拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

モニー

2017-12-07 22:04:36 | 音楽

東の空に黄色い月(だいぶ欠けてきた)が浮いている(写真だと黄色くない)。この後、どんどん欠けていくそうだ。テレビを付けたらクロ現でジョン・レノンの話をしている。私はビートルズの中では断然ジョン・レノンのファン。マスコミは、ジョン・レノンの話題のときに「イエスタデイ」(実質的にポールの曲)を流したりしてまったく分かってない。音楽のことを知らない記者が樫本大進のインタビューをするし、まったくマスコミはだからマスゴミと言われてしまうのだ。憲法が保障する表現の自由の担い手なのだからもっと勉強するべし。因みに、ジョンは「money」のことを「モニー」と発音していた。イギリス人ですねー。

お値打ち価格

2017-12-07 17:48:14 | 言葉
(承前)ドイツのインフォメーションで宿をとる際、「安けりゃ安いほどよい」と言ってて学習したことがある。私、「安い」に「billig」をあてていた。そしたらインフォの人がホテルに問合せをするとき「billig」を「günstig」に言い換えていた。そっかー。「billig」だと英語の「チープ」みたいな感じで「安かろう悪かろう」になっちゃうんだな。「günstig」を辞書でひくと「好都合な」「有利な」と言った訳が出てくるが、ここでは「お値打ち」みたいな感じだ。やはり、言葉は実践。使ってなんぼ。ところで、英語で「お値打ち」って何て言うんだろう。とっさに「プライスヴェルトゥ」を思いつく。待てよ、「wert」はドイツ語だよな。すると、これは英語とドイツ語のチャンポン?いやいや「プライス」は「price」なら英語だが「Preis」ならドイツ語だ。だから「プライスヴェルトゥ」は完全なドイツ語であった。まったくもー、英語をしゃべろうとするとドイツ語が出てくるし、ドイツ語をしゃべろうとすると英語が出てくる。まだまだ未熟な私であった。で、さっきの話、「お値打ち」は英語でなんて言うの~?

ボンの魔女(ベートーヴェンの生家探訪)

2017-12-07 08:30:56 | 音楽
私の合唱仲間はさすがだ。多くがバッハの生誕の町アイゼナハを訪ねている。悔しいので(ウソ。悔しくない。話の構成上そう書いた)、私はベートーヴェンの生家に行った話をしよう。地図を片手にボンの街を歩くがなかなか見当たらない。ようやくたどり着いた先は、普通の共同住宅で、その扉の一つに「ベートーヴェン・ハウス」と書いてある。他に案内板などない。とにかく普通の家っぽいので入っていいのかどうか逡巡していたら、後ろから「入っていいんだよ」と言わんばかりに扉を開けてくれた人がいた。で、中に入ってみると、そこは別世界。きれいに整備された中庭(秘密の花園!)の先に目指す生家があり、くまなく中を見ることができた。もう大感激。ここでかのベートーヴェンが生まれ育ったのだ!印象的だったのはデスマスク。怖い顔だった。肖像画で見るしかめっつらはホントだと思った(でも、女性歌手の前では鼻の下を伸ばしていたらしいが)。それからやはり西洋人。小さい顔だった。さて、ボンについてはもう一つ思い出、しかもしょっぱい思い出がある。このときの旅は、ドイツ語の腕試しのつもりで一人で毎日移動してはインフォメーションで宿をとる旅だった。ここまではインフォメーションでもドイツ語を褒めてもらったりして絶好調。ボンでも同様にインフォで宿を探す。いつも通り「なるべく安い所」と注文をつけて紹介してもらった所がかなり郊外。地下鉄で3駅くらいの距離だったか、でも歩いていって、教えられた住所に着いてみると、何?1階がバーになってる。で、カウンターの奥にいたのがどうやらここの女主人なのだが、こちらをにらみつける様子が大層怖い。まるでHexe(魔女)だ。そのヘクセに「宿を紹介してもらった」というと「こっちにこい」。はたしてそこは民宿に毛がはえたような宿で、玄関などない。部屋に通じる扉の開け閉めについて説明をするのだが、これが何を言っているのかさっぱり分からない。ここまで積み上がってきたドイツ語の自信が音をたててくずれた。考えてみれば、ここらあたり(ライン地方)は方言がかなりきついときく。これまで通じていたのはみんな標準語で話してくれたからだ。普段外国人など来そうもない郊外の安宿では思いっきり方言。それをまともにくらって撃沈したのであった。日本語を勉強した外国人だって、いきなり山梨にいって「てっ」とか言われたら、あわてて手をあげるだろう。さて、気を取り直して、市街に繰り出し、オペラを見て、帰りが随分遅くなった。ヘクセの説明はさっぱり分からなかったがドアが開くだろうか、と心配したら、なんとヘクセが起きててくれて開けてくれた。全然ヘクセじゃなかった!因みに、市街からこの宿に来るにはライン川を渡る。私は徒歩だったから、橋の歩道を歩いて渡った。「父なるライン」というが、圧倒的に大きいという感じではない。東京の川で例えてみれば、「荒川を千住新橋で渡る」よりも「隅田川を吾妻橋で渡る」の感覚。