飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

「宗教の理論」(ジョルジュ・バタイユ)を読む

2012-03-30 | ジョルジュ・バタイユ

ジョルジュ・バタイユの「宗教の理論」を読みました。抽象的な記述が多く難解な本です。1ページ、1ページ、観念的な文章を読み解いていかねばならないのですが漠然としてしまい、いきおい感覚的な読み込みになってしまい、おそらくこういったことを指しているんだろうと勝手に想像し、わからなけれな読み飛ばし進んでいきました。ですから、進む道を誤り本来バタイユが示唆したことと違う方向に行っているのではないかと不安になったりします。

 

しかし、それでも難解な中でもこのバタイユの「宗教の理論」は比較的読みやすい方なのかもしれません。なぜなら、この本は宗教の理論としながらも現実の宗教そのものに切り込んでいくのではなく、消尽、蕩尽、贈与、供犠、祝祭、有用性、労働、至高性、内的体験、暴力、死、非ー知、…などといったバタイユの本ではお馴染みのキーワードを使いながら宗教誕生のプロセスを説き明かしていっているからです。バタイユが提唱する、けっして知り得ることのない聖なるあちらの世界、瞬間にしか、音楽や詩を媒介にしてしか、いけにえを捧げる原始宗教的儀式においてしか隙間見ることができない連続した聖なる至高性の世界、その周辺から湧き上がってきたのが宗教的なるものと理解することができるからです。であるならば同じくそこと密接に関係し周辺の感覚としてのエロティシズムも宗教的なものと非常に近い関係にあると言っていいのでしょう。

 

私が宗教的感情の発生の源と理解した聖なるもの、内奥性の世界、至高性の世界、連続性の世界(どのような表現でもいいのですが人間では知り得ないもの)を先達が表現しようとした試み、しかし、なんとか表現しようとするもののそれは逃げ道でしかない、核心を示す表現ではないとバタイユは前置きながらその一端に触れかかった時の表現として次のような例を書いています。<目玉の飛び出すほどの膨張、歯をくいしばりながら急に炸裂し、そして涙を流す悪意。どこから来るのかも、どこへ行くのかもわからぬ横滑り。暗闇の中で。大声を張り上げて歌をうたっている恐怖。白目をした顔の蒼白さ、悲しげな温和さ、激昴と嘔吐……>つまり言葉では表現できないく存在そのものを脅かすなにものかということ。それはまた逆説的に<激烈な暴力であり、また破壊である>ともバタイユは書いています。

 

ところで、人は意識的な存在である一方、動物的な側面をも持っています。バタイユは冒頭の部分でその動物の存在を述べているのですが、<全ての動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している>つまり、動物は無媒介=即時性=内在性なのだと言っています。私たちがけっして知り得ない聖なる世界のヒントは動物にあるのかもしれません。いずれにせよ、現代の人は道具を使い有用性が支配する中で生きており、宗教そのものも原始宗教と比べて聖なるものへのアプローチ方法も形式化している側面があるものの、その根本はけっして優しいものではないことを唱えていると思いました。

 

宗教の理論 (ちくま学芸文庫)
Georges Bataille,湯浅 博雄
筑摩書房
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« ぶらり古本屋#17⇒「Fly... | トップ | 上田秋成#8・・・「雨月物... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ジョルジュ・バタイユ」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事