奥田英朗の自伝的小説『東京物語』は、1989年の11月10日の「バチェラー・パーティー」で終わっている。主人公は30歳になろうとしていたが、「現在の仕事の充実と収入増を考えつつも、どこか仮の姿という意識をもっていた」彼は得意先である地上げ屋社長の胡散臭い金儲け(この年の流行語は「濡れ手に粟」)をどこか冷めた目で見ながら、自分のやりたいのはこんなことじゃないと思っている。では一体何がしたいのか、この先何になりたいのか。
久雄は誰かに認められたかった。人の心を動かしたかった。会ったこともない、多くの人の心を。
これは当時の奥田英朗の心情そのものだっただろう。
奥田英朗の自伝的小説『東京物語』は、1989年の11月10日の「バチェラー・パーティー」で終わっている。主人公は30歳になろうとしていたが、「現在の仕事の充実と収入増を考えつつも、どこか仮の姿という意識をもっていた」彼は得意先である地上げ屋社長の胡散臭い金儲け(この年の流行語は「濡れ手に粟」)をどこか冷めた目で見ながら、自分のやりたいのはこんなことじゃないと思っている。では一体何がしたいのか、この先何になりたいのか。
ただ、この翌年、初めて彼の著書が刊行される。1990年はバブルが崩壊した年で、今話題の礼宮殿下と川嶋紀子が結婚した年でもある。
『B型陳情団』はモノ・マガジンに連載された奥田英朗の署名コラム「モノモノしい話」をまとめたものだった。ネット界屈指の書評家であるリウイチさんが、積ん読パラダイスでも当時を述懐している。
かつて「モノマガジン」誌上でコラム「モノモノしい話」を連載し、物欲者を嘲弄するひねくれたその文体が一部に絶賛を浴びて、同誌躍進の一翼を担った男がいた。名を奥田英朗という。90年には同コラムをまとめた単行本「B型陳情団」を講談社から上梓し、前途も洋々と見られたのもつかの間、あまりにひねくれたテイストが高級グッズ広告誌と化した「モノマガジン」にそぐわなかったのか、程なくしてコラムは打ち切りの憂き目となってしまった。
斯界ではやはり、その文章とセンスが早くから注目されていたのであろう。彼は20代から発表の機会を得ていたことになる。そういえば、本格的に社会人スタートした広告代理店「新広社」はオーディオ関係のクライアントがメインであり、無類の音楽好き、ロック好きの彼は、その後も音楽系、グッズ系のメディアとのコネクションはあった。まあ、いずれにしてもこのコラムは彼にとって余技であり、一部のマニアの間では「奥ちゃん」の文章は絶大な人気を博したとしても、「会ったこともない多くの人の心を動か」すには、媒体と内容がマニアックだったというしかない。残念ながら、この処女作『B型陳情団』は大して売れずに絶版となった。
彼の30代はどうだったのかなあと想像する。社会に出てからずーっと仕事をしてきた広告業界。バブル崩壊した後の90年代は、不況時に企業が真っ先に手をつける広告宣伝費が急速に削減され始めた時期である。バブル期はフリーランスの人間の方が、恩恵を享受した面もあるが、湯水のように金を使っていた法人の広告需要がしぼんでいくのと軌を一にして、経済的にも厳しくなってきたのではないだろうか。無論、奥田英朗ほどの才能をもってすれば、発注者は放っておかないから、食べていくのに不自由はしなかったと思うが。
それまでは、「小説を書く気なんて思ったことはなかった」と語っているのは本当だろう。というより忙しすぎて、小説書く暇なんてなかったというのが実態に近いかもしれない。バブルが弾けて時間に余裕ができたことで、小説の習作を始めたが、初めて書いたのが34歳の時だという。93年、私が社会人になった年でもある。
