まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

相馬15期生に病気が教えてくれたこと・まさおさまセレクト

2017-06-15 10:08:17 | 生老病死の倫理学
相馬看護学校での非常勤の授業、最後はムリヤリ詰め込んで、

一気に3コマやって全15回を終わらせたのはよかったのですが、

最終日にはワークシートを2枚も提出してもらうことになってしまい、

その採点がなかなか終わらずに苦労してしまいました。

最後のワークシートはレポートを書くのに必要ですので早く返却してあげたかったのですが、

まる2週間も引っ張ってしまい誠に申しわけありませんでした。

やっとすべてに目を通すことができましたので、大至急送り返したいと思います。

さて、「病気が教えてくれたこと」 のワークですが、

グループ代表作もすべて感動ものの力作揃いでしたが、

代表作に選ばれなかったものの中にも素敵な作品がたくさんありました。

全部載っけてしまいたいくらいですが、何とか厳選して8つに絞りましたので、

それらをご紹介していきましょう。


【タイトル 「お父さんお母さんありがとう」】
約10年前の話である。小学4年のとき、突然、首のうしろに激痛が走った。
数分後、今までにないくらいの頭痛により意識がなくなり救急車で運ばれた。
家族が寝始めるころの時間帯だった。
首の環軸関節が何らかの原因でずれたことによる病気だったため、
リハビリをしながら約1ヶ月入院した。
牽引療法はただ辛く、毎日痛みに耐え泣きながらのリハビリだった。
でも頑張らないと治らないと自分に言いきかせ、必死に治療に取りくんだ。
こんな私を支えてくれたのは家族で、自宅から1時間半かけて毎日きてくれた。
妹も生まれて間もなかったので、わたしの世話との両立も大変だったと思う。
あのときは、「自分だけがツライ」、「なんで私…」としか思っていなかったが、
家族の支えがあったからこそ、治療を受け無事回復することができた。
病気が教えてくれたこと。
それは、”楽しいときやツラいとき、いつもそばで見守ってくれる家族の大切さ” である。


【タイトル 「人の温かさ」】
高校生の時、耳の鼓膜が破れ、聴力が著しく低下し、入院した。
学校の仲の良い友人にだけ入院していると話をした。
治療は24時間点滴で、毎日聴力の検査や脳波の検査がありストレスがたまり、
また1人で入院していることから孤独でつらかった。
そんな時、友人何人かが見舞いにきてくれて、雑誌などの差し入れや、大量の手紙をくれた。
その時、うれしくて、普段から何気なく仲良くしてくれてる友人に感謝し、
そこからより仲も深まった。
その時、付き合っていた彼氏には入院することだけ伝えていた。
すると市内中の病院を探していた。
目の前にあらわれた時はびっくりして涙がでた。
たくさんの人のおかげで、治療に励むことができた。
病気になって人の温かさを知った。


【タイトル 「生きてくれていることのありがたさ」】
祖父が手術で入院した時、いつもの祖父の背中が小さく感じた。いつも通り笑顔を見せ、心配させないように祖父なりに振る舞っている姿に、何も掛ける声は見つからず、そのまま手術室へと向かった。術後の経過も問題なかったが、毎日心配で朝夕見舞いに行った。私は小さいころから祖父に対して、少し距離を感じており、できることなら2人きりにはなりたくないと、家族でも思ってしまっていた部分があった。しかし、入院をきっかけにそんな自分の思いよりも、祖父の不安な気持ちや体の状態の心配が先走り、1日に2回毎日1人で見舞いに行っていた。私は、3年前に突然父を亡くしていることもあり、家族に対してはそれ以来誰1人として欠けてほしくないと強く思っている。入院ということや手術となるととても私自身、死を意識してしまう。祖父の手術はぶじに終え、今は前のように元気に生活している。しかし、あの時私が祖父の手術を終え退院した時感じたことは、今ここに生きていてくれて、笑っていてくれてありがとうということだ。


