団塊亭日常

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米国ヤフーの消滅と孫氏の先見の明

2017-06-15 12:07:20 | 気になるニュース

 2017年6月13日、米国ヤフー中核事業がが、米ベライゾン・コミュニケーションズに買収され手続きを完了した。1995年、インターネット勃興期に発展した米国ヤフーは「アルタバ」と社名を変え、ヤフージャパンとアリババの株式管理会社となって23年の歴史の幕を閉じることになる。米ヤフーは売上高ではなく実感的な勢いで言えば2000年当時が勢いのピークで、その後グーグルに敗れたことになる。この記事によって私のソフトバンク勤務時代の記憶が呼び覚まされた。 

1995年、創業したばかりの米国ヤフーを米国調査会社を通じて見出した孫氏がシリコンバレーに行き、出資を決めた。シリコンバレーのホテルで興奮した孫氏がはだしで廊下を歩いていたという当時の逸話を社内の古株から聞かされたことがある。

孫氏が出資した米国Yahooは数年で10兆円企業になる。私がタイタス・コミュニケーションズに転職した年、1996年に日本でもヤフーのサービスが始まった。このころ孫氏の弟、孫泰蔵氏も東大の学生ながら設立に参加している。

ヤフーは宮坂学氏が代表取締役社長 兼 CEOに就任した。2002年頃から孫正義氏が考え始めていたことだと思う。2002年頃、Yahooのトップ画面変更を巡って、あるいは認証の問題を巡ってYahooの経営方針に不満を表明したことがある。「このまま反対しているとソフトバンクグループ全体の利益を守るために、重大な決断をせざるを得なくなると伝えて置いてほしい」と経営会議に出席していたN氏に申し伝えたことがある。又、「Yahooは今のままでは必ず10年後には落ち目になる。アメリカでは既に落ち目だ。大きく変更していかないと大変なことになる」とも述べていたことなどが記憶にある。

その言葉の凄さに驚いたが当時それを聞いた幹部全員が米国yahoo凋落の予言などピンときておらず、当時正念場のADSL事業へのyahooのさらなる協力を迫る意味だと思い違いをしており、この警告を聞き流していたと思う。当時からヤフーの経営方向そのものに危機感を持っていたのだと思う。(ヤフー幹部NとK氏に対して間接的に伝えるのみで井上氏に対しては直接の注意はなかった。一種の配慮だったと思われる)

ヤフーは2000年にグーグルの検索エンジンを採用し、世間は驚いたものだ。つまりライバルのエンジンを採用するという方針決定だ。トヨタがベンツのエンジンを採用するといったノリになる。採用に当ってヤフーはベンツでなくダイハツ程度と思っていたのだろうかとも思う。さすがに不適切だと思ったのか表立った発表はなく静かに自社製に切り替えることになる。このことが下降への決定打となったのではないか。

 

同じくこの日経記事で1999年から2000年にかけて米イーベイとヤフーの合併話で覚書の調印までいったが合併契約の直前でご破産になったことを日経の記事が伝えている。

このころのある日の夜7時頃、孫氏と近くのロイヤルホテルでの交渉を終えたイーベイCEO、メグ・ホイットマン女史は日本橋にあったソフトバンク本社の二階にあった仮設社長室を訪れてきた。当時孫氏は高層にある社長室をこの狭い部屋に移転して陣頭指揮をとっていた。2階には実験の為の配電盤などが所狭しと並び、寝泊まりするスタッフのために巨大な電気炊飯器までが置いてあった。

社長室の扉のすぐ前に席があり、そこで仕事をしていると小柄だがガッチリした体格のメグ・ホイットマン氏が孫氏に引率されて部屋に入った。しばらくすると「宮本さん、ちょっとメグ・ホイットマンさんと電話で話してくれない」と部屋から顔を覗かせていった。当時インタネット電話ボイップの開発にも力を入れていて音質をメグ・ホイットマンさんに聞いてもらうためだ。私は席から彼女に話しかけた。孫氏からとっさに言われたので「can you speak english?」とジョークを喋ってみたところ彼女は弾けたように笑いだした。まずは成功したわけだ。彼女は上機嫌だったのでまだ交渉が決裂する前かもしれない。

 1998年3月、従業員数30人程度の規模だったeBayの社長兼最高経営責任者に就任し退任する2008年3月までに世界的なインターネットオークション会社に成長させたこの会社に目をつけたのはさすがだがうまく行かなかった。推測だが交渉を仲介した米国人の人選の失敗だったかもしれない。

孫氏はアマゾンについても先見の明をもっていたことを思い出した。1997年に情報通信21世紀ビジョン(21世紀に向けて推進すべき情報通信政策と実現可能な未来像)という電気通信審議会研究会(那須東京電力会長が委員長)が開催され、このサブ研究会に当時の会社の社長の代理で数回出席したことがある。委員は齋藤忠夫東大教授、立川ドコモ社長、キャスター野中ともよさん、千本慶応大学院教授、孫ソフトバンク社長(いずれも当時)それから慶応大学ビジネススクール教授であった。郵政省は天野電気通信局長、団氏などの幹部が出席していた。きたるべき2010年の情報通信ビジョンを様々な切り口でまとめようと意図した研究会だ。

この会合の何回目かでアマゾンの経営スタイルと株価の話が出た。当時のアマゾンは赤字を続けていたが株価は高くなっていた。研究会メンバーである慶応大の教授がこのような赤字会社の異常な株価は本来バブルであり、あってはならないものだと批判した。それに対して孫正義氏は未来の成果を先取りするのが株価であり、正常な株価であると反論した。経営学の学者が考える株価と実務家の考える株価に対する考え方が伺えて興味深かった。現在の結果から振り返ると孫正義氏の方が正しかったということになる。(アマゾンは1995年から2001年まで単年度赤字が続き2002年にようやくゼロベースになりその後黒字が続いている)

 こうして数々の歴史的先見の明を感心してみた。しかし巨大会社になったソフトバンクの運営が孫氏一人の先見性に追っているということも誰もが知っている事実であり、この根源的問題に対し孫氏がどのように先見の明を見せてくれるのだろうか。(少なくともニケシュの採用にあたっては先見の明のひらめきはみられなかった)

参考

 小売業界では米アマゾン・ドット・コムが急成長、自動運転でもIT(情報技術)企業の動きが目立つ。米国の変化はダイナミックだが、日本も多くの産業でIT化が進めば、競争環境が急変する時代に入ったことを肝に銘じたい。

 業績が悪化したヤフーは人員削減を進め、社員は2007年の1万4千人超から約4割減った。米フェイスブックなど成長企業への社員の転職や、起業も目立つ。

 今年4月に株式を上場したビッグデータ処理ソフトの米クラウデラは、ヤフー出身者が設立に関わった一社だ。設立から10年足らずで社員が1500人に迫る規模まで成長し、時価総額は円換算で2000億円に達している。

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