ふと、この時代がもし今だったらと考えてみる。つまり93年時点の奥田英朗をタイムマシンで03年頃の地点に立たせたとしたらどうだろうという空想だ。「会ったこともない人の心を動かしたい」と希求した彼も、もしかしたら、今頃アルファ・ブロガーの一人に数えられているかもしれない。当時のモノ・マガジン随一の人気コラム「モノモノしい話」で好事家を唸らせた名調子は、インターネットでも評判を呼び、数万のページビューを叩き出すような巨大サイトになっていても不思議ではない。小田嶋隆(テクニカル系・サッカー)に対抗する、奥田英朗(メンタル系・野球)という感じか。現在は出版社の編集者が、出社するなり午前中はネット巡回して、コンテンツを血眼になって探す時代だ。どんな形であれ、実力派の彼はもっと早く、そしてもっと楽に世に出ていたのかもしれない。
彼は、誰もが考える新人賞への応募という道を選ばなかった。その理由を「選考委員の顔ぶれを見て嫌になった」と語ったそうだが、こういうところが好きなんだよなあ。覚えがある人も少なくないだろう。「あんな教師に評価されるなんてサイテー!」「あんな無能な上司に査定されるなんて冗談じゃないぞ!」という感じか。そこで、彼は「出版社への持ち込み」という当時でも相当に古典的な方法をとることになる。元々、メディアの仕事をしていて、自らも本物の編集者でもあった彼は、その時代にどんなことを思ったのだろうか? 大版元の看板だけで高禄を食んでいる態度のでかい殿様編集者にうんざりしたこともあったろう。長年やってきた広告記事やコピーというある種の受注生産品ではなく、自分でテーマと題材を探す自由さにも戸惑いながらも、この時期生まれて初めて、小説を書くことを考え抜いたのではないか。彼は書いた。没になり、そしてまた書いた・・・。
当時がブログのある時代でもなく、彼が泥臭い出版社への持ち込みを続け、砂を噛むような日々を送ったことに、我々は感謝しなければならないだろう。おそらく、この時期に彼は心の病に悩まされたのではないかと思うからである。この雌伏の時間、そして懊悩の経験があったお陰で、のちに数々の名作が産み出されることになるのである。
『空中ブランコ』で直木賞をとった後、オール読物には「ドクター伊良部を奥田英朗が訪ねたら」とかいう架空対談が掲載され、月刊文春の「うつ特集」でも「神経症のお陰で作家になれた」という題で寄稿している。いずれも立ち読みだけで、原本も手元になく、内容は記憶に頼るしかないのだが、奥田英朗はドクター伊良部シリーズが、自分の実体験から生まれたものだと告白している。
ドクター伊良部以前にも、そもそもデビュー作の『ウランバーナの森』の主人公ジョンがまさに、自律神経失調か不安神経症の設定であり、このジョンがのたうちまわる姿や心象風景は、物凄いリアリティーがある。便秘やおくびを出すシーンなどは、患った人ならではの迫真にみちているし、医者との対話やその生態の観察にも、『イン・ザ・プール』への萌芽を感じ取ることができる。「自分自身がこんな精神科医がいたらいいなと願って、作ったのが伊良部一郎」と振り返るのとも一致している。
『ウランバーナの森』から、出世作『最悪』まで1年半ほどのインターバルがあり、その間もむろん苦しみやストレスはあったかもしれないが、彼の心が風邪を引いていた時期というのは主に、90年代前半−つまり彼自身30代前半だったのではないかと推察する。作家・奥田英朗の夜明け前である。
先のことをあまり考えずに、都会のギョーカイ人として、気ままに楽しく過ごした長い青春時代が終わり、30代は周囲が皆、結婚したり子供ができて、次のステージに向かう季節である。20代の頃は怖いモノ知らずで体力もあった。徹夜も平気だったし、若くして社会に出た彼は、仕事相手はもっぱら年上だった。噛みつくことも、どこかで甘えることもできた。
それが、家族を養わねばならない責任も生じた。仕事でもベテランの彼には、発注者の要求水準も高い。人を使う局面も増えてくる。ある意味ではクライアントが鷹揚で、クリエーターにとっていい時代だった好況期は既に去っていた。一つの企画書とプレゼンで20万円の請求書を平気で出せた頃と違い、発注者からのコストダウンや納期の要求も厳しさを増している。(『最悪』の主人公の一人、零細鉄工所経営者川谷の、読み進めるほどに胸を締め付けられるような、あの焦燥感も実体験であろうか)
