経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

紙幣の発明、簡単な経済学

2015-10-05 02:20:55 | Weblog
      紙幣の発明、簡単な経済学
 昔々貨幣は金銀銅などの金属でできていた。金属貨幣の発明は人間の歴史にとって画期的事件だが、なぜ貨幣が発明されたのかは太古の神秘に隠されて詳細は解らない。ここでは紙の貨幣つまり紙幣の発明に関して考察する。
 商取引は初め物々交換、そして次には物の代理である金属貨幣による媒介でもって行われた。近距離の小規模な取引ならともかく遠距離で大規模な取引となると金属貨幣の持ち運びは面倒で費用がかかり加えて危険(注1)だ。そこで人類は手形というものを考案した。信用経済の始まりだ。いくらいくらの貨幣を一定の時期に支払いますという債務証書だ。これなら商売ごとに貨幣を支払わなくて済む。金属貨幣をまとめて大量に護衛をつけて運搬すれば済むのだから。
 次なる発展は手形の交換だ。手形交換所ができる。商人たちは売買する。手形を切る、手形をもらう。一個人ならともかく商人の集団になれば当然債務と債権は混在する。これを交換所で清算すれば多くの場合プラマイゼロに近くなる。実際の貨幣は動かさずに売買が成立する。手形交換所は同時に手形に伴う利子取得を目的として手形を割り引きする業務をも兼ね出す。手形は債務(裏面から見れば債権)だから利子が付く。早く貨幣がほしい商人は手形を交換所で買ってもらう。利子の一部は割り引かれる期間に応じて交換所の取り分となる。こうして銀行の原型ができた。
 ここで金融機構はもう一回転する。手形交換所は自ら債務証書を発行するようになる。いくらいくらの貨幣を貸してください、一定の時期に支払いますからと銀行が利用者に頼む。銀行の信用を背景として依頼する。信用が確立すればこの債務証書はいつでも換金可能なのだから、無限期間通用流通することになる。無限期間通用するということは危険率(支払い不能率)ゼロということだから利子はいらない。これが紙幣(注2)だ。銀行紙幣は債務証書であることに注目してほしい。借金が価値になるのだ。蒸気機関の発明に等しい偉大な発見だ。この発見がなければ蒸気機関発明の意義は皆無であったろう。というより蒸気機関の発明自体がなかっただろう。
 銀行の起源は手形交換所だけではない。金銀は装飾品の材料にもなる。金銀細工の専門家を金匠という。金匠は顧客から金銀を預かる。長年の経験からある事実に気づく。預かった金銀の一定量は常に金匠の金庫にあることに気づく。この滞留する金銀を放置するいわれはない。貸し出して利子をとる。こういう銀行の原型を金匠銀行という。金匠銀行は現在ないが彼らの経験から金融機構において非常に重要な事実が浮上する。初期の紙幣はすべて金本位制(あるいは銀本位制)だから銀行はいつでも紙幣を金銀に換える義務がある。しかし金匠銀行の経験を参考にすれば、銀行は必ずしも発行した紙幣と同額の金銀を保管しておく必要はない。その一部、数%を保管しておけば間に合う。こうして貨幣流通量は金属貨幣時代の数十倍あるいは数百倍に膨れ上がる。流通貨幣量の増大は投資と需要を刺激する。こういう機構が整備されだしたのは英国(厳密にはイングランド)を範にとれば18世紀だ。相関関係は多分あると思うが、英国ではこの時期農業革命そして産業革命が起こっている。
 更なる転機が不換紙幣の発行だ。第一次大戦が勃発する。参戦各国、英独仏露伊さらに比較的傍観者の立場にいた日米もそろって金本位制(注3)を停止し同時に紙幣の発行量を激増させる。理由は簡単。戦争には膨大な資金が要る。金準備量などではおっつかないからだ。戦争は終わる。各国は金本位制に帰ろうとするこの企図はすべて失敗(注4)している。この理由も簡単だ。戦争は大量破壊行為だが同時に大量生産設備の設定でもある。戦後には経済規模が膨大に膨れ上がっていた。金準備量に応じて紙幣を発行するというやり方では経済が要求する貨幣量は供給できない。
