団塊亭日常

バリ滞在6年を終え、日本での生活のあれこれ・旅・読書・映画・音楽・回顧・気になるニュース・育児・通信事業関連を

フォト&幻想 ブエノスアイレス 

2017-06-29 15:54:49 | フォト&幻想

2007年2月 ブエノス・アイレス

カナダのトロントを経由してチリのサンチャゴからアルゼンチンのブエノスアイレスに入った。24時間はかかっただろう猛烈に長い旅のあとようやくホテルのベッドの有難かったこと。日本の裏側と言われてみると太陽の輝きも日本と異なっているような錯覚を覚えた。当分の間鏡の裏側の世界に来たような妙な気分であった。

ホテルは大通りに面しているが、普通の事務棟だ。入口の共通フロントにはガードマンがいる。本当にこれがホテルかと疑いながらエレベータで昇り、オフィスの階に降りたが雑居ビルのたたずまいだ。やっとなんの表示もないドアノックすると入れと言う男の声があり、ドアを開けると雑然とした部屋に若者が4名パソコンに向かっている。小さなオフィスだ。

「ホテルの予約をネットで行ったものだけど、この部屋でいいのかな」ホテルのフロントを思い浮かべていた私は面食らいながら確かめてみる。旅行代理店とのコミュニケーションができていなくてすんなりとはいかずに時間をとられる。

「どうぞ、部屋は4階の405号室で鍵はここにあるよ。ここがフロント代わりで夜は誰もいなくなる。なにかあったらここに電話して」

と二十歳すぎの男性に一枚の紙を手渡される。10代後半の女性がドアから入ってきた。午前と午後の引き継ぎをするのだという。若者たちだけでホテルもどきを運営している様子だ。

「このあたりにはこんな風なホテルが多いの」

「いや、ブエノスアイレスではここだけだよ。俺達は学生やダンサーなどいろんな職業を持っている。わずかな資金を出し合って起業したってことだよ。そんなに儲かるわけじゃないがアルバイトよりもましってところかな。早く起業したいんだ。」

それにしてもホテル業の登録とかは一体どうなっているのだろうと疑問が頭をかすめるが、アルゼンチンはデフォルトになった国だと思いだして言葉を飲み込んだ。




アルゼンチンは2001年に約1000億ドルの債務の返済ができなくなり、最初のデフォルトに陥った。この年2007年も報道で知るかぎりこの国は崩壊寸前に見える。しかしこの青年の表情はあっけらかんとしている。夜になると街角のレストランでワインを楽しそうに飲む人々や、店のショウウィンドウには商品があふれている。なんだか予想と違う。

 2003 年から 12 年半続いたペロン党政権下でアルゼンチン経済はひどいことになっていると聞かされている。通貨ペソはこの頃(2007 年)には 1 米ドル=3ペソ程度だったがその後2015 年には9.5 ペソまで下落することになる。インフレ率は2010年には実態的には 20~30%に達していたと見られる。

「このあとカラファテに行く予定なんだかがおすすめのホテルはあるの」

「カラファテ、任せなさい、俺の故郷だよ。でも仕事が無くブエノス・アイレスまで出てきたんだ」

「へえ、そうなんだ、じゃあ予約をお願いする」

「カラファテ空港は風が強くてヒヤヒヤものだが大丈夫。今まで一度も事故はないから。ところでタンゴはどうする?アルゼンチンタンゴを見ないとブエノスアイレスに来た意味は無いよ。ほら今入ってきた女性、彼女もタンゴの踊り子だよ。昼は学生でここでアルバイトしながら夜はマデロ・タンゴで踊っている」

改めて眺めると彼女はこちらに向かって微笑む。熱狂と幻影のブエノスアイレスが楽しめる。

「じゃあマデロ・タンゴの予約もお願いする」

「ここからすぐ近くにあるよ。夕方の6時ごろに行くと良い席が取れる」

部屋はこざっぱりとしていたので一安心して眠り込む。街を歩いてみるとどうも太陽光線が薄いような気がする。これがどうも別世界にきた感じを抱かせるようだ。

 

 ブエノスアイレスの夕暮れどきを歩いてタンゴのレストランに向かう。 ブエノスアイレスの夕暮れ、真夏なのに日が薄い。街に青いペイントが多いせいかもしれないがそれだけではなさそうだ。日本の反対側に来ているという知識も影響している。シンクの水が日本と反対の向きに渦をつくる。鏡の向こう側に来てしまったのだ。

 

ホテルの手配で迎えの車で出かけた。立派なレストランシアターについた。まだ客はちらほらで席に着くとCDなどを売りに来るのが結構うるさい。そのうちにラスベガスのショーマンのような服装を身につけた老夫婦が隣の席に着いた。たぶんアメリカ人で服装で気分を盛り上げているのだ。見ていて楽しい雰囲気づくりはさすがだ。

特に感動もない食事が終わりショーが始まる。ラ・クンパルシータ 、リベルタンゴ、アディオス・ノニーノ、ブエノスアイレスの冬、ポル・ウナ・カベーサ、シュニトケ『タンゴ』、パジャドーラ、エル・チョクロ・・・曲が続きタンゴの世界に吸い込まれる。

最後のとりで踊る男性は圧巻でプロフェッショナルな技と気迫を堪能し、地球の裏側まで見にきた甲斐があったと思わせるものがあった。毎日のショーでマンネリ化しているのも中にはいたが舞踏家の志の高低が表現にでる。

圧巻の男性舞踏家の踊りは一言でいうと異界に飛んでいる。この世からぶっ飛んだ世界に行ってしまっている。踊りで神の世界と交信している。バリのケチャダンスでもそのような踊りを見せる人がいるが、とても近いものを感じた。

「安らぎと屈辱と恐怖を感じながら彼は、おのれもまた幻にすぎないと、他者がおのれの夢を見ているのだと悟った」舞台からボルヘスが語りかける。 ブエノスアイレスは非現実が身近に感じられる街だ。特にタンゴを見ているとそう思う。

 

舞台が終わり帰路につく。時計は2時を指しているが通りで危険はなさそうだ。ホテルに向かって歩く。ホテルのフロントにいた女性は照明と化粧のせいで舞台では見つけることができなかった。

ホテルの隣のカフェに入り席につくと壁の向こうからフリオ・コルタサルのポートレート写真がアルゼンチンがペロン党左翼政左派政権の国だと語りかけてくる。両切りのタバコを咥え眉間に深いシワを載せたフリオ・コルタサルのポートレートだ。1936年にブエノスアイレス大学に進学する。カストロを支持し1984年に死んだ。

パブロ・ネルーダ 百の愛のソネットがいまだに似合う街だ。

そしておれは要求する すべての人たちに パンを
よい暮らしを 不幸な農民たちに 土地を
誰もおしとどめることのできぬ おれの血と歌で
だが 死ぬことなしには おまえの愛はあきらめられぬ

 

2017年2月

アルゼンチン政府は2001 年の通貨危機の際に対外債務デフォルトに追い込まれ、2015 年に大統領選挙で野党中道右派のマウリシオ・マクリ候補がペロン党候補を破り、2016 年 2 月に米国の投資ファンド側と和解し、デフォルトは解消された。

ひょっとして今でもあのカフェにはフリオ・コルタサルのポートレートが貼ってあるのだろうか、貼ってあればインフレは進行しマクリが退陣し再びポピュリズム政権が誕生する可能性もある。

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