そして、先の展望がみえない状況の中、あれだけシャープでセンシティブな人だからこそ、精神の平衡を崩してしまったのかもしれない。
奥田英朗には、こういうバックボーンがあるから、あれだけのものが書けるんだと思う。『マドンナ』や『ガール』そして、長編『サウスバウンド』のような、イマジネーションが軽快に躍動している作品も魅力的で楽しいが、奥田英朗の真骨頂はそこではない。
『邪魔』の九野、平凡な主婦だった及川恭子、『最悪』に出てくる普通の銀行OLなどの市井の人物が「正」から「狂」に変わっていくさま、ある種の狂気のようなものを書かせたら、現在、奥田英朗の右に出るものはない。
彼が時代に必要とされ、多くの人に読まれている源がここにある。彼の弱者に対する視線が何とも優しいのである。
一部では「負け組文学の傑作」とか、「現代の下層社会の実相」と評された『ララピポ』は、私の好きな連作短編集である。最終第6話「GOOD VIBRATIONS」のラストが印象的だ。本編の主人公・玉木小百合が渋谷の街を歩く。
道行く人たちをぼんやりと眺めた。みんな、どんな人生を送っているのだろう。みんな、しあわせなのだろうか。
考えるだけ無駄か。小百合は鼻息を漏らした。泣いても笑っても、どの道人生は続いていくのだ。明日も、あさっても。
メディアに載るような華やかな人間は、ほんのごく一部。どんな場所に行っても、どんな組織に入っても、どんな仕事を担当しても通用するなんていう人は、1万人に1人もいやしない。みんな、自分が少しでも得意な分野に居場所を見つけて、何とかかんとかやっているにすぎない。同様に、誰とでもうまく付き合える奴だって本当は存在しない。ほとんどの人は、ちょっとした運があって、似たもの同士で寄り添ったり、親切な人に支えられているにすぎない。
a lot of people ララピポ たくさんの人々
これは奥田英朗から、多くの平凡な人たちに捧げた人生賛歌かもしれない。
「奥田英朗を読み解く」などと大げさなタイトルで書いてきたが、的外れな部分も多かったかもしれない。でも私は奥田英朗をこれからも読んでいこうと思う。
〈敬称略〉
〜最後に私の好きな奥田作品〜
「総務は女房」(『マドンナ』収録)
「フレンズ」 (『イン・ザ・プール』収録)
久雄は誰かに認められたかった。人の心を動かしたかった。会ったこともない、多くの人の心を。
これは当時の奥田英朗の心情そのものだっただろう。
奥田英朗の自伝的小説『東京物語』は、1989年の11月10日の「バチェラー・パーティー」で終わっている。主人公は30歳になろうとしていたが、「現在の仕事の充実と収入増を考えつつも、どこか仮の姿という意識をもっていた」彼は得意先である地上げ屋社長の胡散臭い金儲け(この年の流行語は「濡れ手に粟」)をどこか冷めた目で見ながら、自分のやりたいのはこんなことじゃないと思っている。では一体何がしたいのか、この先何になりたいのか。
ただ、この翌年、初めて彼の著書が刊行される。1990年はバブルが崩壊した年で、今話題の礼宮殿下と川嶋紀子が結婚した年でもある。
『B型陳情団』はモノ・マガジンに連載された奥田英朗の署名コラム「モノモノしい話」をまとめたものだった。ネット界屈指の書評家であるリウイチさんが、積ん読パラダイスでも当時を述懐している。
かつて「モノマガジン」誌上でコラム「モノモノしい話」を連載し、物欲者を嘲弄するひねくれたその文体が一部に絶賛を浴びて、同誌躍進の一翼を担った男がいた。名を奥田英朗という。90年には同コラムをまとめた単行本「B型陳情団」を講談社から上梓し、前途も洋々と見られたのもつかの間、あまりにひねくれたテイストが高級グッズ広告誌と化した「モノマガジン」にそぐわなかったのか、程なくしてコラムは打ち切りの憂き目となってしまった。
