まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.哲学をやっていて自分はこんな人間だとわかったりするんですか?

2009-09-06 18:04:30 | 哲学・倫理学ファック
うーん、これもイタイ質問だなあ。
教職につきものの危険性(その1)で、教師はウソを教えちゃいけないけど、
知らない人、わからない人に教えてあげるときには、
その人たちにわかりやすい説明をしてあげようとすることになり、
結果として正確ではない話をしてしまうことがありうる、と書いたことがあります。
この質問は、まさに私が正確ではない話をしてしまったがために、
皆さんの中に生じてきてしまった誤解に基づく疑問ですね。
この誤解を解いて正しい理解をしてもらうのはたいへん難しいので、
今日はさしあたりのお答えだけしておきたいと思います。

看護学校で (=哲学に関してまったくの素人の皆さんの前で)「哲学」 を教えるとき、
1時間目は 「汝自身を知れ」 というテーマで始めることにしています。
「汝自身を知れ」 というのは古代ギリシアのデルフォイの神殿に刻まれていた銘であり、
ソクラテスはこれを自らの哲学の最重要課題として位置づけました。
その意味で 「汝自身を知れ」 というのが哲学にとって由緒正しい課題であることは事実です。
ただし、この言葉の真意を伝えるのは至難の業ですので、
私の授業では、まず皆さんに、自分の生きるうえでのモットー (生き方の原則) や、
現在の自分の関心事などを書き出してもらうことから始めています。
次に5~6人のグルーブを作り、グループの全員について、
その人がどんな人なのか書いてあげる、というグループワークをしてもらっています。
みんなから書いてもらったことを読んでみると、
自分がそう見られたい、そう見られているだろうなと思っていた、
その通りのことを書いてもらっている場合もあるけれど、
逆に自分がそんなふうに見られているとはまるで思っていなかったような、
意外なことが書かれているという場合もけっこうあるわけです。
そういうワークを体験してもらったうえで、
ジョハリの窓」 の話とかをしてあげると、
けっこう自分で自分のことを知らない人が多いのか、
みんなが一気にこの哲学の授業に食いついてくるわけです。

ただし、この 「ジョハリの窓」 というのは心理学の世界の話ですから、
これ自体はまったく (ほとんど?) 哲学的な話ではないのです。
いちおう私の授業の流れでは、
最初のワークや 「ジョハリの窓」 はたんなるマクラであって、そこから、
デルフォイの神殿の話やソクラテスによる哲学の捉え方の話に入っていき、
哲学の世界で言う 「汝自身を知れ」 とはどういうことなのかについても、
それなりに説明しているつもりなのですが、
多くの人はその肝心な部分がすっかり抜け落ちてしまって、
マクラの部分だけを記憶に残してしまうようなのです。
それで冒頭のような質問が生じてきてしまうわけですね。
他にも 「哲学と心理学はどう違うんですか?」 なんていう質問もよくいただきますが、
これも、「哲学=汝自身を知れ=自分のことを知る学問=心理学」
という図式が成り立ってしまったがゆえの質問だろうと思います。
どちらの誤解も私の不徳の致すところで、本当に申しわけないかぎりです。

実を言うと、ここ数年は、こういう誤解を生んでしまっているのは承知の上で、
授業の流れは全然変えずにいます。
というのも、「汝自身を知れ」 というテーマはそれほど本格的に取り上げるつもりはなく、
看護学校の 「哲学」 では、「死」 というテーマを中心に扱っていくつもりなので、
あまりにきっちり説明して哲学に飽き飽きされてしまうよりも、
少々誤解されたままでも、なんとなく哲学に興味をもっていてもらうほうがいいかな、
などとやましいことを考えているからです。
若者にとって心理学というのはなぜかとても魅力的な学問らしいので、
その人気のおこぼれにあずかろうという、さもしい作戦です。

さて、それでは冒頭の質問にはどうお答えしたらよいでしょうか。
とりあえず次のような玉虫色のお答えをしておくことにいたしましょう。
玉虫色ですのでいつもよりもはるかに長いです。

A.哲学において 「汝自身を知れ」 と言う場合、
  1人1人の人間の個別性に目を向けるよりも、
  一般的に人間とはどのような存在者なのか、という普遍性に目を向けがちですので、
  哲学をやっている人みんながみんな、
  自分はどういう人間なのかという個別的な自己認識に優れているわけではありません。
  しかしながら、一般論として人間とは何かについてわかってくれば、
  それに基づいて自分の生き方を考えることもできるようになってくるわけですから、
  自分がどんな人間かわかっている人もそこそこいるのではないでしょうか。

うーん、玉虫色だぁ。
こう書いておけばあまり同業者を敵に回さなくてすむだろう。
最初の草稿では、
「A.哲学をやっている人はみんな哲学的大問題に心を奪われているので、
 自分がどんな人間かなんてそんなチャチなこと誰も考えていないし、
 だからいくら哲学をやっても自分のことなんてまったくわかるようにはなりません。」
と断言していたんですが、いくらなんでもそれは言い過ぎでしょう。
私は暴言を吐くクセがありますが、根は小心者なので、
そこまで言い切ってしまうつもりはさらさらありません。
ほーら、哲学やってる私はけっこう自分のことわかってるじゃないですか

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