 この事態に直面した各国は悪戦苦闘した末に不換紙幣を積極的に発行し経済規模を不断に拡大する政策をとるようになった。紙幣を発行し投資と需要を刺激する。物価は上がるが賃金もあがる。こういう調子で万事うまくゆくわけではないが、基本的には拡張型積極的経済政策を選択肢の重要な一環として採用されるようになった。このような政策を悪戦苦闘(注5)して理論づけしたのがケインズだ。ここで重要な転換が起こる。不換紙幣の発行は、経済の信用は金銀という多分に神秘化された希少資源によるのではなく、経済機構というかなり不安定な存在に負っているということだ。紙幣さらに不換紙幣の発行により我々の生活はより豊かになったことは事実だ。もし金銀貨幣に依存したままでいたら我々の生活は主穀(米麦)とわずかなたんぱく質を食ってその日を過ごすのがやっとであろう。
 現在は第二次大戦後のブレトンウッズ体制で金ドル本位制になった。アメリカが責任をもってドルを金に換えるという仕組み。この仕組みに耐えきれず1970年代初頭金とドルの交換停止。以後金本位制は存在しない。
(注1)シナには金銀が乏しかった。だから貨幣は原則として銅貨だった。銅貨で米100キログラム買えば総統に重い重量になる。紙幣が最初に発行されたのは元朝(モンゴル)の時代だった。金銀の重量も結構思い。江戸時代千両で15キログラムになる。この重量を担いで東海道をのこのこ歩くわけにはいかない。江戸大阪間の商取引はほとんど手形で行われた。
(注2)紙幣の歴史は複雑だが、その原型の一例をあげればイングランド銀行が英国政府と共催で発行した国債だろう。名誉革命が終わって英国の政治的基盤が確立する。7年戦争が起こる。戦費がほしい。そこで英国政府は国債を発行しそれをイングランド銀行が保証した。保証する根拠はない。英国は戦争に勝つ。以後英国の産業は発展する。税収は増える。この税収で国債の利子を支払った。ちなみにこの国債は永久公債で元本の支払いはなし。ただし永久に利子は支払われる。利率は3%(3・5%?)だった。物価上昇が無ければ(事実なかったらしいが)良いそして安全な投資だ。だからこの公債は売買された。貨幣の原型だ。
 他にアメリカ独立戦争に際しての戦費獲得のために発行された大陸紙幣やフランス革命当時発行されたアッシニア紙幣がある。ともに戦争革命という非常時に発行される不換紙幣で物価は急上昇し貨幣価値は激減した。戦争革命は貨幣価値下落というトリックで遂行されている。
(注3)金本位制に従えばある国で輸入が増大すれば金貨は流出する。物価は下がる。輸入は増える。金貨がふえる。そうなれば物価は上昇し云々の繰り返しが経済行為となる。こうなると金貨をはじめから多く持っていた国が永遠に強いリッチだということになり、後発国は永久に追いつけないという道理になる。一国内でも同じ。イノヴェ-ションが起き新奇な製品が発売される。その分貨幣はそちらの需要に流れる。他の分野の製品の物価は下がり生産量も下がる。あるいわどこかの分野の産業が衰退する。この繰り返し。生産量の増大は見込めずイノヴェ-ションは起こりにくくなる。金貨をあまり持っていない人が商売を増大しようとすれば全体の貨幣量が決まっているので利子率はあがる。結局先に金貨を占有した方が永久に勝ち続ける。低成長。こうなると利子で食う方が賢明となる。ケインズは金本位制は金という十字架に経済機構を縛り付ける制度だと論じた。
(注4)英国は戦後早々金本位制に復帰した。結果は不況そして労働運動の激化。ドイツは賠償支払いで金本位制どころではなかった。大不況の影響から逃れたのはヒットラ-政権になって国債発行を増大させてから。アメリカには戦後金は豊富にあった。1929年の大不況。ル-ズベルトの登場とニュ-ディ-ル政策。経済を好景気にするためには貨幣が大量に必要。金本位制廃止。日本はアメリカの不況にもかかわらず金本位制に復帰。国の底がぬけるほどの大不況。高橋是清が登場し金本位制即廃止、同時に国債の大量発行。一番遅れたのがフランス。あくまでも金貨重視で。1930年代は慢性不況。レオンブルムの人民戦線内閣になってやっと金本位制廃止。その時は第二次世界大戦勃発の直前だった。
(注5)ケインズの貨幣論や一般理論を読めば彼がそれまで信奉していた古典派経済学からいかに脱出するかという過程がわかる。数式を経済成長に結びつけるのだから非常に難解というより論理の矛盾が多い。達した結論は、供給と需要は相関しつつ展開する、まず需要から、需要の増大が出発点、だ。

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