斯界ではやはり、その文章とセンスが早くから注目されていたのであろう。彼は20代から発表の機会を得ていたことになる。そういえば、本格的に社会人スタートした広告代理店「新広社」はオーディオ関係のクライアントがメインであり、無類の音楽好き、ロック好きの彼は、その後も音楽系、グッズ系のメディアとのコネクションはあった。まあ、いずれにしてもこのコラムは彼にとって余技であり、一部のマニアの間では「奥ちゃん」の文章は絶大な人気を博したとしても、「会ったこともない多くの人の心を動か」すには、媒体と内容がマニアックだったというしかない。残念ながら、この処女作『B型陳情団』は大して売れずに絶版となった。
彼の30代はどうだったのかなあと想像する。社会に出てからずーっと仕事をしてきた広告業界。バブル崩壊した後の90年代は、不況時に企業が真っ先に手をつける広告宣伝費が急速に削減され始めた時期である。バブル期はフリーランスの人間の方が、恩恵を享受した面もあるが、湯水のように金を使っていた法人の広告需要がしぼんでいくのと軌を一にして、経済的にも厳しくなってきたのではないだろうか。無論、奥田英朗ほどの才能をもってすれば、発注者は放っておかないから、食べていくのに不自由はしなかったと思うが。
それまでは、「小説を書く気なんて思ったことはなかった」と語っているのは本当だろう。というより忙しすぎて、小説書く暇なんてなかったというのが実態に近いかもしれない。バブルが弾けて時間に余裕ができたことで、小説の習作を始めたが、初めて書いたのが34歳の時だという。93年、私が社会人になった年でもある。
ふと、この時代がもし今だったらと考えてみる。つまり93年時点の奥田英朗をタイムマシンで03年頃の地点に立たせたとしたらどうだろうという空想だ。「会ったこともない人の心を動かしたい」と希求した彼も、もしかしたら、今頃アルファ・ブロガーの一人に数えられているかもしれない。当時のモノ・マガジン随一の人気コラム「モノモノしい話」で好事家を唸らせた名調子は、インターネットでも評判を呼び、数万のページビューを叩き出すような巨大サイトになっていても不思議ではない。小田嶋隆(テクニカル系・サッカー)に対抗する、奥田英朗(メンタル系・野球)という感じか。現在は出版社の編集者が、出社するなり午前中はネット巡回して、コンテンツを血眼になって探す時代だ。どんな形であれ、実力派の彼はもっと早く、そしてもっと楽に世に出ていたのかもしれない。
彼は、誰もが考える新人賞への応募という道を選ばなかった。その理由を「選考委員の顔ぶれを見て嫌になった」と語ったそうだが、こういうところが好きなんだよなあ。覚えがある人も少なくないだろう。「あんな教師に評価されるなんてサイテー!」「あんな無能な上司に査定されるなんて冗談じゃないぞ!」という感じか。そこで、彼は「出版社への持ち込み」という当時でも相当に古典的な方法をとることになる。元々、メディアの仕事をしていて、自らも本物の編集者でもあった彼は、その時代にどんなことを思ったのだろうか? 大版元の看板だけで高禄を食んでいる態度のでかい殿様編集者にうんざりしたこともあったろう。長年やってきた広告記事やコピーというある種の受注生産品ではなく、自分でテーマと題材を探す自由さにも戸惑いながらも、この時期生まれて初めて、小説を書くことを考え抜いたのではないか。彼は書いた。没になり、そしてまた書いた・・・。
当時がブログのある時代でもなく、彼が泥臭い出版社への持ち込みを続け、砂を噛むような日々を送ったことに、我々は感謝しなければならないだろう。おそらく、この時期に彼は心の病に悩まされたのではないかと思うからである。この雌伏の時間、そして懊悩の経験があったお陰で、のちに数々の名作が産み出されることになるのである。
『空中ブランコ』で直木賞をとった後、オール読物には「ドクター伊良部を奥田英朗が訪ねたら」とかいう架空対談が掲載され、月刊文春の「うつ特集」でも「神経症のお陰で作家になれた」という題で寄稿している。いずれも立ち読みだけで、原本も手元になく、内容は記憶に頼るしかないのだが、奥田英朗はドクター伊良部シリーズが、自分の実体験から生まれたものだと告白している。
