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日本と泰国の環濠集落・#8<最終回>

2017-02-09 08:17:18 | 古代と中世
<続き>

ドバラバティーの時代よりやや遅れた7世紀半ばに建国されたとするハリプンチャイ王国の王都、ランプーンの環濠都市(集落)を紹介する。

7世紀半ばには北タイにもモン族国家・ハリプンチャイ朝が成立したことにより、モン族による環濠集落が現れた。その形は楕円形でドヴァラバティー時代の環濠集落と同じである。このチェンマイ盆地にもモン族が先住していたことに注目したい。

この北タイや中部タイにタイ族が南下・西南下し、拠点を設けることになった。それらの都城は、いままで見てきたように環濠を備えているものの、自然の地形を用いた楕円形ではなく方形に変化する。これは先述しているが「アルタシャーストラ」の都城建設思想をそのまま反映した環濠都市であった。
メンライ王は1296年、チェンマイに遷都した。チェンマイ都城の築城にインド思想の影響を受けたことが伺われるが、直接摂取したものか先住民経由なのかは不明である。タイ族が南下・西南下したことにより、人口増加したのであろう、ハリプンチャイのランプーン環濠集落より、はるかに規模の大きいものとなっている。
チェンマイ都城は1辺約1.6kmの正方形に近いが、スコータイは長辺1.8km短辺1.4kmの長方形である。
スコータイもチェンマイも東西配置で城壁内の各寺院も東向きとなっている。これは中国の南北軸配置を異なる。
シーサッチャナーライやスコータイ陶、更には北タイ陶磁に中国の影響が現れていると多くの識者は指摘する。その指摘は外れているとは云わないが、類似性からくる一面的な指摘である。その指摘とともに西方との類似性も見てとれる。都城建設の基本思想は中国ではなく、インドにあることを忘れてはならない。次回より北タイ陶磁の源流考に戻りたい。

                                   <了>

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