とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

劇評『アルカディア』(4月24日シアターコクーン)

2016-04-26 06:26:28 | 演劇
 作 トム・ストッパード
 演出 栗山民也
 出演 堤 真一、寺島しのぶ、井上芳雄、浦井健治、安西慎太郎、趣里、神野三鈴、初音映莉子、山中 崇、
    迫田孝也、塚本幸男、春海四方

 何を言いたいのかわからない作品。正直言って何を求めてこんなにたくさんのお客さんがくるのかわからない。有名な作家だし、演出、出演者も日本を代表する方々なので、おもしろくないと思うのは私自身が演劇を見る目がないように感じてしまうが、そんなことを言ってしまったら、権力の言いなりになってしまう。正直におもしろくないというべきだ。
 
 この作品のモチーフのひとつに科学がある。ニュートン力学を代表とする近代科学の時代、科学は万能であり、科学的に未来は決定されているのではないかという幻想があった。人間の運命は決定しているという幻想である。だとすれば人間が生きている意義はない。ただ決定している方向に向かって役割を演じているだけである。

 しかし科学はあらたな考え方を提示する。ひとつはカオス理論である。カオス理論は決定論的な考え方をもとにしてはいるが、一方では非決定論的でもある。もう一つはエントロピーの法則である。エントロピーは増大する。それが逆戻りしないということは時間の進行を示している。

 これらの科学理論の「イメージ」がセリフの中に頻繁に登場し、科学的「イメージ」と人間生活が対比され、人間の生き方に新たなイメージを与えようとしている。最後に過去と未来の人が同じ場面で演じられ、そしてダンスを踊りながら回り続けるラストシーンはそんな「時間」と「混沌」を具現化しているようにも見える。

 ただし、科学の「イメージ」が心に広がらないままセリフだけで語られているので、どうしても見ていても心に落ちてこない。ラストシーンはきれいなのだが、ただそれだけである。それ以上にはならない。

 科学以外でもいろいろな要素が交錯する。バイロンや、庭園、隠遁者、しゃべらない登場人物など、それぞれがなんらかの意味を持っているように思われる。科学も含めてそれらが「渦を巻く」ように見えれば成功だったのかもしれないが、そこまで舞台に入り込むことができなかった。

 もちろん私が観客として未熟だったのだとは思うが、ロンドンでは笑いが頻繁に起きていたという話を聞くと、日本の役者さんたちがまだ何をしていいのかわからないまま演じていたのではないかという気がする。わかりにくい戯曲だったため役になりきっていなかったのだと私には見えた。これは翻訳ものとしてしょうがないことなのではないか。日本人の感覚でもわかる演技にするためにはやはり試行錯誤しなければならないし、時間が必要である。簡単ではない。

 今回この難しい仕事にチャレンジしたことはすばらしいと思う。関係者に拍手を送りたい。再演した時、大きく化ける可能性がある。期待したい。
 
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