白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(241)横山ホットブラザース

2017-06-11 11:07:32 | 人物
     横山ホットブラザース



 新聞によると「大阪市は上方漫才の横山ホットブラザースを市の無形文化財に指定した」という 上方漫才部門では夢路いとし、喜味こいしの兄弟コンビに続いて二組目になるという 横山アキラ(84)マコト(82)セツオ(71)の三人組で長年に渡ってアコーディオンなどの楽器を用いた歌と掛け合いの音曲漫才を続け 上方漫才の発展に貢献したことが評価された 中でもノコギリを楽器として使いながら歌う「お~ま~エ~は~ア~ホ~か~」で人気を博し2003年に上方お笑い大賞を受賞した 三人は事務所を通して「非常に名誉なことで ありがたいことだと思っております」とコメントした

「横山ホット」さん「きみこい」さん この二組とも我々がいたトップホットシアターという寄席に出演していたので寄席に居てる間ずーっとこの無形文化財の芸を見ていたことになる 

丁度僕がトップホットに入った時前の横山洋二さんとセツオさんが入れ替わった時であり 学生時代バンドをやっていたこともありギターだけは辛うじて弾けたセツオは中々セリフが言えず マコトさんからは「こういうことがいいたいんじゃないか」と言われ アキラさんからは「おまえは何も言わんでもええ そこでたってるだえでええ」とギャグにされた 三人とも野球が好きでコマのリーグ戦ではトップホットチームで寛太寛大と共に中核を担う強打者ぶりを発揮した 
お父さんでありリーダーだった東六師匠(ヴァイオリン担当)も次第に出番を減らして行き1975年引退 
ヴァイオリンを分解させるギャグは必見 初めて見た時はビックリした

1928年 横山東六 音楽学校卒の元楽士で「関西交響楽団」に入団
1933年 陽気屋東六名で音曲漫才に転向 落語家出身の笑福亭福之助とコンビを組む
      新世界アシベ劇場にて初舞台
1936年 妻登志子 娘のセツコ リュウコに弟子一門を加え「横山トーロクショウ」       を結成 ボーカルもドラムもいるバンドスタイルで真面目な歌謡ショウ
1937年 次男マコト加入
1944年 長男アキラ加入 戦後「横山ファミリーショウ」と名乗る
1952年 男ばっかりでは華がないと女性ボーカルを招いて「横山ホットブラザース」と改名
1960年 弟子のレイジ加入
年代不明  弟子の洋二が加入
1966年 洋二と入れ違いにセツオ加入
1971年 上方お笑い大賞受賞
1975年 東六引退 現在の兄弟トリオになる

トップホット当時はKAプロに所属していたが現在は所属のママ
吉本興業と業務提携している

漫才の出だしは決まってマコトの歌(僕らの頃は「北坂場」「無錫旅情」)
アキラがそれを「ヤッコラマタ ドッコイマタ」と頬を痙攣させつつ合いの手を入れ 次第にヒートアップしていきマコトの歌を食ってしまいマコトが「やかましいわ!」とツッコんで辞めてしまう

ネタはしりとり歌合戦のネタが多かった
ガラクタ演奏 おもちゃの木琴 うちわ太鼓 ひしゃく チリトリ フライパン
ハーモニカ アキラが担当 鼻で吹く ついでに皿回ししながら
勧進帳 アキラフライパン セツオ釜 マコトのアコーディオンに合わせて長唄「勧進帳」を演奏 最後は釜を叩いて「カーン」とオチになる
ノコギリ 戦前轟一蝶から東六が伝授されマコトに教えた 西洋ノコギリから派生した演奏専用の弦楽器だが これを打楽器用のマレットで叩いて演奏する
「お前はあほか~」のギャグ以外にマコトのアコーディオン、セツオのギターで「荒城の月」をキチンと演奏する
 
漫才の最後はテーマソングを歌って終わる
「明るく笑ってリズムショウ 明るく歌ってリズムショウ 仲良く陽気に奏でるホットブラザース」

一番若いセツオさんでも僕より三つも上だ 身体に気を付けて頑張ってください
 


 

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