まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

フレーリーゲーム

2010-02-05 22:04:21 | 教育のエチカ
待機テーマ第2弾です。
「太陽と月」 の話をしたときに途中でちらっとこんなことを書きました。
「その場で素早く答えるというのは本当に難しいものです。
 授業で学生たちにフレーリーゲーム (これについてはそのうちご紹介します) とかを課して、
 「面接なんかのときのためにも頭の瞬発力を鍛えておかなきゃいけないぞ」
 なんて言っている私へのしっぺ返しがこんなところでやってきたということなのでしょう。」
そのうちご紹介しますと言った手前、フレーリーゲームのことを紹介させていただきます。

ただ、あの記事を書いたときからずっと探しているんですが、
出典が見つからなくて困っています。
フレーリーゲームというのは、授業などのなかで、
参加者にむりやり話させるテクニックのひとつなんですが、
このやり方は何かの本に書いてあったんです。
その本もちゃんと紹介したいなあと思って、
手元にある本をいろいろ引っ張り出してみているのですが、
ゼッタイに載っていそうな本に載っていないんです。
学者の良心としては、ちゃんと出典を見つけてからとも思いましたが、
記憶力に重大な問題を抱えている私は (これについてはそのうち書きますと書きましたね)、
本を見つけなきゃいけないということも忘れてしまいそうですし、
とりあえず書いてしまうことにします。
そのうち見つかったらいずれその本もご紹介することにしましょう (また分割した)。

話を戻してフレーリーゲームです。
学生たちに話し合いをやらせると、グループの中で、
ほとんど、ないしは、何もしゃべらない学生というのが必ず1、2名出てきてしまいます。
それは本人がなかなか自分で口を開けなかったり、
あるいは、グループの中に延々としゃべりまくるやつがいたりと、
原因はいろいろなのですが、とにかくそういうことが往々にして起こりがちなわけです。
そういう事態は、こちらの教育意図に反しますので、
まあ、私としてもグループ・ディスカッションとかをやらせるときは、
「こういうことが苦手な人がいるのはわかるけれども、
 社会に出てから必ず必要になってくるので、今は上手くしゃべれなくてもいいから、
 練習と思って発言するように努力してみてください」
なんて話し合いに参加する意義を説くわけですが、
その理屈を頭で理解できたとしても、苦手な人は実際の話し合いの場面において、
なかなか積極的に話すことはできないわけです。
で、どうしたらいいかなあと悩んでいた頃に、
ある本に出会い、フレーリーゲームを知ったというわけです。

これは話し合いというよりも、全員に強制的に話をさせるゲームです。
やり方は簡単です。
まず、何かテーマを与えて、それぞれの考えを紙に書いてもらいます。
全員が書けたところで適度な大きさのグループを作り、
輪になって座らせ、書いた紙を伏せて置かせます。
で、ランダムでもいいですし、隣の人に渡すのでもいいですが、
紙を別の人に渡します。
この時点ではまだ全員、紙は伏せたままにしておきます。
そして順番を決めて、最初の人から、自分がもらった紙を開いて朗読していきます。
みんなに聞こえるように、少しゆっくりめに話させるといいでしょう。
そして、読み終わったところで、すぐその場でそれに対してコメントをつけていくのです。
1人あたり2分とか3分とかあらかじめ時間を決めておき、
誰かがタイムキープをしてあげて、
制限時間が終わるまでずっと話し続けなければなりません。
そのルールを決めておかないと、すぐに話し終わってしまう人が出てきてしまうからです。
2分とか3分って1人で話そうと思うとけっこう長いです。
なんとか時間いっぱいしゃべったら、次の人に交替です。
そして、一通り回ったところでおしまいにしてもいいですし、
そこから振り返ってフリートーキングをさせてもかまいません。

とまあ、これがフレーリーゲームです。
これは相当きついゲームです。
その場で考えてすぐに何か言うなんて、なかなかできることではありません。
みんな言葉につまってしまって、沈黙しちゃったりしていますが、
まあ、それはそれでかまいません。
上でも述べたように、これは練習ですので。
面接とか会議とかでは (飲み会の余興でも)、今後こういう力も必要になってきますので、
少しずつ訓練して慣れていってもらえればと思います。
それと逆に、自分が書いたものに直接コメントをもらえるというのは、
これもふだんの生活の中でそうそうあることではありません。
コメントする人が、書いてある内容をうまく理解できなくてなかなか話せないでいたりすると、
もっとわかりやすく書かなければいけないということがわかるでしょうし、
いいコメントがもらえた場合には、
そんな見方もできたんだと視野を広げてもらうこともできるでしょう。
その意味で、自分が考えたり、書く内容に対しても批判的な観点が育っていく、
高度だけれど、教育効果の高いゲームだと思っています。

これをやらせるときに、いくつか注意点が。
まずは、フレーリーゲームをやるというか、自分が書いたものを人に読んでもらうので、
そのつもりできれいな字で書き、かっこいい文章を作成するように、
あらかじめ前振りしておいたほうがいいでしょう。
それから、コメントしてあげるときに、
多くの子は、自分が書いたことを言ってしまうのですが、
自分が書いたことは誰か別の人が読み上げてくれますので、
コメントのときにそれと同じことを言うのではなく、
書いてあることに対して応答してあげるようにしましょうねと、
これもあらかじめ注意しておくといいと思われます。

学生に、これは小学生や中学生でもできるでしょうか、と聞かれたことがあります。
正直言って私にはよくわかりません。
子どもにはちょっと高度すぎるんじゃないか、という意見もなるほどなと思いますが、
テーマしだいでは可能なんじゃないかなあという気がしないでもありません。
小中高の先生方、ぜひ一度やってみて、成否のほどをお知らせください。
実践してみるにあたって不明な点がありましたら、私までお問い合わせください。
出典をお教えすることはできませんが、
それ以外のことならなんなりとお答えしたいと思います。

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2 コメント

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句会の互選 (塚本惠一)
2010-04-07 04:44:34
フレーリーゲームは俳句の句会の互選に似てますね。
会によって方法は様々なようですが、以下のような進め方です。
(1) 参加者は決められた数の作品(句)を用意し、細長い紙(短冊)1枚に1句ずつ無記名で記入。
(2) 各自、短冊を所定の場所とか司会者に提出(出句)。
(3) 司会者が同じ作者の句が重ならないように短冊を全員に配布。
(4) 司会者が「清記」を宣し、各自が配られた短冊の句を白紙(清記用紙)に転記。(筆跡を変えるため)
(5) 司会者が「選句」を宣し、各自が清記した句から好作をメモ。
(6) 選句後に清記用紙を隣の人に送り、次ぎの清記用紙から選句。全員が全部の句を見るまで。
(7) 司会者が「研究」を宣し、司会者から順に自分のメモした好作を読み上げ、その句を選んだ理由を述べる。
(8) 他の人は賛成点や疑問点をコメント。
(9) 司会者が「披講」を宣し、順番に最終的に選んだ句を読み上げる。自分の句が読まれた作者は名前を名乗る。
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瞬発力 (まさおさま)
2010-04-07 11:49:59
塚本さんは囲碁ばかりでなく、俳句にもお詳しいのですね。
たしかに上記の方法はフレーリーゲームに似ています。
というより、こうした方法は古来よりどこの国でも活用されていたのでしょうね。
しかし、なぜか日本では近ごろこの手の訓練がなされなくなってしまっているように思います。
互選のようにちゃんとルールを決めて、
それを何度もやってみるということによって、
瞬発力は鍛えられていくのだと思います。
囲碁の鍛錬とも似ているかもしれませんね。
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