高原の小さなおうち

高原に小さなおうちを手に入れました。小さなおうちとの往復の中でのつれづれ記です。

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小さなおうちに行ってきました

2017-04-24 07:51:13 | 日記


4か月ぶりに小さなおうちに行ってきました。早春のおうちは初めてです。木の芽が吹いたばかりでまだ新緑にはちょっと間があります。画像ではわかりにくいのですが、遠くに山々も見え、まだちょっぴり雪も残っています。



花盛りは小さいすみれの花です。落ち葉のあちらこちらに顔をのぞかせていました。



南の道路に面したお宅には芝桜がきれいに咲いて、とてもきれいでした。

朝9時前に着いたのですが、気温は9℃。家の中も同様で、さっそくストーブを焚いて暖をとりました。でも日が差し込む窓辺は暖かでした。家の空気を入れ換え、たまったほこりのお掃除で半日滞在しました。

帰りの高速は渋滞だらけで途中で降り、一般道で帰りつきました。次はGW明けに行こうと思います。
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モミジの葉っぱ

2017-04-07 13:30:31 | 日記


庭になぜか生えてしまったモミジの木の葉っぱが出てきました。日当たりの悪い塀際ですが、数年前に芽が出て膝丈くらいになっています。春に葉っぱが出て、緑が濃くなり、秋になると紅葉して葉を落とします。

モミジの木はプロペラがついた種を飛ばします。近くに桜で有名な公園がありますが、モミジの木もあります。そこから飛んできたのでしょうか。7年前、庭をいじってしまいましたので、以前あったモミジの木の名残でしょうか。

高原の小さなおうちにもヤマモミジの木があります。見上げるほどの木で紅葉が真っ赤できれいです。地面には種から芽吹いた小さな木もたくさん生えています。葉っぱが数枚の本当に小さな木です。それでも秋になると地面の上で真っ赤に紅葉します。

ヤマモミジの木は葉っぱが出てきたでしょうか。ゴールデンウィークには見に行けるといいなと思います。
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これもお花畑のテーマ曲かしらん

2017-04-05 09:59:02 | 日記
Imagine - John Lennon


歌詞の言わんとすることはすべて肯定できる。
でもどうしてそうならないのか。

人には善の心と悪の心とその間のグレーゾーンの心があるのではないか。だからイマジンンは理想なのだ。
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教員も一年生だった。。。那須雪崩事故に思う

2017-04-03 22:41:15 | 日記
今日の報道によると、先日那須の山で起こった雪崩事故で、犠牲になったただ一人の教員は一年目の新人だったそうだ。高校の登山部の部員と顧問教員、山の初心者ばかりが犠牲になったということになる。

今日は年度初めの日、ちょうど1・2年前に高校生と教員になったのだろう。顧問教員がわが子とほとんど同じ年であり、同じ教科の教員ということなので、どうしても重ね合わせてしまう。

わが子は高校の教員を臨任の時を含めて丸5年で退職した。3月末のことである。教える事が好きで教員となったのに、教科を教えることよりもその他とくに部活指導が大変になり、続けることができなかったのである。

プレミアムフライデーなどと浮かれている報道をよそに、退職の前日まで部活指導だと言っていた。学校は週休二日なのに部活は土日にも行われるから20日以上も連続勤務だったこともある。よく自殺もせずに逃げ出してくれたと思う。

現在教員は若いほどこき使われる。とくに部活指導が入る中高では若いから顧問になれと趣味程度にできる運動部の顧問にさせられるのである。体育の教員でもすべての運動に秀でているわけではないのに、国語科の教員が登山部の指導するということが平気でなされるのである。

教員は、教科指導には免許がいるが、部活指導には免許はいらないのである。いわば無免許で車を運転することが公然とされているのである。こんな危険なことはない。

たった丸5年さりとて丸5年もこんな中でよく頑張ったと思う。臨任と言っても最初から部活指導には入っていた。丸5年お疲れさまである。これからどんな職でもやっていけるだろう。よく教員は使い物にならないと言われるが、今の若い教員は往年の企業戦士なみなのだ。

亡くなられた若い命に哀悼の誠をささげます。合掌。
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花見は文化

2017-04-01 12:33:41 | 日記
柳家小さん 「長屋の花見」


先日A新聞の投書に「公園の花見いまいましい」との投書があった。花を見て酒を酌み交わすのは文化である。遠くは中国でも漢詩にうたわれ、長く都があった京都には桜の名所がいくつもある。豊臣秀吉の醍醐の花見は有名だ。江戸時代になって江戸の街が整備される過程で、飛鳥山などわざわざ桜を植えみんなで楽しめるようにした将軍もいた。

そんな中で貧乏長屋の人たちが花見のまねごとをするというのが落語の「長屋の花見」である。酒もつまみも満足なものが用意できないながらも、桜の木の下でコミュニケーションを図ろうとする話である。

酒が飲めないから、嫌いだからと言って、公園での花見をいまいましいまと言い切るのは、なんと狭量なことだろう。ある人が歌が嫌いだからと言ってカラオケを否定するのと同じだと言っていた。私は音痴でカラオケには行ったことがないが、カラオケをする人を軽蔑しているわけでもないし、カラオケ屋があるのをいまいましいと思ったこともない。

なんでも酒の上だからと言って許されるわけではないが、公園の花見の酒に目くじら立てるほどではないのではなかろうか。宴の後は無残だが、それを片付けるという仕事も発生するのである。

桜を静かに楽しみたいなら公園まで出かけなくとも、桜はいたるところに植えられているのである。学校には桜の木がつきものである。学区の小中学校には桜の木があるはずだ。その桜を眺めればよいのである。学校の桜の木の下では宴会はしていないだろう。

民家の庭にも桜がある家がある。うちのすぐそばの家にも桜が咲いている。そこを通るたびに花見ができるのだ。自分だけの桜の木を見つければよいのである。
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