おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

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田舎暮らしの課題

2010年08月06日 07時13分25秒 | 日記
雲の彼方からぎらぎらの太陽が昇っている。今日もまた暑くなるのだろう。


最近は田舎暮らしにも慣れて、気分的に落ち着いた生活を送っているのだが、どうもひっかかる事がある。
自分では辺鄙な田舎でも、畑で食べるもの(米は作っていないので、惣菜用の野菜類だが)を作りながら、パソコンやTVなどの情報機器があるし、さまざまなジャンルの本を読んでいるので現代の社会的な動きには遅れはしないと思っている。現代はどこにいても世界同時的に情報をキャッチできるのだか、いわばジャングルの中だって砂漠の真ん中、シベリアの果てしのない雪原の中でだって「いまこの瞬間の世界」を摑めるのだ。便利な世の中ではある。

しかし、田舎は人間そのものが土地の広さに比して少ない。1.3万haに1.2万人。面積のうち80%が森林、原野、耕作地。
住んでいるこの場所は別荘地なので、永住派は少数で、殆ど週末か月一か、中には持ち主を見たことがないような家もある。近くに豪邸が建築中だが、持ち主は東京の医者という。ここは地鎮祭で私の友人が神主としてお払いをやった家だ。それにしてもデカイ家だ。

目の前に建ったとんがり屋根の豪邸も市内の医者。ウィークデイには鎖で閉鎖してある。幸い向こう三軒両隣は永住者なのが幸い。といっても裏の家の方は週2,3日は息子の住んでいる市内の家(元の居住地)に帰られる。向こう3軒といっても実は2軒で段段畑の2面下。都会では隣とは軒を触れ合うようにして敷地一杯に建築するので、私の家の離れ書斎よりも距離は近い。だから人間の関係性の稠密がはっきりしている。町では近所付き合いが濃密で、良くもあれば悪くもある。
ここ田舎は隣との距離が離れている分だけ、パースペクティブが取りやすい。

ただ、付き合う人間が少なく固定的なので、最近ではこれでいいのか不安になることがある。情報をキャッチすることと実際の人間関係を構築し交際して、その上で地域の社会的に活動を担うということとは違う。本来あるべき血の通った「ふれあい」が必要ではないかー

村の地元住民と町から来た移住者、別荘利用者との区分が今社会的な区分け=住み分けを作っている。過疎の村もこれでは幾分か人口が増えたとしても、地域の和合というか人間的な交流を作らなければ、本当の意味のコミュニティーは出来ないはずなのに。

交流を求めて、地域への貢献をボランティアの形でするがいちばんと思うのだがー。
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田舎好き (とーろとろ気まぐれブログ)
とりあえず、田舎好き?って感じ