とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「アクティブ・ラーニング」に対する意見

2016-01-03 19:09:42 | 教育
 昨年、「アクティブラーニング」という言葉が教育界に急速に広まりました。これは生徒・児童が能動的に学ぶ授業のことです。自分で問題を見つけ、他の生徒と協働してその問題を解決していく学習形態のことを主としてさしているようです。従来の講義形式の授業では学ぶ楽しさを実感することが難しく、また社会が急速に変化しています。だからこれからの社会では新たな課題を自分で見つけ、仲間と協力しながら解決していく能力が必須です。「アクティブ・ラーニング」が推進されているのはこのような意味からです。

 「アクティブ・ラーニング」は現代の教育に必要なもののように見えます。しかし、この「アクティブラーニング」ブームについて私は批判的に見ています。

 誤解していただきたくないのは、「アクティブ・ラーニング」的な研究、実践を批判しているわけではありません。いい実践は数多くあり、また、新たな示唆を与えてくれるものがあります。それらを批判しているわけではありません。私が問題にしたいのは、急激に「アクティブ・ラーニング」という言葉を広めようとしていることです。

 教育の世界で問題解決型の授業形態の必要性は何十年も前から言われていました。多くの実践があり、そのすばらしさは誰もが認めてきていたのです。つまり昔から「アクティブ・ラーニング」的な授業の必要性は気づいていたはずなのです。もし今頃になってそれが必要だと考えている人がいたら、その教師はこれまで何をしてきたのかということになります。それなのに、ここに来て急に教育界に「アクティブ・ラーニング」ブームが起きました。おそらくこれは大学入試改革が発表されたことによるものだと思います。これまでの知識偏重型の入試からの脱却を新試験がうたっており、あらたな学力観が「アクティブ・ラーニング」という言葉と結びついたのです。

 それは悪いことではないのかもしれません。しかし、「アクティブ・ラーニング」というのは実はそんなに簡単なものではありません。準備も必要ですし、方法においてもしっかりとした技術がなければいけないのです。何も考えず「アクティブ」という言葉に惑わされて、ただ生徒が動いていればいいというものではないのです。

 例えば「アクティブ・ラーニング」という名のもとにグループ学習をやったとします。しっかりと準備をして技術のある教師ならば効果のある授業ができると思います。しかし、グループ学習というのは、グループごとに異なった状況になるわけですから、それをすべて把握して導いていくことは非常にむずかしいことなのです。それに気づかず授業を進めれば、確かに教室はにぎやかで生徒は「生き生き」とするでしょうが、それはただにぎやかなだけで学習をせずにおしゃべりをしている生徒が多くなります。学びの場となっていないのです。

 「アクティブ・ラーニング」ブームはおそらく「にぎやか授業」ブームを作りだします。これは「ゆとり教育」が本来の趣旨とは異なり、ゆとりだけの授業になったという過去の経験と同じです。文部科学省は過去の失敗を繰り返そうとしてるように思えるのです。

 先日、大学入試の新テストの例が発表されました。あのテストが本当にいいのか。そしてどのような基準で、どのような全体像の中で実施されるのか。また採点はどうなるのか。そういうところが全く見えてきません。しかも「アクティブ・ラーニング」という言葉は垂れ流し状態です。文部科学省に本気が感じられません。教育改革には大きな山がたくさんあるのです。それを簡単に考えているようにしか思えません。

 文部科学省は偉くなってはいけません。あなたがたこそ「アクティブ・ラーニング」をよく学び、現場の教員とよく話し合いながら問題を解決していく必要がある。

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