天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

スリー・リバーズ原題Striking Distanceは犯人割れでサスペンス映画でないと配給会社判断

2010-06-14 21:45:09 | 日記
今日の日記は、映画『スリー・リバーズ』(アメリカ1993年ローディ・ヘリントン監督 ブルース・ウィリス サラ・ジェシカ・パーカー主演)のことです。
昨日、私はこの映画の原題は『Striking Distance』で、その意味は「すぐそば」「手の届く所」と書きました。プログレッシブ英和中辞典でも、「within striking distance」との英語用法で「すぐ近くに 手の届きそうな所に」と日本語の解説をしています。
日本公開した際、この映画の英語原題『Striking Distance』を、この舞台となるピッツバーグの3本の川名『スリー・リバーズ』になぜ替えたのか?
それは、映画の冒頭シーンではっきりと判ります。オモチャのパトカーを走らせそれが止った所に、暴行の上拘束された若い女性が床に寝かされています。この女性の傍らには絞殺用のロープが無造作に置かれています。このように、この映画では、最初から連続女性絞殺魔が警察にとても興味がある人物と、観客に判らせてしまっています。
そして、映画の主人公で犯人を追っているピッツバーグ市警察殺人課の刑事トム・ハーディ(ブルース・ウィリス)でさえ『手を読まれている 犯人は絶対に警官だ 元警官かも・・』と最初から連続女性絞殺魔を完全に断定しています。普通のサスペンス映画では、誰が犯人なのか?観客に判らなくするのが「常道」です。この映画はそれを逆手にとって、犯人像を観客に最初から推測させようとしています。だから映画製作者は、題名までも『Striking Distance』としたのです。
しかし、日本側の配給会社は、このような犯人割れを象徴するこの原題では、サスペンス映画にはならないと判断したのでしょう。だから、映画の舞台の街の象徴である地名に変更したのです。その題名変更はアメリカの製作サイドからすれば、まったく不本意なことです。でも、この製作者の新しい意気込みは、映画ではまったく空回りしています。犯人像の掘り下げも不十分な脚本で犯人役の俳優もそれに応えられない緊張感のない演技を繰り広げるのでは至極当然な行為です。
この映画の唯一の救いは、2年後、河川レスキュー隊に左遷されたトム・ハーディの新しい相棒に若い女性のジョー・クリストマン(サラ・ジェシカ・パーカー)を設定したところだけです。添付した写真は、オハイオ川をパトロール中の二人です。
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