おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

運動会の思い出

2010年10月08日 06時41分00秒 | 日記
秋たけなわ。運動会のシーズンである。10日には勤めていた幼稚園の運動会に招待されている。

運動会といえば、痛い思い出とちょっぴり誇らしい高校時代の思い出。

ひとつは中学校の2年生の秋。
半世紀も前の話なので記憶が薄れ誤謬もあるかもしれないが、痛かったことだけは覚えてる。体育祭の競技とは関係なかったと思うのだが、学校はその日に向けて練習練習で明け暮れていた。昼休みになると運動場に集められ、行進の練習が続いていた。
団塊の世代だ、田舎の中学校ではあったが学年7クラスあって学年300人ほどいたのではなかったと思う。行進練習は全体と学年別で行われていた。行進そのものは嫌いではなかった。

その学年練習の時、別の学年が練習で、2年は休憩していた。その時、私はなぜか砂場に行き、授業で使うのだろう用意されていた走り高跳びのバーが気になり、当時流行りの「ベリーロール」で跳んでみたいと思った。
熊本で「わさもん」という言葉がある。なんにでも好奇心が強くすぐやってみようとする・・・「いい格好しい」、目立ちたがりでもあるのだこの男。

ベリーロールは足を振り上げて体をバーと平行にして跳ぶ方法。今では背面跳びにその座を譲ったが、当時は流行していた。
TVで見る経験しかない「ズブシロ」、頭の中にはバーを跳ぶことしかなかった。大事な着地のこと、その方法。
そして・・・
バーの高さはどれくらいあっただろうか、1m3,40というところかー世界記録を狙ったわけではない。
巧く跳んだと思ったその直後「ボキッ」、左手が上腕部が真ん中から折れてくの字に曲がっている。骨が飛び出してはいないけれど、折れ曲がっている。痛みがその直後襲ってきた。経験のない痛みで保健室に連れられていったが、車を待つ間の痛さ、それは気が遠くなるほど。

市民病院へ送られて、すぐ治療が行われた。それは折れて曲がった骨を真っ直ぐに伸ばすこと。どうするかというと至極当然一人が方を抑え、屈強な男先生が折れた腕を引っ張るのだ。
麻酔なんてしなかったと思う。sの時の痛さを覚えているから。
2年生の運動会だけはこの骨折のお陰で見学という不名誉な歴史の刻印が押された。

もう一つは高校時代。3年生の体育祭。体育祭では4つくらいの色分けされた団別で得点競うい合う。なぜか色は忘れたが仮に青団としようそのリーダー「団長」に推された就任。当時の私は実にまじめで、バスケ部に属して練習し、1時間かけて列車通学している普通の高校生だった。どこかひょうきんな面もあったのだろうか、あくどいいじめか冷やかしかだれもなるものがいなかったので仕様がなく「あいつに役をおっ被せろ!」ということになったのかーちょっと今で言う「ヤンキー」ぽかったは野球部のIやラグビー部のKや同じラグビーのHなどがいた。彼らの方がたしかに存在感があった。
団は学校全体を縦割りにして構成されるから1,2年の下級生もいる。

学ランの応援団も従えている。「組長」なのだ。下級生には威張って「気持ちがたるんでるぞー!」と一喝して運動場を走らせるような事もした。今考えても似合わない

この「団長」経験は私の人生の一つの謎である。

さて、10日の運動会、恐らく来賓への競技参加が待っていよう。決して出まい、陥穽がどこに潜んでいるかもわからない。
アキレスを切り、狭心症持ちの自分の体のことをしっかり考えて自重しなければー


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