まさおレポート

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ヴェネツィア紀行2 有翼の獅子

2017年05月17日 08時45分56秒 | 旅(世界と日本)

 ヴェネツイアとフィレンツエは、性格のまるで違う二人の人間のようだ」と書いたのは、フィレンツエの人マキャベリである。

まったく、ルネサンス文明の担い手とされるこの二つの共和国は、同じイタリア人の手になった国かと疑うほどに違っている。

塩野七海 海の都の物語

サンタルチア駅。ここから水上バスに乗る。

サンマルコ広場入り口に立つ有翼の獅子像。9世紀、ヴェネツィア商人はアレクサンドリアにあった聖マルコの聖遺物をヴェネツィアに持ち帰った。以来ヴェネツィアの守護聖人は聖マルコとされ、聖マルコを表す有翼の獅子もヴェネツィアを象徴するものとなった。12世紀頃、円柱に有翼の獅子像がおかれた。

サン・マルコの鐘楼(伊: Campanile di San Marco)

ここにも有翼の獅子。右はサンマルコ大聖堂のバルコニーにある馬の彫像。

聖母子像と有翼の獅子。

ドカーレ宮殿正門のゴシック様式、ポルタ・デラ・カルタ=布告門の有翼の獅子は人の顔をしている。カルトロメオ・ボン作、1438年~1442年。

 天井画。

 鐘楼の鐘つき像

 天井画

 キリストの誕生。翻波式の衣。

浮き彫りのある柱頭

 

聖マルコ大聖堂。

私を取り囲むすべてのものは貴重なものばかりである。それは総合された人力の偉大にして尊敬すべき作品であり、一君主のではなくして、一民族の作りなした立派な記念碑である。 ゲーテ イタリア旅行

  

 ドカレ宮殿、アダムとイブの浮き彫りのある柱。1344年頃フィリッポ・カレンダーリオが製作。宮殿の主席建築家であったが乱に連座し10人とともに窓から吊るされた。

ドカレ宮殿、元首公邸は国会議事堂と首相官邸がひとつになったようなもの。要塞のようなフィレンツエのパラツオ・ベッキア市庁舎と対照的だ。フィレンツエはメジチ家、ヴェネツイアは共和国がスポンサーとなりこうした建築やその他の芸術を生み出した。

渦巻く 光のトンネルを抜ける現象を描くボッシュの絵はこのドカレ宮殿にある。 Ascent of the Blessed  Hieronymus Bosch 1505 1515 Palazzo Ducale, in Venice, Italy.

コレール美術館

サンマルコ大聖堂の海側に2本の角柱アクレの柱が立つ。コンスターチノープルの聖ポリエウクトス聖堂から略奪した。

コレール美術館の前。

ドカレ宮殿、元首公邸、薔薇色のヴェローナ産大理石、華奢な柱の柱廊。

 聖マルコ大聖堂、黄金の有翼の獅子。2頭の馬の彫像も。

 つるつるの獅子に乗っかる子供

 サンマルコ広場のカフェ・クワードリ。コレール美術館が見える

 サンマルコ大聖堂の鐘楼、1515年に完成、8の鐘が乗る。 この上にも有翼の獅子が

 ここにも獅子が

 ここにも獅子が。 

カ・ドーロ、ゴシック建築、音楽家が購入し国に遺贈され国立美術館に。 ここにも獅子が

サン・スタエ教会、1107年建設され1678年に再建、バロック音楽のコンサートホールに使用されている

サン・シメオン・ピッコロ教会、ティントレットの最後の晩餐がある

 

 巨大な紋章の浮き彫り

ベネチアは何故木の杭の上なのに沈まないのか

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