団塊亭日常

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ショーペンハウワー「意志と表象としての世界」ニヒリズムからの脱却 その5

2017-05-18 17:30:46 | 映画・音楽・読書

ショーペンハウワーは共苦に救いを求めこれを芸術に見ている。ショーペンハウワー「意志と表象としての世界」ニヒリズムからの脱却 そのでラファエロ、夏目漱石などを引用して共苦の理解を試みたが、林武や上村松篁、ゲーテの文からショーペンハウワーの満足感、さらにドストエフスキーのカラマゾフの兄弟のミーチャの行動を見ることで共苦の理解をさらに深めることができそうだ。

林武の場合。

 そのとき僕は、歩きなれた近くの野道をぼつぼつと歩いてゐた。すると突然、いつも見なれてゐた杉林の樹幹が、天地を貫く大円柱となって僕に迫ってきた。それは畏怖を誘ふ実在の威厳であった。形容しがたい宇宙の柱であった。僕は雷にうたれたやうに、ハアッと大地にひれ伏した。感動の涙が湯のやうにあふれた。 同時に、地上いっさいのものが、実在のすべてが、賛嘆と畏怖をともなって僕に語りかけた。きのうにかはるこの自然の姿――それは天国のやうな真の美しさとともに、不思議な真魔のやうな生命力をみなぎらせて迫る。僕は思はず目を閉じた。この実感をなににたとへよう。僕はまさしく実在を霊感したのだ! さうだ、これはいくらむづかしからうと、描かねばならない。あの見えるものを画布に表はしてやらう。僕はさう思った。沙羅双樹にときならぬ花が咲き出たとは、かかる現象であったらうか。その美しさはただただはるかに言語を絶するものであった。僕は実に“美”といふものを見た!

  僕は狂ふやうな歓喜の世界にゐた。手の舞ひ足の踏むところを知らなかった。――われ世に勝てり! 僕は心でそう叫んだ。 その翌朝、僕は戸だなから絵の具箱をとり出した。それから、朝から晩まで、その感動を画面に追求する生活が始った。 夜は、名画といはれてゐる古今東西の複製の画集を眺めた。そして感じることは、すべての名画が、僕の見たあのものを、表はしてをり、それ以外ではないといふことだった。

 こうして僕は絶対の自信を獲得した。おまへは絵を描くよりほかに道はない、といはれてから十余年。二十五歳になってゐた。そして、僕のそばには、僕が女神と仰ぐ新妻がゐた。 林武『美に生きる』講談社

上村松篁の場合。

昭和二十八年の夏、私は不思議な体験をした。満五十一歳を目前にして、初めて「自然の本体」に触れ、「自然の声」を聞くことができ
たのである。奈良・平城の画室から四,五百メートル下におりた村道のわきに里芋の畑があった。私は一ヶ月ほど前から毎日、その畑へ通って朝から晩まで大きな芋の葉を写生していた。


里芋の葉は形が単純なのに描くのは意外に難しいが、同じ所で一ヶ月も写生し続けていると目が洗練されてくる。夾雑物が取り払われて、
エキスだけが見えてくるようになる。邪魔なものは何も見えず、芋の葉の「美の構成」だけがピチッと見え始めた七月のある日のことだ。カンカン照りだったその日も朝から芋畑の中に三脚をすえ、腰かけながら芋の葉をあかず写生した。「もうこれで十分写生できたなあ」と思って腕時計を見ると午後四時である。日没までにはたっぷり時間もあるし、まだ帰るには早すぎる。芋の葉のどこを見ても美しく感じられ、楽しいものだから再び写生を続けた。


そうしているうちに、かなり離れた所からサラサラ流れる水の音が聞こえてきた。日照り続きだったので農家の人が水路の堰から畑に水
を入れているのかと思った。ところが、その水音はだんだん大きくなり、こちらに近づいてくるように聞こえるのに、実際に里芋の畑にま
で水が流れてくる様子は全く見えない。やがて、海の風のように量感のある風が吹いてきた。分厚い感じの風でる。汗のにじんだシャツのボタンをはずし、その風を胸に受けながら写生しているうちに、気が遠くなっていった。その時、夢うつつのうちに聞こえてきた水の音は、ザーッという風と波の音がまじったような大きな音になり、私の体を包み込んだ。その忘我の状態が二十分ぐらい続いていただろうか。ふと気がつくと私は芋の葉に向かって腰かけたまま合掌していた。心から「ありがたいなあ」という気持ちが湧いてきて、涙が流れた。今の今まで四十年近く絵の勉強にはげみ続けてきたのは、この境地にめぐりあうためだったのか――そんな満足感もあった。ありがたくて、うれしくて、わくわくしながら私は三脚をたたんで脇にはさみ、村道を上がって家に帰った。まるで恋人に出会ったような喜びに心を躍らせて、その道を歩いたのだ。


