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春分赤信号は止まれ

2017-03-20 13:39:28 | 日記
線路の上を、音を鳴らしてゆく列車に、揺られて僕は、一体何を目指すの。向かいの席に、鼻をいじりながら乗るおじじには、空が何色に見えてるの。
春うららかな日差しが丁度、男の子のお尻を照らしているよ。電車が止まる度、僕の目の前に、額縁に入った名画が現れては、誰それに買えよと促した。なにがし駅に着いた時、見えた2本の電波塔は、それはそれは尊くて、この世で一番綺麗な、2人の愛の物語、止まっているように見えて、その実、本人たちの中では、激しく、熱い、電気が物凄い物量で流れているのです。
斜め向かいのおじさんが、新聞を読みだして、その丁度向かいのおばさんが雑誌を読み始めたが、僕は未だ、鼻をいじるおじじを気にしないではいられなくて、今朝爪を切るのを忘れたことさえ忘れそうになる。
列車を降りて改札をくぐった僕は、コンビニへ寄ってから、公園へ向かうことにした。
市内の子どもは妙に都会っぽく、少し恐縮したりして、公園の中に入ると一気に森の中で、一瞬で小鳥か猫にでもなる気味がした。しばらく歩いていると、上着が邪魔になり、脱いで、また果てしなく闊歩し始めた。
空がどこまでも広く展開し、突き抜けるような青色がグラデーションになってわ真っさらなカンヴァスみたいに爽やかだ。そこに飛行機雲が突き刺すかのように走るのが何だか痛々しかった。
少し休むと、また歩き出しては、家族連れとすれ違ったり、老夫婦を追い抜いたり、蝶々に鼻をかすめられもすれば猫をイタチに間違えたりしながら、いつのまにか竹林の中を歩いていることに気づいた。
竹林、というのは、僕の中では、なんと言うか、日本らしさみたいな、渋さの様な、かっこよさを感じていて、結構好きな様な気がして、前にこの公園に来た時も、竹林を歩くのは目的の一つだったし、チクリン、という語感もあるのだろうか、つい、気になってしまう対象だった。
実際、竹林を歩いていても、その竹林の何とも、素晴らしい様な、それとも頼りない様な、つまるところ、儚さを感じているのだが、それだから、僕はその、竹々が互いにぶつかり合うことで共鳴する仰々しい旋律にも、それらによって生み出される、神か仏の息吹が、身体中は勿論、体内にまで吹き抜けるが如く、響くので、僕はそれに満足を覚えた。
今日は春分の日だ、それがどんな日なのかはよくは知らないが、少なくとも家族連れが公園に来て遊んだり、弁当を広げたりするには悪くない日なのだというのは分かった。
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