まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

2年ぶりの 「5年研」

2012-10-25 12:29:43 | 教育のエチカ
一昨年、「吐血大講演会」 についてご報告しましたが、
それ以来2年ぶりとなる 「5年研」 に昨日行ってまいりました。
5年研というのは、5年間教職経験を積んだ先生たちのための研修会で、
私の場合は中学、高校の社会科、地歴科、公民科の先生方が対象です。
昨年も講師を依頼されていたのですが、
研修が行われる福島県教育センターは東日本大震災で壊滅的な被害を受けた、
福島市では数少ない建物のひとつで、もうこんなん↓になってしまいましたから、



昨年予定されていたセンターでの研修はすべて中止になってしまったのでした。
昨日行ってみたら、まだ建物によっては補修工事中で、
わかりにくいかもしれませんが、建物と建物をつなぐ渡り廊下は、
あいかわらずこんなふうに↓歪んだままでした。



とはいえ昨年から比べるとだいぶ改修は進んだそうで、
各種研修もここで再開されており、私も2年ぶりの登壇となったわけです。

ただ、久しぶりだったからかなあと思ったのですが、
どうも今回の研修は思うように進行しませんでした。
8時半から12時まで午前中まるまる3時間半の時間帯が用意されていたのですが、
なんだか押してしまって、その時間でやりたかったことが全部できません。
最後に 「思考力・表現力を高める社会科の実践方法を構想してみよう!」 ということで、
KJ法の手法を使ってみんなでワークショップをやってもらったのですが、
アイディア出しの時間も、それを整理してまとめる時間も全然足りないのです。
これはヤバイと思い途中から、整理するのはもういいから、
とにかくみんなで話し合って新しいアイディアをできるだけたくさん出してください、
と朝令暮改で指示を変えたりしてしまいました。
もうこのスタイルで何回もやってきていたのに、
なんで今年はこんなに時間が足りなかったのだろうと不思議に思っていたのですが、
先ほど一昨年の自分のブログ記事を読んでみてやっとその原因に気づきました。
今までは1時から5時まで4時間もやっていたのですね。
そうなんです、これまでは午後に私の講座が組まれていました。
今年は午前中にお願いしますと依頼され、特に何も考えずにいいですよと変更したのですが、
午前と午後では時間枠が違っていたのですね。
いやあビックリです。
終わった翌日にそんな大事なことに気づくなんて
そりゃあ時間が足りなくなるはずです。
ファシリテーター失格ですね。
受講者の皆さん、そしてセンターの先生方、本当に申しわけありませんでした

そんな大失態にもかかわらず、受講者の皆さんは最後まで真面目に参加してくださいました。
例年はワークシートは回収せず、
したがってワークシートには氏名の記入欄も設けていなかったんですが、
こんなにドタバタしたらいろいろ不満があっただろうなあと思い、
これも朝令暮改で、急遽回収しコピーをいただくことにしました。
しかし、さすが皆さん大人であり教育者でもあるからでしょうか、
ファシリテーターへの恨み言を書いてくださった方はいらっしゃいませんでした。
最後のまとめや感想、要望欄に書かれたコメントをご紹介しましょう。


●「学ぶとは何か?」 というテーマについて、認識が深まった。何となく考えていたことが明確になった。あるテーマについて話し合う (合わせる) ことが、自分の考えを深めるのに有効であることに気づいた。実際に授業で活かせそうなテーマをいくつも提示してもらえたので持ち帰りたい。

●学ぶ意味、意義から、子どもたちに考えさせることまで基本に立ち返ることができました。考えさせること、書かせることの意味を再確認できました。細かな事象に深入りしがちな私ですが、「そもそも○○って何だろう」 と考える習慣を大切にしたいと思いました。

●人は学ばないと、人間で在り続けられない。これを根底に、生徒としっかり向きあい 「教育」 活動の一端を担っていきたいと思いました。また、「何故学ばなくてはならないのか」 の講演をぜひ、進路講演会でやっていただきたいと強く思いました。

●どうして人は学ぶのかが具体的に分かりました。中学生と同じ内容で分かりやすかった。

●内容と関連させた形で、思考力・表現力を培うことのできる授業方法をもっともっと考えて実行していく必要性を感じました。「無限大の可能性」 があるからこそ、やり方もたくさんあるし、どんどん失敗していってもいいんだなと楽になりました。いろいろと行き詰まっている私ですが、やはり 「対話」 から生み出していくことの重要性を感じました。

●なぜ学ぶのか?という根本の問いに立ち返ってみることで、教員の使命という原点に立ち帰ることができた。思考力・表現力を養うことを難しく考えていたが気楽に考えることで多くのアイディアが出たことに驚いた。

●普段、なぜ学ぶのかを考える機会が少なく、時々問われると、ありきたりな答えしか言えなかったので、今日の研修で人間は、文化の習得と伝達を長時間 (期間) する必要があるという観点から考えると、説明がしやすいと思いました。一度だけ保護者からも聞かれ、その保護者からは学ぶことは必要ないと言われたので、保護者にも説明が必要な場合もあると思いました。

●なぜ学ぶのか (勉強するのか) という問いへの一つの答えをいただくことができたこと、他の教員と意見の交換することで、何を学ばせたいのか考えることができた。「知識を問えば、知識が重要と思われる」 との言葉にハッとさせられた。「暗記が目的じゃない」 と言いながら暗記させるジレンマから、抜け出すきっかけとしたいと思っている。

●人の考えを聞く、意見を交流させるだけでもかなり学び合うという活動になるということを感じた。現場に出てしまうと生徒に話し語りかける時間ばかりなので、たまには大学の先生の 「講義」 をもう少し長い時間きいてみたいと感じた。久しぶりに刺激をうけた感じがした。

●人が学ぶということはどういう意味があることなのか、根本的なことを知ることができました。また考えさせること、それを発表する方法は無限にあり、挑戦することが大事であると痛感しました。

●人間は本能の壊れた動物であり、そのかわりに文化をつくりあげ、次世代に伝達してきた。文化の伝達・習得なしには、言いかえれば教育なしには、人類は生存できない。話、面白かったです。思ったのは、文化とは明確なものではなく、その時その時の時代の要請から創造されるものなのではないかということです。さらに創造された文化が人間の生存にとって有益であるという保障はないということです。その時、その時代をどうとらえ、文化をどう創造していくか、「社会科」 の使命は重いと思いました。


皆さん、グダグダな感じで終わってしまいましたが、
最後までお付きあいくださいましてありがとうございました。
また何かの機会にお会いできることを楽しみにしております。
時々、「地歴・公民学習研究会」 とか 「哲学カフェ」 などをやっておりますので、
関心があってヒマな場合にはぜひご出席ください。


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2 コメント

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へんなもの (ふなちょ)
2012-10-26 09:17:21
 そのセンターは、地震当日、なにか催し物でもあったのでしょうか。右の方にへんなものが映ってますが、ひょっとして催し物がなくても、つねにこんなことになっているのでしょうか???
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目敏いね (まさおさま)
2012-10-26 09:49:55
ふなちょさま、お久しぶりです。コメントありがとうございました。
あいかわらずコレ系には目敏いね。
私は指摘されるまでまったくそんなところには目が向いておりませんでした。
日本国旗が微動だにせずにいるのに、福島県旗だけが大きく傾いているところが、
ものすごく象徴的すぎて物悲しいです。
たしか当日この場所でなにかをやっていたと聞いたような気がしますが、
こんな所で卒業式とかをやるはずはないだろうし、やはり常時掲示されているのではないでしょうか。
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