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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

僕は知らない寺山修司NO.57⇒「青ひげ公の城」(劇団☆A・P・B-Tokyo)

2007-06-25 | 寺山修司
「青ひげ公の城」(劇団☆A・P・B-Tokyo)

■2007年6月9日(土)
■劇場:ザムザ阿佐ヶ谷
■作 :寺山修司
■演出:高野美由紀+East 10thStreet
■作曲:J・A・シーザー
■主演:高野美由紀、斎藤レイ、マメ山田、井内俊一、他

劇団☆A・P・B-Tokyoによる寺山修司作品の公演「青ひげ公の城」を今から2週間以上も前になりますが6月9日(土)に観に行きました。(遅くなってしまったのは寺山修司の「書を捨てよ、町に出よう」についてゴリギリとやっていたため)この劇団のお芝居を観るのはこれで2回目。前回は同じく寺山修司の「田園に死す」であった。この作品で出来が予想以上によく、勢いで寺山が監督した映画「田園に死す」も観たのでした。それがまた素晴らしく、それまで若き日には意識の片隅にあり、い近年は全く名前も浮かべることがなかった“寺山修司”という存在が急激にボクの心野中に巣くい始めたのでした。以来、マイ寺山修司プチブームとでもいうべく彼の世界に足を突っ込み出したのです。そんなきっかけを作ったのがこの劇団☆A・P・B-Tokyoで、その最新公演なんです。



前回の公演の出来がよく、前評判も上々だったのか劇場であるザムザ阿佐ヶ谷の収納人員以上の観客が押しかけており、それを無理やり押し込む形で上演することになりました。超すしづめ状態で、20代後半にひんぱんに小劇場を観て回ったことを思い出しました。しかし、当方は40代も後半にかかってきた中年の身、少々どころかかなり辛い悪条件で観劇することとなってしまいました。思い出すのは大学生の頃、黒テントの公演を観に言った時、ボクの後ろに坐っていた女性が悪条件の中で気分が悪くなり、ゲロを背中にぶっかけられた事。そんな苦い経験の再現にはなりはしないかと内心不安になりながらの観劇となったのです。

さて、肝心の芝居の方は途中休憩を入れる長丁場、じっと不自然な姿勢を強いられているがゆえ、意識の集中が一瞬途切れそうになりながらも、全体としてハイテンションで見る事が出来た。それは恐らく客席の前列で見る事ができ、役者の演技の息吹をダイレクトに感じることが出来たこと。そしてこの劇「青ひげ公の城」自体が持っている劇空間を考えるに上演場所のザムザ阿佐ヶ谷のステージ空間の広さでは物足りなく、よって舞台装置や演舞空間が前の方向性・ベクトルを持って集約されていることによるのではなかったのではないかと思うのである。

上演時間の約2時間半、ステージからは強烈なエネルギーが放たれており、観客側はそれを否応なく受け止めざる得ないからです。ボクの印象としてはやや飛んだり跳ねたりしすぎかなとも感じないでもないが、全体として狭い空間を立体的に使い計算された演出になっていたと思います。青ヒゲの第一の妻から第六の妻にいたるエピソードもきっちり色分けされていたし。

しかし、なんといっても光っていたのはマメ山田の存在である。その天性ののものを生かしきった所作とスカシタ演技、この劇自体に何とも言えぬスパイスとしてそこにいたのである。もし彼がこの劇に出演していなかったら、と想像するともしかしたらその魅力も落ちていたと言わざる得ないぽどの存在感を出していたのだ。

また、それぞれの役者も一人何役かこなしていたにもかかわらず、それぞれのパーツをきっちりと演じていたのも、劇に深みを出していた。凝縮された物理的空間構成、それによるエネルギーの前面ベクトル放出。そして個性的役者による熱血演技。それがこの劇団☆A・P・B-Tokyo「青ひげ公の城」の面白さの要因か・・・?




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