団塊亭日常

バリ滞在6年を終え、日本での生活のあれこれ・旅・読書・映画・音楽・回顧・気になるニュース・育児・通信事業関連を

15歳秋のキューバ危機とフィデレ・カストロ

2016-12-08 17:59:09 | 気になるニュース

 

15歳の秋の日中に私は部屋でラジオを聞いていた。ということは土曜日か日曜日ということかもしれない。キューバ危機が報じられていた。小さなラジオから切羽詰まった声でアナウンサーがキューバ危機を実況放送している。ソ連の軍艦が引き返す瞬間が緊張のピークを。11月25日フィデレ・カストロ死すの報道はそのときの部屋の光景をありありと思い出させた。キューバ危機の中心にはケネディとフルシチョフがいたがもう一人当時35歳のフィデレ・カストロがいたのだ。

韓国のTHAAD配備が実行に移されるとき中国の対応は果たしてどのようなものになるか。この時に近いものになる可能性もないわけではない。まさに世界は一触即発の危機にあることを思い出させてくれる。

 

1962年10月14日旧ソ連はキューバに核搭載可能な弾道ミサイルを持ち込んだ。

ケネディ大統領は22日夜、テレビ演説を行い、攻撃的兵器が運び込まれるのを防ぐため、キューバ周囲を海と空から海上封鎖することを宣言した。ソ連はすでに機材と武器を積んだ艦船をキューバに向かわせていたので、アメリカの海上封鎖を突破しようとすれば米ソ間の直接衝突となり、核戦争の危機が迫った。

10月26日、フルシチョフは、アメリカがキューバに侵攻しないと約束するならミサイルを引き上げると伝えた。

27日午前にホワイトハウスの国家安全保障会議が開かれた。回想によると国務長官マクナマラは、この日が生涯最後の日になると覚悟したという。またフルシチョフも妻にただちにモスクワから脱出するよう電話したという。

正午にはU2機がキューバ上空で撃墜されるというニュースが入り、軍部はキューバ報復を主張した。しかし午後4時、ケネディは報復攻撃を行わないことと、フルシチョフの提案を受け入れることに決した。

10月27日土曜日に合意が成立して危機は回避された。

 

 

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