まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

誤審との闘い

2012-11-04 13:04:22 | 人間文化論
「文化創造論」 の授業で、誤審をなくすために機械化できるところはどんどん機械化し、
例えば野球だったらストライク、ボールの判定なんて、
赤外線とかでストライクゾーンを照射し自動的に判定できるようにしちゃえばいいのに、
と言ったら多くのスポーツマンの方々から反感を買ってしまいました。
人間は不完全で間違えるもので、その人間が審判をするからスポーツは人間的でいいんだ、
というような意見の方が大半を占めているようでした。
うーん、けっこうみんな物わかりがいいんだなあ。
ぼくなんかはスポーツって素人には絶対にマネできないような、
人間離れした技術を見せてもらえるから面白いんであって、
例えばストライクゾーンぎりぎりに投げ分けるコントロールそのものを楽しみたいから、
それはもう神のような正確さできっちりとストライク、ボールの判定をしてもらいたい、
と思ってしまうのです。
サッカーだったらオフサイドぎりぎりで飛び出してパスをもらってシュートする、
みたいなそのギリギリ感を楽しんでいるのに、
ちょっとしたジャッジの匙加減で、こちらのチームのときにはオフサイドを取り、
あちらのチームのときにはオフサイドにしないなんていう人間的なジャッジがいると、
スポーツそのものの醍醐味がすべて失われてしまうような気がするのです。

どちらかのチームを有利にするようわざと不公正な判定をするなんていう、
スポーツそのものを冒瀆しているような審判のことは今回は無視することにしましょう。
(そんなことを一度でもしたやつは永久追放にすればいいだけのことです)
問題は、今回の危険球退場事件のような場合です。
審判は一度はファウルと判定し、抗議を受けて危険球退場に判定を変えました。
審判も人間ですから間違うことはあるし、見落としてしまうこともあります。
審判自身にもよくわからないということはよくあることでしょう。
問題はそういう場合にどうするかです。
どんなことがあっても審判は絶対だ、という倫理を押し通すことも可能でしょう。
だとしたらいかなる場合もジャッジに対して抗議をしてはならないことにすべきです。
選手であれ監督であれジャッジに文句を言ったら即刻失格ないし退場にしてしまえばいいのです。
しかし、実際にはそんなふうに定めているスポーツは1つもありません。
審判も人間であり間違うこともありうることを認めるということは、
審判の判定に対して異議を唱える権利は残されていることになるのです。

だとしたら、可能な場合には必要に応じてビデオ・チェックをするようにしたらどうでしょう。
たしかにインプレイ中の個々の判断をいちいちビデオ・チェックするのはムリでしょうから、
サッカーのオフサイド判定とか野球のアウト・セーフの判定に取り入れることはできないと思いますが、
今回のような死球かどうかの判定であれば、プレイは止まっているわけですから、
その間にビデオを確認するくらい簡単なことだと思うのです。
両チームの監督が交互に抗議にやってきて、両者が納得して引き下がるまで審判が説明を続ける、
なんていう時間を費やすくらいなら、とっととビデオを見たほうが早く試合を再開できると思うのです。
審判にとってだって、試合が終わった後スポーツ・ニュースの時間に何度もビデオを流されて、
「世紀の大誤審」 だとか 「喝だ、喝!」 だなんていつまでも言われ続けるより、
よっぽどすっきりするのではないでしょうか。
怪しいケースに関してちょっとビデオで確認するくらいのことで審判の権威は下がらないと思うのです。
「あの」 相撲ですらビデオ確認を取り入れていますよね。
あれだけ権威主義的な旧態依然とした組織を未だに維持し、
審判 (行司) は万一の誤審に備えて切腹用の短刀を携えて土俵に上っているという、
あの相撲がもうものすごく早い段階からビデオ・チェックの制度を整えているのです。
他のスポーツでできないことはないでしょう。
不正確なジャッジを下してあとから証拠を突き付けられて槍玉にあげられるほうが、
よっぽど審判の権威を低下させてしまうように思うのです。

そして誤審は、先に論じたアンフェアプレイと同様、スポーツ離れをも引き起こすように思われます。
ロンドン・オリンピックでも多くのミスジャッジがあり興ざめでした。
こちらとしては最高の舞台での最高のプレイを期待しているのに、
選手たちの長年の努力と鍛錬の成果が、未熟なジャッジにより邪魔されて、
彼らのプレイではなく誤審ばかりが後世に語り継がれていくというのは残念でなりません。
スポーツの主役はジャッジではなく選手たちとそのプレイであるべきです。
彼らの最高の技と力を引き出せるよう、現代において利用できる技術はどんどん取り入れ、
正確で素早いジャッジを下せる体制を、すべてのスポーツは確立していくべきではないでしょうか。


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