傘寿の真保守宣言

素人の政治、スポーツ、社会評論です。
写真、ゴルフを楽しみながら地域社会に溶け込む一応元気な傘寿越えの爺さんです。

全国学力テストは全員参加に意義がある

2010-03-06 21:49:49 | 日記
全国学力テストに思う
全国学力テストは平成19年に43年ぶりに再開されたが鳩山政権は支持母体の日教組の反対を受けて経費削減という錦の御旗で抽出式に縮小したと思う。
 しかし今回のテストには抽出された10000校の他14000校が参加した。関係者の関心というか意欲の大きさを物語る。過去に好成績だった秋田県など11県が全校参加の100%だったし逆に成績が悪かった高知県も100%だった。 しかし、校数の多い愛知県や神奈川県の参加が少なく30%を切ったのが目立った。結局県別の抽出率に何故か15ー57%の幅があったし、自主参加を含めても25ー100%と大きな差があった。
 元来全国一律参加で学力を検証しそのデータを各自治体で活用したり国として教育のありかたを検討する意義があったと思うので県別ばらばらな抽出式では正確性に疑問がある。
 もし経費削減だけをねらう抽出化なら2-3年に一回にしてでも全員参加の方が目的に適うと思う。一方日教組の主張する競争からの回避がホンネならそれは教育思想としておかしい。
 何故なら教育界にも一般社会常識として競争があって当然だからだ。

バンクーバー五論についてある断想

2010-03-06 20:32:34 | 日記
   バンクーバー五輪:ある断想
はじめに
 競技の成績はいろいろな情報で流れているのでここでは視点を変えて眺めてみた。

1) 開会式          
開会式は北京五輪に似た先住民族の歓喜溢れる乱舞で始まった。北京五輪では漢民族少年少女の偽装演技だったが今回は生の先住民族の躍動があった。バンクーバーは現役時代に度々訪問したが、カナダ人が「米豪と違って先住民族と上手くやっている」と言っていたことを想いだす。
聖火第1号ランナーとして車椅子の障害者が選ばれた。感動的な光景だった。長すぎると思った開会式だったが直前にルージュの選手が事故死と言う悲惨な事件があった。役員が黒ネクタイで挨拶をして一同黙祷を捧げる場面もあったが、その場面で黙祷せずに目をキョロキョロさせる日本選手が映し出された。いただけない。

2)日韓の格差とスポーツ振興の重さ
日本は銀3、銅2を獲得。メディアでは甘い予想が多かったが私の予想通りだった。日本よりも人口もGNPも少ない韓国が金6、銀8、銅2で大差が出たことは何故だろう。勿論国からの補助金の差も影響しただろうが(日本27億円、韓国は120億円、金10個のドイツは250億円)問題は金額だけではなく深い理由がありそうだ。
韓国で80年代にスケート選手だった全明奎(現協会副会長)は日大に留学して技術を習得して帰国、90年代から指導者として活躍した。 スケートに重点指向しショートとスピードスケートの両リンクと合同合宿設備を持つ設備を設け、技術移転を指向して五輪に臨んだという。一方金メダルには兵役免除の「飴」も用意している。その構想が実ったのか500mで男女の金を独占、ショートトラックでは金2銀2銅4に輝いたがその源は日本にあったのだった。そこには戦略的な動きが伺えるのだ。わが方は全方位作戦に終始してきたように思える。
わが国のスキーの分野では学生選手が減少していて世代交代が進まない。今回もベテラン葛西に頼るしかなかったがメダルゼロだった。野球やゴルフの場合、プロへの挑戦が成功率は厳しいものの将来の人生設計を含めた夢となるが、スキーの場合はそれがない。今の時代の有望選手育成には設備環境や技術指導だけでなく、彼らの人生設計への指南まで絡んでくるとなると非常に重い課題といえる。
勿論わが国でもスポーツセンターで1年間スケートを楽しめる設備をもつ名古屋がスケートの優秀選手を続出させたり、フィギュア専用リンクの整備をして代表選手を育てた大学もあったがスキー学校に学ぶ月謝は5万円でその他年10万はかかるというから普通の親では負担に耐えられない。小都市常呂で多くのカーリング選手が育つなどの設備の貢献例もあるが一部にとどまる。スポーツ関連予算は微増したものの事業仕分けでJOCへの国庫補助金が減額され、有望な若手を育てるエリートアカデミーが全額カットされたという厳しい政策がマクロの姿だ。国も家庭も財政が厳しく難題だ。

