経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

経済人列伝・小林一三

2009-12-17 02:53:52 | Weblog
   小林一三

 小林一三は阪急電鉄と宝塚少女歌劇の創始者として有名です。一三は1973年山梨県の豪商の家に生まれました。生母は一三の幼児期に死去します。父親は養子ですので離縁され実家に帰されます。そういうわけで一三は姉と共に大叔父に育てられる事になります。この大叔父は一三に極めて寛大で、甘やかしたきらいがあります。一三はのびのびと、そしてかなりわがままに育てられました。1892年慶応義塾大学卒業、翌年三井銀行入社。大阪支店に転勤、ここで当時の支店長岩下清周と知り合います。これは一三にとって大きな機縁になりました。しかし銀行勤務時代は、あまりやる気がなく、小説家になる事を夢みて、紙屑籠と言われた調査部でうだつの上がらない生活を送ります。この間結婚しますが、同時に恋人もいたようで、家庭と愛情関係の二重生活を平然と送ります。後者の方がどうなったかは解りません。一三は子煩悩でした。
 1907年、34歳岩下の強い引きで三井銀行を辞め、阪鶴鉄道の経営に従事する事になります。この鉄道は国有化され現在の福知山線になるので、一三の最初の仕事は阪鶴鉄道の会社解体と処理でした。この鉄道に代って、私鉄として箕面有馬電気軌道という会社が設立されます。社長は岩下清周、一三はその下で専務を務めます。箕面有馬電気軌道は現在の箕面-石橋間をちょろっと走る短い鉄道で、しいて言えば大阪から福知山線で乗り換えて、当時の観光名所である箕面や有馬にお客を運ぶくらいがせいぜいの、今から見てよく経営できたものだと思われるような企業でした。関西にはすでに、大阪神戸間を走る阪神電車や大阪奈良を結ぶ近鉄電車がありました。岩下はこれらすべてに関係していて、ゆくゆくは、関西の私鉄を合同させ一つに資本の下に統合しようと考えていました。それで箕面有馬電気軌道に小林一三をひっぱりこんだわけです。岩下は、一三はサラリ−マンとしてはだめだが、経営者創業者としての才能はあると、見込みました。
 現在では阪急電鉄は関西の私鉄の雄ですが、創業当時は最も危ない会社でした。ともかく一三は資金を工面して1910年、梅田宝塚間を開通させます。しかしこの沿線は田園が多く、運ぶもの(乗客)が無い。大阪市内部の野江に線路を拡張しようとして、大阪市議会を通じて大阪市に工作し、結果贈賄容疑で友人の松永安左衛門とともに収監されます。徹底して容疑は否認し、上部の方からの工作の結果でしょう、20日で釈放されます。
阪神電鉄と合併するという話が出ます。極秘事項のはずが簡単にもれてこの話は頓挫します。一三がリ−クしたと疑われました。証拠はありませんが、一三が合併に反対で会った事は事実です。阪急電鉄も創業当時はこのようにいろいろ苦労があったわけです。合併話に懲りた一三は北浜銀行から、会社の株を買い取ります。
 田園以外には何も無い梅田宝塚間にどうして乗客を運ぶか、一三は考えました。イギリス人ハワ−ドの「田園都市論」に彼はヒントを見つけます。そのころ都市庶民の住居と言えばうなぎの寝床のような長屋と相場は決まっていました。当時と言えば明治末期、日本も第二次産業革命に突入し、産業構造が高度化します。ブル−カラ−あるいは職工とは違う、ホワイトカラ−のサラリ−マンが出現しつつありました。一三はここに目をつけます。田園で快適な生活を送ろうと宣伝します。そのために大阪市民に「如何なる土地に住むべきか、如何なる家屋を持つべきか」というパンフレットを配ります。そして特に池田箕面方面に郊外住宅を建設します。緑の環境に恵まれた土地に住んで、そこから成長しつつあった大阪市内に通う生活様式を進めます。電鉄だけではなく、住宅建築も同時並行して進めます。
 もう一つ目玉商品を作ります。宝塚新温泉です。日帰りで行ける簡便な大衆的リゾ−トです。プ−ルも作りました。男女が一緒に泳げるようにしましたが、公序良俗に反するということで警察から、男女を別々に泳がすように指示されます。温泉だけでは物足りません。新しい西洋音楽の中からオペラに眼を付けます。大阪市内の劇場でオペラが上演された時、一三は舞台を見ず、観客席それも天上桟敷と言われる一番安い席の客の反応を見ていたそうです。このオペラをモデルにして1913年、宝塚少女歌劇団が作られ、それが宝塚で上演されます。一三もせっせと脚本を書きました。彼の作品が当たったかどうかは知りません。10年後の1924年、4000人収容できる宝塚大劇場が完成します。この劇団で最初に大当たりした演目は「モンパリ」です。歌舞伎を見るためには当時5円
は要りました。宝塚の観劇料は20銭でした。