なぜ、あんなにうれしかったのだろう、と考えてみた。自然の生命がわかった喜び、自然の本体に触れた感動ではないかと思った。「実
在を知った喜び」とも「霊気に触れた感動」とも言えるだろう。体を包み込んだあの海鳴りのような音は、私を忘我の恍惚境に導く「自然
の声」だったのに違いない、と自分では考えている。奈良の丘陵のふもとにある芋畑での体験である。本当の海鳴りが聞こえたり、海の風が届いたりするわけがない。とにかく不思議な現象で、言葉ではうまく表現できないが、私はあの時、確かに自然の本体、実在に触れたのだ。

 

ゲーテの場合

私は流れおちる瀬のほとりの背の高い草の中に臥して、大地にちかく寄り添いながら、さまざまの小さな草にむかって好奇の目を瞠る。ならぶ茎のあいだの小さな世界のうご めき。這う虫や飛ぶ虫の無数の姿。これらのものに心うたれながら、私はただちに感じる、おのれが姿に象ってわれらを創造したまいし全能なる者の現前するを。また、われらを永遠の歓喜のうちにただよわせつつ支え保つ、一切を愛する者の息吹きを。さらに、友よ、やがて時も移って、わが双の目のほとりはたそがれ、天も地もさながら恋人の面影のごとくにわが魂の中に安らう。

このようなとき、私はしばしばあくがれ、思う。「ああ、かくもゆたかにかくもあつくわが心の中に生きているものを、描きだすことができたら。画箋の面に浮かびあがらせることができたら。わが魂が無限の神の鏡であるとおなじく、その紙をわが魂の鏡であらしめることができたら!」

さあれ、友よ、私はこれによって滅ぶ。私はこの壮麗な現象の力に圧倒されてくずおれる。

  これまでに多くの人が、人の一生は夢にすぎない、と考えた。そして、この思いは私にもつねにつきまとって離れない。活動したり探究したりする人間の力には、限界があって制約されている。すべての人の営みは、しょせんはさまざまの欲求を満たすためのものだ。しかも、この欲求とて、そのねがうところはただ、 われらのこの哀れな存在を引きのばそうとするにすぎない。探究があるところまで達したとて、そこで安心を得ているのは、夢を描いての諦念にほかならず、おのれを囚えて閉じこめている四つの壁の面に、彩ある姿やあかるい風景を描いているのだ。

こうしたことすべてを見るとき、ウイルヘルムよ、私はただ口を噤むよりほかはない。私はおのれが心の内面にたち返って、ここに一つの世界をみだす! 具象化されたもの、はた生きて働く力よりも、むしろ予感とおぼろげな希求のうちに、いつもながらわが世界がある。ここにあってこそ、万有はわが感覚の前に漂い、私は夢みつつこの世界にむかってほほ笑みかける。若きウェルテルの悩み 竹山道雄訳

ドストエフスキーのカラマゾフの兄弟ではミーチャに次のように語らせている。ドストエフスキーがショーペンハウワーの影響を受けたかどうかは知らない。しかし次の引用は共苦そのものであり、さらにショーペンハウワーには見られない救済にまで踏み込んでいる。ドストエフスキーは共苦のさらに向こうに救済を行動に起こすことで厭世的世界観から脱却しようとしたのではないか。

「なぜあの時、あのような瞬間に、おれは『赤子』の夢を見たんだろう?『なぜ赤子は可哀そうなんだ?』 あの瞬間、あれはおれにとってお告げだったんだよ!『赤子』のためにおれは行く。なぜなら誰もがすべての者に対して罪があるんだからな。すべての『赤子』のためにさ、というのは小さい子供達と大きい子供達がいて、みんなが『赤子』なんだよ。みなのためにおれは行く。なぜなら誰かがみなのために行かなければならないからさ。おれは親父を殺しはしなかった。でもおれは行かなければならないんだ」

 

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