【タイトル 「無題」】
兄は重度の知的障害とxyy症候群という性染色体異常をもつ、いわゆる障害者である。重度の知的障害により知能は5才児と同じぐらいだけど、今は23才である。兄が高校生ぐらいのとき難病指定されている成人スティル病を発症した。生死をさまよっていた。完治することのないこの病気はいつ再発するかわからない。そのため毎月2回点滴を行ったりステロイド剤など1日15錠を超える薬をのんでいる。ステロイド剤は大量かつ内服して長期間であるため副作用として骨密度はスカスカになっており、骨粗しょう症とも診断されている。きっと兄は長くは生きないと思っている。しかし兄に会いに行くたび兄は両親や私、弟の心配ばかりしている。きっと兄は自分がたくさんの病気がある中で今を生きているとは知らない。だからなのか、それとも本当に良い優しい人なのかはわからないが、他者の心配ができる。そんなことだけどカッコよくて自慢の兄だと最近気づいた。そんな兄が少しでも生きることが幸せだったと感じられるよう、私は家族として医療従事者として支えていきたいと思う。


【タイトル 「祖母の味」】
私は、母親、姉弟、祖父、祖母で1つ屋根の下で今現在も住んでいるが、私の祖母は認知症になりかけており、自分が何をしていたか、財布や携帯、車のかぎなどをどこに置いたかわからなくなり、私たちに 「取った!」、「返せ」 などたまに暴言を吐いたりする。昔は母の仕事の帰りも遅く、祖母がご飯をつくってくれていたり、朝おにぎりをつくってくれたり、私も祖母のつくってくれる料理が大好きだった。しかし最近、昔好きだった煮物をつくってもらったとき味付けが違うことに気づき、それでも祖母は 「美味しい?」 と聞いてくるため、「美味しいよ」 としか返すことができなかった。あんなに大好きだった煮物の味が違う、その他の料理の味も大好きだった味とは違う味になってしまった。料理好きの祖母が料理の味を忘れてしまったことを私の中でも残念に思った。しかし、祖母から教えてもらった煮物を母と一緒につくり、祖母に食べさせたとき、「ばあちゃんの味とそっくりだね、美味しい」 と言ってくれた時は、祖母の中ではずっと変わらない味があるんだと思い、たとえ昔の味とは違っても、祖母の味は祖母の味なんだと思った。そのため昔に教わった料理を今度は私が祖母に作っていこうと思う。


【タイトル 「自分らしく生きること」】
 私の祖母は糖尿病だったらしいが、糖尿病である様子は全く見たことがなかった。食事の制限もしていないし、運動もしない、インスリンを打っているわけでもなく、ただただ自由に暮らしていた。私は祖母に 「どうして治療をしないの?」 と聞いた。すると祖母は 「私にとって食べることは何よりも大切なこと。おじいちゃんももういないし、死ぬまで好きなものを食べていたいの。長く生きたからって大して変わんないよ。」 と言った。結果的に祖母は大腸がんによって亡くなったが、最後までその意志は変わらず、亡くなる当日まで大好きなアイスとキャラメルを食べていた。そしていつものようにお化粧をして笑顔で旅立っていった。
 私はこのことから、「生きる」 ということは病気を治して長生きすることだと思っていたが、本人が満足して 「自分らしく生きる」 ことも同じくらい大切なことだと思った。


【タイトル 「自分のためではなくて」】
 自分は治療を受けてまで生きていなくてもいいのではないかとずっと考えていた。それが決められた運命なら無理に運命を変える必要はないと。でもその考えが真逆に変わった出来事があった。
 私は5年前出産した。元気に泣く姿にとても愛らしさを感じた。しかし、幸せを感じながら抱っこしていた娘の異常を知らせるアラームがなりひびき、医師に娘はつれていかれた。長い時間待たされやっと会えた娘にはたくさんの管がつながれていた。悲しさと同時にどんな事をしてでも娘は死なせたくないと感じ、人生で今まであじわった事のない不安と恐怖を体験した。
 月日がたち今は娘も5歳。他の子と変わらず元気に過ごしている。私はこの子を産んだ時、この子の為ならどんなつらい事があっても、病気になっても治療してでも、この子の為に生きていたいと考えることができた。人は自分のためではなく誰かの為に生きていたいと思えるのだと。


