目指すのは苦しいけれど、
苦しみを知ることで、逆に幸せを知ることができるものなんだ、と
ぼくはそう信じているし、ちょっとした実感すらもっています。

踏みだす勇気はいるけれど、
良貨をめざすひとが多いといいなあ。
そこらへんの、気概、ってあるじゃないですか。
そんな、気概もすばらしい。
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