3)カナダ協会の知恵
モ-グルはスピードと型の両面で評価されるがコースの長さと傾斜は開催国が規定の範囲で設定できる。今回は距離が長く傾斜が緩いコースにされ大柄で体重のある選手が有利になり上村がメダルを逸した一つの理由といわれる。確かに上村のスピードは金銀の二人とは素人にも分かる格差があった。里谷はそのことを知ってか猛スピードで滑降した。残念ながらバランスを崩して転倒したがあのスピードで上手くゴールすればメダルに届いたかもしれない。私は里谷の挑戦に拍手した。
メダルに拘ったカナダはカーリングについても知恵を働かせている。石の流れを特に大きくする独特のカナダの氷を敷いたという。勿論各国とも同じ条件で競技するのだから条件は同じとは言えるが自国の氷の性質に馴染んでいる選手に有利ということは確かだ。メダル獲得には協会スタフの知恵・深謀遠慮が絡むことを示した一面と思う。

4)リスク管理
フィギアの織田の靴紐破断。演技後涙の会見となった。紐の異常を認めていたが交換は感触を変えるとの判断でくくっただけで演技に入ったとのことだった。因みに銅に輝いた高橋は前夜に新しい紐に取り替えている。事故は何時起きるか予見できない。危険性が少しでもあれば除去して臨むのがリスク管理。それは工場の安全管理と同じだ。織田の認識は甘かったといえる。父親が「イチローのように道具を大事にして注意していれば」と残念がったことが記事になっていた。
もっと次元の低いミスもあった。事業仕分けで補助金減額となったリュージュとスケルトンで選手が規定を超える重りを装着したり規定合格のステッカーをはがして失格となっている。殆ど報道もされなかったがあまりにも不注意だった。選手ばかりでなく周りの指導者にも責任がある。彼らの4年の努力はなんだったのだろう。

5)団体競技は日本のお家芸
女子スケートの3000mパシュートで日本は女子として始めて銀を取った。ゴール直前の周まで約1秒リードしていたのでリンクで声をかけるコーチも金を信じたのではなかろうか。残念だった。滑走中の風の抵抗を3人でバランスよく分かち合うために先頭を度々交代するが、交代時のスピード調整技術の妙が個人の力の他に要求される。
 実は日本人は陸上の400mリレー、水泳の400,800mリレーなどに強い。陸上ではバトンタッチ、水泳でも次泳者への引継ぎ時のスピード維持の技術がポイントだが日本選手は得意だ。個人のレベルに加えてチームとしての総合力を必要とするこれらの団体戦に適しているといえる。得今後も団体戦を日本のお家芸にして頑張って欲しい。 

6)トラブル
人為的な珍しいトラブルがあった。スケートの長距離、5000mを制したクラマーが世界記録を持つ1万m競技で25周のうち17周目にコーチのミスでインコースからまたインに滑り失格した。選手本人はおかしいと思ったがコーチを信頼してコースを急変換したといっていた。失格後帽子をリンクに投げつけて怒りを表したがその気持ちはわかる。彼の場合それまで5000mで金メダルをとっており、その競技でも5輪新のラップを刻んでいてダブル金を狙っていただけに残念さは一入だったろう。競技の後でリンクに正座して彼に謝るコーチの姿が映像に流れたが何ともやるせない光景だった。
 設備管理のトラブルがあった。スケートの500m競技中に製氷機が故障し長時間スタートが遅れた。タイトな競技服を着ているので長く待つと血液の循環が悪くなるし足ばかりでなく体が冷えてまともに滑れないという。生憎くその事件に遭遇した加藤は不運だったといえる。そのためか1走目は記録にならなかったが2走目で頑張って銅メダルを手にしたことを褒めたい。あのアキシデントなかりせばメダルももっと輝いた色のものになったかもしれないがタラレバの話と片付けられない気がする。設備管理者の大きなミスだった。

7) スケートの評価点
女子浅田が銀。素人目には3回転半をショートで1回、フリーで2回成功させた浅田の評価点が低すぎたように思う。女子は世界最初の快挙だったのに。フィギアは採点競技なのであくまでも採点基準がある。現在の基準は最難度の演技への挑戦よりも平均難度の演技を完全にこなす方が有利になっていてキムと浅田の金銀の差はその基準による。丁度裁判の世界で古い法律が存在して現在の常識には合致しなくても裁判官はひたすら法律に基づいて判決を下すのと似ている。男子で銀になったロシアのプルシェンコも4回転を何度かこなしたが3回転を完全マスターした米国に金をとられた。彼は現採点方に不満で自分の銀に不満だった。そして彼は浅田と4回転に挑戦した高橋も褒めたコメントを出した。挑戦者としての彼の不満はよく分かる。
 浅田の場合、ジャッジの1人は韓国人で7人は欧州。アジアや北米は完成度を評価し欧州は技術を評価する伝統だから戦前は浅田有利といわれたが結果は各ジャッジが現基準に従って評価したということだろう。
 しかし技術に挑戦することとメダルに挑戦することは次元が違う。実は採点競技ではこの問題は何度か話題になっている。以前に体操でも新荒技に挑戦する日本選手よりもまずまずの技術を完全にこなすロシア選手が金に輝いた場面が多々あった。現在の柔道も一本勝ちに拘るよりも小技の積み重ねでポイントを稼ぐ選手が恵まれる場合がある。そのあたりは選手も監督も十分知った上で各人の演技を決めるのだから要するに各国というか各選手の哲学の問題だろう。

