白鷺だより

50年近く過ごした演劇界の思い出話をお聞かせします
     吉村正人

白鷺だより(148)歌のおばちゃん

2016-10-10 07:46:26 | うた物語
     歌のおばちゃん
病気以来リハビリで週一回にペースで通っている近くのクリニックには変わった女性患者がいる 
大声でソプラノ歌手のように両腕を前で合わせて唱歌(歌謡曲ではない)を歌うのである 
それもその季節に合った歌をである 
例えば春の初めには「早春賦」(春は名のみぞ風の寒さや)や「どこかで春が」「春よ来い」などであり 
梅雨時には「あめふり」(あめあめふれふれ母さんが)や「かたつむり」を歌うのである 
だから彼女の歌を聞いて我々患者は季節の移り変わりを知るのである 
この季節は「里の秋」や「小さい秋見つけた」がもっぱらの歌である 
その「里の秋」にはこんなエピソードがある

「里の秋」斎藤信夫作詞 海沼 実作曲 川田正子歌

静かな静かな 里の秋
お瀬戸に木の実が 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実煮てます 囲炉裏ばた

明るい明るい 星の空
なきなき夜鴨の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔 
栗の実食べては思い出す

この少年と母はなぜ二人きりなのか 父は出征しているのである 軍からの知らせによれば遠く南方の島であった そして終戦が過ぎても未だに帰って来ていないのである
この曲はNHKの引揚げ者家族を励ますための番組のテーマソングとして作られた曲だった 
急な注文だったので昔の詩(星月夜)をチョッと替えて作った曲だ
僕の父も引き揚げが昭和22年だったから母はこの番組をかじりつて聞いていたはずだ

さよならさよなら 椰子の島
お舟に揺られて 帰られる
ああ 父さんご無事でと
今夜も母さんと 祈ります

その昔の原詩はこうだ(昭和12年発表)

3番 きれいなきれいな 椰子の島 しっかり護って下さいと
   ああ 父さんのご武運を 今夜も一人で祈ります
4番 大きく大きく なったなら 兵隊さんだよ うれしいな
   ねえ かあさんよ 僕だって 必ずお国を 守ります

戦前の唱歌には軍事色の強い歌詞で一杯である 例えば
「船頭さん」

1  村の渡しの船頭さんは 今年六十のお爺さん(僕68だ)
   年は取っても お舟を漕ぐときは 元気いっぱい魯がしなる 
   それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ
2  雨の降る日も 岸から岸へ 濡れて船漕ぐお爺さん
   今日も渡しでお馬が通る あれは戦地に行くお馬
   それ ぎっちら ぎっちら ぎったらこ
3  村の御用や お国の御用 みんな急ぎの人ばかり
   西へ東へ船頭さんは 休む暇なく船を漕ぐ
   それ ぎっちら ぎっちら ぎっちらこ

「汽車ぽっぽ」元歌 「兵隊さんの汽車」(昭和13年)

汽車汽車ポッポ ポッポ シュッポシュッポシュポッポ
兵隊さんを乗せて シュッポシュッポ シュッポシュッポシュポッポ
僕らも手に手に日の丸の 旗を振り振り送りませう
万歳 万歳 万歳 兵隊さん 兵隊さん 万々歳

昭和19年に発表された「お山の杉の子」の4番5番

4  大きな杉はなんになる 兵隊さんを運ぶ船
   傷痍の勇士の寝るお家 寝るお家
   本箱 お机 下駄 足駄 おいしい弁当食べる箸
   鉛筆 筆入れ そのほかに
   うれしや まだまだ役に立つ 役に立つ
5  さあさ負けるな 杉の木に 勇士の遺児なら なお強い
   身体を鍛え 頑張って 頑張って
   今に立派な兵隊さん 忠義孝行 ひとすじに
   お日様出る国 神の国
   この日本を護りましょう 護りましょう

最近はクリニックに行く時間を朝一番にしたので彼女の歌に逢えるチャンスが無くなった
彼女が歌う唱歌はそれこそ昭和の心だ もとの時間に戻して聞きに行こう
歌のおねえさんというには少々年を行き過ぎている 歌のおばちゃんの歌声は今も響いている

彼女は実はお察しの通り少し痴呆症を患っているが歌詞だけは実に一字一句間違わずに正確に歌う 
音楽の持つ力は偉大だ」とつくづく思う

   




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