とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「『真実』の相続人」(『こころ』シリーズ④)

2017-09-13 08:08:46 | 『こころ』
 夏目漱石の『こころ』を考えるシリーズ。
 石原千秋氏の「『こころ』で読み直す漱石文学」を読みながら、感じたことを書き残しておきます。その4回目。

 第4章は「『真実』の相続人」。筆者はここで『こころ』から少し離れて、漱石は遺産相続の物語を繰り返し書いたことを指摘します。そしてその相続を3つのレベルで整理します。

 第1のレベルは『家督相続』です。漱石の小説を読んでいると、主人公はほとんど働いていません。なんらかの財産を持っているからです。そしてそこには金銭的な遺産相続が働いていることが多い。筆者はそれを丁寧に説明します。現代の人間が漱石の小説を読むとき一番感じるのは、お金の感覚の違いです。なぜ先生は働かないのか。うらやましくもあり、非現実的にも思えてしまいます。その問題を筆者は指摘しているのです。そしてそこには明治という時代の家督の相続というテーマが隠れていることを指摘します。現在で「家」の問題は残っていますが、当時の日本においては「家」は法律よりも優先される制度です。現代から見ればおかしく思える「家」の制度も、その時代に生きていた人間にとっては「当たり前」のもので疑問に感じることはあまりないはずです。漱石はその制度の中にいながら、その制度の違和感を描き出していたのです。

 第2のレベルは「趣味」の相続です。家督を相続する長男は、文人趣味も相続すべきだという漱石の意向を筆者は指摘します。「先生」の文人趣味は資産をもつ名家の長男で会ったから受け継いだものだと指摘しているのです。

 そして第3のレベル。これが「真実」の相続です。先生は青年に「真実」を受け継いでもらおうと遺書を残したのです。そしてフーコーを引用し、近代においては「性に関わる言説」が「真実の言説」であると主張します。その結果「先生」は「青年」に「女性に関する性的な謎」を遺したと指摘するのです。

 おもしろい指摘です。「先生」が「青年」に「真実」を相続しようとしたというのは確かにその通りだと思います。ただし、それが「性」に限っていいのかというのは、まだ納得はいきません。家制度から自由平等な社会への移行が近代なのだとしたら、自由平等の社会の象徴が自由恋愛であり、「性」だという意味で、近代は「性」の時代であるという考え方もわからなくもないのですが、もっと違う何かもあるような気もするのです。ここはもう少し考えてみたいところです。

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