8)日本選手に甘い解説
日本のマスコミには腑に落ちない伝統がある。それは解説者は毎回楽観的な解説をするということだ。
モーグルの上村。メダルを期待されたが残念ながらトリノの5位から一つ上がって4位で終わったが、本来ワールドカップで優勝したことはあるが世界ランクは6位だったことを冷静に考えれば4位も実力相当といえる。まして金候補と持て囃すすぎだったメディアの態度に疑問を感じていた。
スケートの解説。たとえば出足が遅れたら「彼は後半が強いから力を温存した」。スタートに成功すればそれはそれで「大成功」、コースを大回りになったら大回りはスピードがつくからOK、うまく小回りできたらコーナーワークうまくタイム上ベストなどなど必ず甘い姿勢で解説する。聞いてウンザリする。
スキーの複合競技も前半に離されたら後半に強いからその作戦だろう。期待できるよ。先行したらスタートに成功このまま逃げ切るでしょう。素人でも出来そうな解説だった。
スキージャンプ。解説者はノーマルで不調だった時に日本選手はラージヒルが得意だから期待するといっていた。しかし、結果は葛西だけが満足できるジャンプだったし、その葛西も成功は2回目だけでメダルに届かず入賞がやっとだった。
日本人として贔屓したい気持ちはあるが毎回のことだから何とかならないか。
ジャンプ競技は風に影響されるなど運が付き物。しかしスイス人アマンはノーマルとラージ両方金を取ったし前回を含め4連勝という。彼の時だけ適当な向かい風が吹いたとは考えないからやはり実力の差だろう。勿論技術の問題もある。それは踏み切りの場所の調節だ。踏み切り台の先端にシューズが来た時に膝を伸びきるのが一番パワーを伝えられるので先端から30cmの幅の点でそれが出来るかどうかがポイントだ。アマンとマリシュはぴたりその調節が出来ていたが他の選手たちは大体1mのずれがあったという。ただスタート場所は最も飛長距離のある選手が140m跳ぶに相当する助走距離に設定されるのでその他の選手にとっては助走距離が短くなりジャンプ時の速度が低いためにその調節がしにくいともいう。となると最強の選手にベストの条件を与えているようにも思えるのだが怪我を避けるには仕方がないのだろうか。
とにかく、ノーマルとラージの金銀銅は全く同じ選手。アマンは優勝の本命と噂されながらそのプレッシャーを問題にしない圧勝だった。実力への自信か精神力か。
オーストラリアは団体で圧勝。インスブリッツ近郊シュタムスに国立スキー学校(創立40年)10代前半から一貫教育。若手とベテランが競う環境が出来ている。    2005年から世界選手権と五輪すべて優勝。立派としかいえない。

9)選手の服装 
国母のトレッドヘアにずり下ろしたズボン姿が話題になり糾弾された。私服での渡航ならまだ許されるがユニフォーム着用だからユニフォームらしい身だしなみ望まれて当然と思う。成田で仲間やリーダーの誰も注意しなかったことがおかしい。選手団がユニフォームについてその程度の感覚だったということは正直残念だった。 カナダ到着後謝罪の会見があったが(確か2回)、国母選手の応対はいかにも幼稚でこれが大学生かと失望した。隣の指導者の言葉を受け売りしていた。丁度数年前にレストラン吉兆の御曹司が隣席の母親から言われるままに応えていた光景を思い出したが今時の若者の一面なのだろうか。
スノーボードでは子供時代からプロとなった世界的な選手だが残念ながら社会人としては成長していないと感じた。しかしまだ若い。これからも競技を磨き続けながら社会人としての常識を勉強して欲しいが、スポーツ選手の指導についてはスポーツの技術面でなく一人の社会人としての指導も当然配慮すべきだと思う。ただ一般の感覚では選手自身でその面の普通の成長があるはずだがそうさせない環境があるとすればスポーツ界全般に関係する課題といえる。
彼のために一つ弁護すれば元来スノーボードの競技のウエア自体がズボンをずり下げたスタイルだからそれを一般社会で目にさらすことに全く抵抗を感じなくなっているの
かも知れない。しかしこの弁護も社会を知らなすぎる甘すぎるといえるだろう。

