とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「ゲラダヒヒの平和社会」

2016-10-12 08:05:07 | どう思いますか
 教育出版の高校の国語の現代文の教科書『新編現代文B』に「ゲラダヒヒの平和社会」という文章が掲載されています。内容的にはとても興味深いものでした。次のような内容の話です。

 ゲラダヒヒというヒヒはおしゃべりである。もちろん動物なので情報を交換しているということはほとんどないであろう。しかし、おしゃべりをしていることによってお互いに心を通わせ平和な社会を作っている。同じように認知症の患者もグループホームの中で「偽会話」と呼ばれる会話を行っている。これは自分の言いたいことだけを順番にしゃべっているだけで、情報の交換は何もなされていない。しかしこの「偽会話」によってお互いに安心し、おだやかでいられることができる。考えてみれば認知症ではない人たちだって大差ない。会話は情報を交換しているようでありながら、情報交換がなされるよりも、会話していること自体で心が落ち着いているのではないか。情報交換のことを「情報共有」と言い、心を通わせることを「情動共有」と言う。もちろん「情報共有」も大切であるが、「情動共有」のほうが人間関係を築くには大切だ。

 「目から鱗」という内容です。これまで私は会話にならない会話を毛嫌いしてきましたが、それほど毛嫌いすべきものではない。逆に気楽な会話の重要性について気付かされました。さらにこの「情報共有」と「情動共有」という整理の仕方が、さまざまなこれまで考えてきた国語教育の中、あるいは教育相談やカウンセリングの中で重要になってくることに気付きました。

 「ゲラダヒヒの平和社会」が内容的にすばらしいものであることは間違いありません。しかし問題はこの文章の非論理性です。国語の教材としてふさわしいものだったのかどうかです。わたしはそこに疑問を感じています。評論教材としてはダメだと感じているのです。その説明は近いうちに。
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