【タイトル 「何年経っても変わらない愛情」】
 何十回、何百回、何年も怒られてきた。その度にぶつかり合って、「自分は愛されていないのか」 と子供ながらに思った。
 成人式を迎えた次の週、インフルエンザにかかった。20歳になり、部屋で1人、何も出来ずただ寝ていることしか出来なかった私は、部屋の前に食事が置かれるのを受け取った。温かいスープに、温かいおかゆ。普段食べている食事はこんなに温かかっただろうか。気付いていなかった。しかしその時の私は食欲なく数口しか食べられず部屋の前に食事を戻した。教育に厳しい母は、普段なら 「残さず食べなさい」 と怒るであろう。だが怒られることはなかった。次の日からは、小さくカットされたフルーツが置いてあった。母は私が食欲がないことを知り、食べられそうなものを選んだのであろう。普段のフルーツが、こんなにおいしいと思ったことがないくらいおいしいと感じた。
 母は、何年経っても母だ。子どもを知る、子どもを観る母の愛を感じた。インフルエンザが完治したあと、私は母に 「ありがとう」 と伝えた。病気から教わったこと。それは何年経っても子どもを思い続ける母の愛情であった。祖母をみて母となった母を、私はみて ”母” になりたいと思う。


いかがだったでしょうか。

どれもグッと来るものばかりでしたね。

他にもご紹介したいものがまだまだあるんですが、

いいかげん腱鞘炎になってしまいそうなのでこれぐらいにしておきます。

このワークをやってみての感想も書いてもらいました。

そちらも名文ぞろいでしたが、3つだけご紹介しておきましょう。

「病気になって感じることはとても多く、日常を平凡に暮らしている中で気づくことは逆にむずかしいと思う。だからこそ、病気になったときにふつうに暮らしているときには気付かないこともあるんだなと思った。クラスでの病気が教えてくれたことをきいて、実際に経験した人がいると思うと涙が出てきた。私だったら絶対耐えられないし生きる希望さえなくなってしまう。そんな経験を胸の中に抱えた友人と今こうして看護師の夢を叶えるために勉強できていることを誇りに思う。」

「今日の授業は今までの授業で一番重い授業だったけれど、一番考えさせられて、気づかされたことが多い授業でした。『病気』 は今まで悪いものとしか受け入れられなかったけれど、エッセイを読んだりクラスの発表をきいて、自分の今までの考えは外からしか見れていないものだったんだなと気づかされました。今日の内容は、人としても看護師としても学ぶこと、心に刺さるものが大きい授業でよかったです。」

「病気はさみしさや悲しさ、怒りや苦しみをみんなに与える。だけど病気によって今までのことが、ほんの少しのことがありがたくてすばらしいことだったと気づかされる。病気は良くないことだけど病気のおかげでいろいろなことが良いことに変化することもあるということを学んだ。こんな授業は最初で最後だなと思うから良かったなと思う。」

元はと言うと、14コマから15コマに1コマ増やさなければいけなくなって、

内容を水増しするために急遽思いついた苦肉の策のワークだったのですが、

今やまさおさまの授業を締め括るにふさわしい名物ワークへと大化けしてくれました。

とりわけ今年の15期生は、みんな若いにもかかわらず重たい経験を積んできた人が多くて、

その分みんな深い学びを得てくれたようです。

2年間一緒に学んでくるなかでもお互いにあまり見せなかったそれぞれの経験を分かち合い、

心新たに、看護師という共通の夢に向かってお互いに精進していってください。
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