音次郎の夏炉冬扇

思ふこと考えること感じることを、徒然なるままに綴ります。

わが教え子、ヒトラー

2008-09-14 04:42:07 | 映画・ドラマ・音楽
重村センセイの本によると、金正日はとっくの昔に亡くなっていて、北朝鮮は事実上の集団指導体制に移行しているのだそうです。実際、息子の金正男も「“今の将軍様”が死ぬまでは後継者を決めないことになっている」と近しい人には漏らしているといい、現在騒がれているのは、メイン影武者が尽きそうな話なんだとか・・・。影武者(ダブル)というのは、あくまで本人の暗殺リスクをヘッジするための存在だと思っていましたが、00年の金大中、02年の小泉純一郎ほか、プーチンなどと会談しているのも、糖尿病の悪化した本物でなくダブルの方だったというのですから口あんぐりです。いったい権力とは何か、権力者とは何なのかを考える今日この頃、『わが教え子、ヒトラー』を観てきました。

敗戦直前のドイツ帝国で、ヒトラーに演説指導した人物がいた!

史実に基づいて、独裁者の孤独をコメディーとして描いた『わが教え子、ヒトラー』は、ユダヤ人監督による大変秀逸なドイツ映画です。

時は1944年12月、戦況悪化ですっかり自信喪失した独裁者ヒトラーは、完全な鬱状態でかつての精気はなく、5日後の元旦には100万人の大衆を集めた演説会で国民の士気高揚を図る予定が、総統本人はとてもそんな状態になかった。一計を案じた宣伝相ゲッベルスは、スピーチ指導のために、強制収容所から一人の著名なユダヤ人俳優を官邸に呼び寄せる。彼が最後にとった行動とは・・・というお話です。

アジテーションの名手というイメージが強いヒトラーも、演説指導を受けていたのは事実だそうです。巧みな弁舌で頭角を現したのは若い頃の話で、この頃になると政権をとってから既に10年以上経っており、衰えが明らかでした。実際のヒトラーも第2次大戦末期には、うつ症状を合併することの多いパーキンソン病を患い、ほとんどベルリンの総統地下壕に引きこもっていたといいますから、ストーリーにはリアリティーがあります。ただその演説コーチをよりによってユダヤ人と設定したところに監督の非凡な才能が窺えます。

深謀遠慮のゲッベルスは、すっかり弱りきってしまった総統を短期間で再生させるため、ファイティングスピリットを呼び醒ます相手として、総統が忌み嫌うユダヤ人をあえて指名したのです。その狙いは当たったといえるのか、コーチのグリュンバウムとヒトラーの間には奇妙な友情のようなものが芽生え始めます。その指導は発声やアクションという技術面よりも、むしろ対話によるセラピーというかカウンセリングの要素が大きいものでした。

ナチスへの協力の報酬として一緒に暮らせるようになったグリュンバウム一家ですが、妻子はそれを喜びつつも冷静で、夫に魂を売り渡してほしくないと願います。なんせ教えている相手はユダヤ人にとって不倶戴天の敵であるヒトラーです。この男のために、多くの同胞たちがどんな目に遭わされたか・・・。ここにおいて、主人公も大いに葛藤するのです。

戦争末期のベルリンは焦土と化し、ヒトラーもプレッシャーで潰れそうになっているのを尻目に、ゲッベルスほか幹部連は結構お気楽なもので、隣室から総統室の様子をマジックミラーで眺めながら謀議を重ね、それぞれ女を自室に連れ込んだり、執務室で乳繰り合っていたりしています。古今東西の独裁政権は(独裁であるがゆえに)、むしろ側近が実権を持ち、トップを傀儡として利用していたケースも多かったのではないかと考えさせられます。風圧も責任も重くないので、いいようにできるのです。この映画では、切れ者の実力者である宣伝大臣ゲッベルスが、官房長官や軍需大臣など他の幹部を抑えて、すべての絵を描いています。

今回の自民党総裁選でも、誰かさんのマリオネットが何人もいるじゃないですか。北京五輪の開会式ではありませんが、そのうち口パクのバーチャル候補者なんていうのも出現するかもしれません。まあ日本の場合は、政治家をいいように操り、裏でやりたい放題なのは「官僚」という名のモンスターなのですが・・・。

今月号の文藝春秋で早大大学院教授にしてコラムニストの田勢康弘氏が、36年間にわたる政治記者経験で歴代総理を間近で見てきたことを回想しています。この人は日経(かつてここの政治部は朝・毎・読に比して泡沫扱いだった)という経済紙所属であり、特定の派閥や政治家べったりの知恵袋にはならず、どこか飄々としたところがあるのですが、そのキャラクターが買われたのか、某総理大臣の側近に頼まれて深夜の公邸に忍び込んだことがあるそうです。

小さな応接間でその総理は背広にネクタイ姿で両手を膝の上にのせて私の到着を待っていた。いろいろと聞かれたが、何もこんな夜中に人を呼び出してするような会話ではなかった。すぐに気がついたことだが、この総理は重圧で眠れない、だれでもいい、だれかと話したかったのだと。

たしかに国家の指導者にかかる内外のプレッシャーたるや、一般国民の想像を絶するものがあるのでしょう。当時のヒトラーも「権力者」ゆえの孤独を味わっていたに違いありません。天下をとった当初はともかく、晩年になると独裁者本人の思惑を超えて「独裁システム」という装置が勝手にまわっている状態だったのでしょう。映画ではナチスの滑稽な官僚主義もさりげなく茶化されていますが、自らの手が及ばず、側近がいいように差配しているのを薄々わかっているだけに、なおさら寂寥感が深いのです。だからこそヒトラーはユダヤ人のブリュンバウムに心を開くようになり、やがては彼のレッスンを待ち侘びるようになっていきます。

クライマックスで、なぜ演説教授が俳優でなければならなかったのかがわかりますが、可笑しくてやがては哀しき物語です。

遺作となった「ダークナイト」でジョーカー役の怪演が絶賛されたヒース・レジャー同様に、この映画で主人公のブリュンバウムを演じたウルリッヒ・ミューエは昨年癌で亡くなっています。名作の呼び声高い『善き人のためのソナタ』も観てみたくなりました。

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