10)勝敗へのメンタル面の影響(カーリングとペアスケート)
序盤にはカーリングの放映が多く、筆者もようやくゲームのルールを熟知し興味深く楽しんだ。技術もさることながらかなり頭脳を働かせしかもメンタルな面が作用する面白いゲームと思った。ゴルフに通じる。序盤は接戦を切り抜けて予選突破を期待されたが後半には疲れも出たのかミスが出始めた。敗れ責任を感じてか役割分担を変更したりが敗戦の責任を感じたストレスが溜まったのか坂道を転げるように崩れた。負け始めた時に切り返すしぶとさがなかったように思う。英国に勝った時がピークで力を出し切ったのかドイツ、スイス、スエーデンに対しては別チームのような脆さが出た。美人の乙女たちの敗戦の涙が度々放映されたが、再度挑戦して欲しい。
女子カーリングの世界ランキングは9位だ。メダル候補と持て囃し過ぎではなかったか。モーグルの上村同様彼女たちには気の毒だった。もっと冷静に応援していればもうすこし上に行けたかもしれないと思う。
欧米チームのリーダーは35―40歳のベテランが担当している。しかしチーム青森は全員20歳代。この経験の差がものをいったのだろうか。メンタル面の弱さが勝敗を分けた感じがした。
メンタル面の影響についてはもう一つの競技でも感じた。それはスケートのペア競技だった。ロシア国籍を取った日本女性が(体重37kgという)華麗な演技でメダルに期待がかかっていた。男性が放り投げて女性が4回転する荒技に挑戦して練習を重ねてきて本番で挑戦する予定だったが演技直前にコーチから安全を期せと3回転を指示され、若い彼女として気持ちの整理ができないままその3回転までもミスしてその後も崩れメダルを逸した。結果論だが4と3どちらがよかったのだろう。これはコーチのミスと思う。3回転に変更するなら直前でなく少なくとも前日に指導すべきではなかった。
因みにロシアとしてペアの連勝記録を断ったこととなったし、男子シングルのプルシェンコも銀に終りロシアにとっては屈辱的な五輪結果となった。大統領がお冠で監督辞任となったがそこまでやるのかという感じはするがロシアにとっては大事件だったのだろう。今年の世界選手権で彼女のペアは金メダルに輝いて雪辱を果たした。

11)日本語への拘り    
毎回書く事だが選手たちの「楽しい」「楽しむ」という言い方と「すごい」の連発にはどうしても違和感が残る。スケートの長島は言った。[メダルはすごい重たい]。「すごく重たい」が本来の表現だが現在は長島的表現を専門家も認知している。「すごい」でなく「大変」とか「非常に」では表現が弱いというセンスなのだろうか。
フィギアの安藤は「楽しい」の連発嬢だが、モーグルで名前は忘れたが女子入賞者も入賞後「楽しく終わった」とインタビューに答えていた。女子フィギアでは解説者も「真央ちゃんはやることはやった。今後も楽しんで滑って欲しい」とエール。ただ敗者に対してまでも「次回には楽しめる五輪を目指せ」など「楽しみ」という言葉を使うのはどうか。
スポーツといえども多額の税金を使って国の代表として闘うのだからそんなに「楽しんで」もらうばかりでは困るし、野球でもゴルフでもどんなスポーツでも観客やファンが楽しむのは当然だが選手が同じ意味の楽しんでいては勝てないと思う。要するに「楽しむ」という言葉に新しい(といってもすでに10年以上前から)意味付けが追加されてきたといいうことだろう。「勝利の喜びとか敗れても精一杯努力したのですっきりした気分」というところを「楽しんだ」と表現しているのだろうがこの意味はまだ広辞苑には登録されていない。
それからもう一つ筆者に分かりにくいスポーツ用語で「集中する」という言葉がある。すべてのスポーツで解説者や選手が使う。「集中した」「集中できない」、要するに真剣に闘う態度というか精神状態を指すのだろうが一体何をどこに集中するというのだろう。広辞苑では「集中する」とは「力、精神を一所に集め注ぐこと。」とあり、意味するところは分かるが「一所とは何処?」と考えると難しくなる。選手は競技に際しては毎回言わずもがなで「勝つことに全力を傾けている」筈ではないか。「集中が欠けたから敗れた」というセリフが聞かれるが要するに精一杯努力したが実力が相手より劣っていたということだろう。
さわやかな日本語で会見に臨む若手のホープ石川遼はこの「すごい」「楽しい」「集中」を使うにしても違和感のない使い方なのだろうあまり気にならない。

おわりに
数々のドラマを演じたバンクーバー五輪は幕を閉じた。選手たちも協会もそれぞれの対場で悲喜交々の中にも幾つかの反省点はあったと思うが4年後のソチに向けてすでにスタートされているのでしょう。大いに期待しよう。