白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(282)勘三郎最後の勇姿 シネマ歌舞伎「め組の喧嘩」

2017-12-01 09:48:10 | 映画
 シネマ歌舞伎「め組の喧嘩」



 18代目中村勘三郎が亡くなったのは2012年暮れのことだからこの作品がおそらく江戸最後の舞台となる 2010年突発性両側性感音難聴を患い暫く休養 2011年まつもと市民芸術館の特別公演で復帰 その後2011年11月より2012年5月にかけ長男の勘九郎襲名披露舞台を含むロングラン公演のラストであった この公演の後受けた健康診断で初期の食堂癌が判明 一切の仕事を断り治療に専念することになる その年のまつもと市民芸術館での「平成中村座」公演の千穐楽で飛び入り参加してカーテンコールで「必ず松本に帰ってきます」と挨拶 だが これが最後の舞台出演となった 同年12月5日急性呼吸窮迫症候群のため死去 享年57歳の若さであった

この映画を見た日に横綱日馬富士は酒の上での喧嘩が問題になり引退を発表した
火事と喧嘩は江戸の華とは言うが昔は力士の喧嘩はよくあることだった
この話も文化2年芝神明社で実際に怒った火消しと力士の大喧嘩がモデルになっている
「神明恵和合取組」(かみのめぐみわごうのとりくみ)
1890年(明治23年)新富座で初演 竹柴基水作 通称「め組の喧嘩」という
初演の配役は辰五郎に五代目 菊五郎 四ツ車に4代目芝翫 喜三郎に初代左団次



(1)品川宿の島崎楼 
相撲取りの四ツ車らと鳶頭辰五郎らが隣り合った座敷で飲んでいる
四ツ車の弟子の取的が相撲甚句を踊るうちに襖を蹴倒して隣座敷に踏み込んでしまう
血の気の多い鳶の藤松が怒って喧嘩になるところを め組の頭辰五郎が収める
しかし居合わせ四ツ車の贔屓の侍から相撲取りは士分だから鳶なんぞとは身分が違うと言われ苦虫をかみ殺す
(2)「すわ喧嘩」の事態を収めた辰五郎だが恥をかかされた恨みを晴らそうと八ツ山下の暗闇で四ツ車を待ち伏せ もみあいになり尾花屋女房 地回り 辰五郎 四ツ車 通りかかった焚出し喜三郎の五人の「だんまり」となる 
この時喜三郎は辰五郎の煙草入れを拾う
(3)め組の持ち場 芝神明境内の芝居小屋では「義経千本桜」を上演中で大入り
 客席で騒いでいた酔っ払い客をめ組の若い者がつまみ出す
 それを止めに入った九竜山や四ツ車とめ組の若い者や辰五郎と喧嘩になるところを芝居の太夫元に止められてしまう
(4)もはや喧嘩は避けきれないと覚悟を決めた辰五郎は数寄屋橋河岸の喜三郎のもとにいき それとなく暇乞いを告げる それと察した喜三郎は例の煙草入れを見せれ大きな間違いになったらどうすると意見する 困った辰五郎はそれとなく別盃をかわす
(5)喜三郎の意見に悩む辰五郎は女房のお仲に意気地がないから離縁すると言い出される 居合わせた兄弟分の亀右衛門にも非難され辛抱していた辰五郎だったがついに以前から用意していた離縁状を叩きつけ心中を語る やはり町火消しの意地から命がけの喧嘩の決意をしていたのだ このあたりは東映のやくざ映画の鶴田浩二の役どころだ
亀右衛門に部下を集めろと指示し喧嘩支度をする おりしも遠くから相撲興行の撥ね太鼓
刺し子のめ組の火消し法被を放り上げ袖を通すかっこよさ
辰五郎は女房と子供に別れを告げて神明社に向かうのであった
(6)神明社で辰五郎ひきいる街火消しと九竜山、四ツ車らの力士の大喧嘩が繰り広げられるが 町奉行(火消管轄)と寺社奉行〈相撲管轄)の法被を重ね着した喜三郎がはしごを使って中に割って入り仲裁、双方上に訴えることで収束する この喜三郎役の梅玉はかっこいい

配役は め組の辰五郎   中村勘三郎
    女房お仲     中村扇雀
    四ツ車大八    中村橋之助
    露月町亀右衛門  中村錦之助
    芝井町 藤松   中村勘九郎
    おもちゃの文次  中村萬太郎
    九竜山波右衛門  片岡亀蔵
    尾花屋おくら   市村萬次郎
    焚出し喜三郎   中村梅玉


ラスト平成中村座の舞台奥の扉が開き 遠くに見えるスカイツリーをバックに 三社祭の神輿(昔浅草の住人振付の藤間貴与志に誘われ衣裳を付け担がせてもらったことがある)が現れ よく見ると担いでいるのは中村座馴染みの弥十郎や笹野高史だったりする演出で閉めた

(11月29日 ナンバパークスシネマにて)  

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