古代、「群馬県と栃木県」は一つの国でした
群馬・栃木両県は「毛野国(けのくに)」と呼ばれてましたが、5世紀頃に上野毛国と下野毛国に分かれました
そして、8世紀頃に上野国(群馬県)と下野国(栃木県)に分かれました
上野国(こうずけのくに)、下野国(しもつけのくに)は、私たちの間では群馬県と栃木県であるとすぐに理解できます
ちなみに地元新聞は群馬では「上毛新聞」、栃木では「下野新聞」
そのため、私たちの故郷である栃木県足利周辺のまちを含めて、桐生、館林、太田、佐野を「両毛5市」と呼ぶこともあります
愛の日記で地名に「毛」とつくのはそのため・・・であることは群馬、栃木南西部で生まれた方でないとわからないと思ったため、長い前置きになりました
したがって、「北毛」とは、群馬県北部のまちを言う言葉です
5月の晴れた土曜日のお話。
愛ちゃんを連れて、上州群馬の北部、北毛の農村風景を巡る旅に出かけた愛ちゃん家族です。
群馬県利根郡みなかみ町に到着。
名胡桃城址。
真田氏の城だった名胡桃城。
この小さな山城が歴史を動かすきっかけになりました。
名胡桃城を豊臣方と対立していた北条氏の家臣が攻め落としました。
それに怒った、天下人「豊臣秀吉」があの「小田原攻め」を行ったのです。
とうとう北条氏は敗れ、奥州の伊達政宗ら全国の大名が秀吉に屈し、豊臣秀吉は天下を統一したのです。
名胡桃城案内所の立ち寄り、様々な展示物や映像を見て、豊臣秀吉は織田信長と同じく戦国時代を終わらせたかったのだろうな・・・としみじみと思いました。
真田氏に限らず、伊達、徳川、上杉、毛利、島津氏・・・。
全国の大名たちも戦国時代の乱世に翻弄されてきたと思うと感慨深いものがありました。
天下泰平の世は徳川家康による豊臣家の滅亡、そして江戸幕府の開幕を待たなければなりませんでした。
名胡桃城址を後にして車で数分。
田植え、真っ只中の群馬県吾妻郡みなかみ町の農村風景を愛ちゃんとママと眺めてました。
道の駅たくみの里に着きました。
小さな道の駅かと思いましたら、陶芸の家、ガラスの家、和紙の家なのど見どころたくさんでした。
群馬と言えば、焼まんじゅう。
群馬県民のソウルフードです。
焼まんじゅう、熱いのですが、なぜか暑い夏になると食べたくなるのは不思議です。
愛ちゃん、焼きたてのいい香りでしょ~♪
美味しさを伝えられないので、ぜひ群馬で食べてほしいです。
あ! ここだ!
お目当ての「福寿茶屋」。
手作り豆腐のお店の揚げたての厚揚。
焼まんじゅうは別腹だから、厚揚を食べるぞ!
・・・が、すでに売り切れでした。
道の駅に到着したのが、午後4時30分頃。
足利を出たのが午後2時。
のんびりな愛ちゃん家族です。
気を取り直して、「道の駅たくみ」を 散策しました。
上州、群馬の風景は愛ちゃんが暮らす風景でもあります。
上州群馬の風景は次回に続きます。
お楽しみに~♪
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