 この間、関西の私鉄で最も儲かる路線である大阪神戸間の路線拡充に努めます。灘循環電機軌道というほぼペ−パ−カンパニ−に近い会社がありました。この鉄道あるいは鉄道の敷設権を阪神電鉄と競合しつつ、買い取ります。阪神電鉄の経営は順調でしたから、一三ほど熱心ではなかったようです。こうして大阪神戸間というドル箱路線が開通します。現在私が住んでいる尼崎の園田もこの路線にあります。
 小林一三のもう一つの事業が阪急百貨店経営です。百貨店経営は素人では無理と言われていました。白木屋や大丸のように呉服店経営から出発した店が大部分です。ただ梅田は阪急電鉄という交通機関の終点で、それに国鉄大阪駅も同じ位置にありましたから、集客力には自信を持てました。一三の商法は「引き算商法」と言われます。これこれの費用がかかるから、これこれの値段にする、と言うのではなく、これこれのの値段で売りたいから、これこれの費用にする、という商法です。大衆がほどほどに金を持ち出した時、それに併せて需要を開発するやり方です。ともかくお客のニ−ヅに答えよ、お客が欲しそうなものを揃えよ、が彼のモット−です。今のコンビに商法です。特に食料品と雑貨を店頭に置きました。商法は当たります。始め阪急マ−ケット、現在の阪急百貨店です。ターミナルデパ−トの第一号です。
逸話として有名なのは、ライスカレ−です。食堂を作り特にライスカレ−に力をいれました。水と米と熱の配合でどんな味、どれだけの量ができるか、熱心に実験し、安価に売り出します。当時ライスカレ−は洋食でハイカラそして贅沢な物とされていました。もう一つ逸話があります。やはり食べ物関係の事です。カレ−ライスにも手がでない人もいました。少なくとも毎日は。そこで阪急百貨店の食堂ではソーライスというメニュ−を作りました。客は皿に盛った飯のみを注文します。テ−ブルの上にはソ−ス瓶があります。飯にソ−スをかけて食べます。大当たりしました。ソ−ス自体がハイカラで高級品というイメ−ジがあったのです。ちなみに私も自分でこのソーライスを作って食べましたが、結構美味しい、ただし栄養の方は保障できませんし、むやみと水が欲しくなります。
 東京でも同じ発想の計画がありました。田園都市会社です。この会社が上手く行きません。大阪で成功した一三が招聘されます。この会社の傘下にあった武蔵鉄道の支線である蒲田支線を五島慶太に経営させます。そこから現在の東急の事業が発展しました。五島の話では、自分のやり方はすべて小林一三のやり方をなぞらえた、そうです。
 事業者として成功した一三は三井関係の縁で、電力業にも関係させられます。当時日本には東京電燈、宇治川電気、東邦電力など数社の有力電力会社がありました。合同問題が持ち上がります。加えて時局の変化で(満州事変など)国営論が持ち上がります。一三は一時期東京電燈(東京電力の前身)の社長を務めました。彼は国家統制を嫌う自由主義経営論者でした。銀行主導、株主への配当金の制限、設備投資の増加、生産能力の増加、経営の向上が彼の持論でした。戦後日本の高度成長期の方針とほぼ一致します。一三は人間の利己心を認め、そこから来る夢(コモディティの増大の可能性)が無ければ経済に明日はないと、語ります。
 1940年、一三は第二次近衛内閣の商工大臣になります。この時の次官が岸信介、統制経済の旗頭で商工官僚のボスでした。一三と岸は意見が違い衝突します。結局岸は辞任させられますが、官僚の巻き返しか、一三は機密漏洩事件に巻き込まれ翌年辞職します。一三と岸の論争を聞いていると、どっちがどっちともいえません。私個人は自由経済が好きですが、岸の統制経済論にも一理はあります。なお岸の統制経済論の背景には軍部との提携があったことは事実です。一三は岸の論旨をアカ(左翼)の思想だと弾劾します。事実岸等の革新官僚には当時成功しつつ見えたソ連の計画経済は魅力的に写っていました。一三はこの間、東京宝塚劇場を建設し、また東宝映画や日本軽金属を設立します。戦後は幣原内閣の国務大臣になりますが、やがて公職を追放されます。(5年後解除)1956年新宿・梅田の両コマスタディアムを造ります。1957年、84歳で死去します。
 小林一三は非常な読書家でした。そして調査好きでした。食堂や料亭の料理の原価を聞くなどは朝飯前。ぶっきらぼうで不必要な挨拶よりは仕事に没頭しました。岸信介との初対面も同様で誇り高い岸を怒らせたと言われています。
  
参考文献
    小林一三、夢なき経済に明日はない (WAVE出版)
    20世紀 日本の経済人 (日経ビジネス文庫)
    上方今昔 (山本為三郎著  出版社不詳)
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