ドクター伊良部以前にも、そもそもデビュー作の『ウランバーナの森』の主人公ジョンがまさに、自律神経失調か不安神経症の設定であり、このジョンがのたうちまわる姿や心象風景は、物凄いリアリティーがある。便秘やおくびを出すシーンなどは、患った人ならではの迫真にみちているし、医者との対話やその生態の観察にも、『イン・ザ・プール』への萌芽を感じ取ることができる。「自分自身がこんな精神科医がいたらいいなと願って、作ったのが伊良部一郎」と振り返るのとも一致している。
『ウランバーナの森』から、出世作『最悪』まで1年半ほどのインターバルがあり、その間もむろん苦しみやストレスはあったかもしれないが、彼の心が風邪を引いていた時期というのは主に、90年代前半−つまり彼自身30代前半だったのではないかと推察する。作家・奥田英朗の夜明け前である。
先のことをあまり考えずに、都会のギョーカイ人として、気ままに楽しく過ごした長い青春時代が終わり、30代は周囲が皆、結婚したり子供ができて、次のステージに向かう季節である。20代の頃は怖いモノ知らずで体力もあった。徹夜も平気だったし、若くして社会に出た彼は、仕事相手はもっぱら年上だった。噛みつくことも、どこかで甘えることもできた。
それが、家族を養わねばならない責任も生じた。仕事でもベテランの彼には、発注者の要求水準も高い。人を使う局面も増えてくる。ある意味ではクライアントが鷹揚で、クリエーターにとっていい時代だった好況期は既に去っていた。一つの企画書とプレゼンで20万円の請求書を平気で出せた頃と違い、発注者からのコストダウンや納期の要求も厳しさを増している。(『最悪』の主人公の一人、零細鉄工所経営者川谷の、読み進めるほどに胸を締め付けられるような、あの焦燥感も実体験であろうか)
そして、先の展望がみえない状況の中、あれだけシャープでセンシティブな人だからこそ、精神の平衡を崩してしまったのかもしれない。
奥田英朗には、こういうバックボーンがあるから、あれだけのものが書けるんだと思う。『マドンナ』や『ガール』そして、長編『サウスバウンド』のような、イマジネーションが軽快に躍動している作品も魅力的で楽しいが、奥田英朗の真骨頂はそこではない。
『邪魔』の九野、平凡な主婦だった及川恭子、『最悪』に出てくる普通の銀行OLなどの市井の人物が「正」から「狂」に変わっていくさま、ある種の狂気のようなものを書かせたら、現在、奥田英朗の右に出るものはない。
彼が時代に必要とされ、多くの人に読まれている源がここにある。彼の弱者に対する視線が何とも優しいのである。
一部では「負け組文学の傑作」とか、「現代の下層社会の実相」と評された『ララピポ』は、私の好きな連作短編集である。最終第6話「GOOD VIBRATIONS」のラストが印象的だ。本編の主人公・玉木小百合が渋谷の街を歩く。
道行く人たちをぼんやりと眺めた。みんな、どんな人生を送っているのだろう。みんな、しあわせなのだろうか。
考えるだけ無駄か。小百合は鼻息を漏らした。泣いても笑っても、どの道人生は続いていくのだ。明日も、あさっても。
メディアに載るような華やかな人間は、ほんのごく一部。どんな場所に行っても、どんな組織に入っても、どんな仕事を担当しても通用するなんていう人は、1万人に1人もいやしない。みんな、自分が少しでも得意な分野に居場所を見つけて、何とかかんとかやっているにすぎない。同様に、誰とでもうまく付き合える奴だって本当は存在しない。ほとんどの人は、ちょっとした運があって、似たもの同士で寄り添ったり、親切な人に支えられているにすぎない。
a lot of people ララピポ たくさんの人々
これは奥田英朗から、多くの平凡な人たちに捧げた人生賛歌かもしれない。
「奥田英朗を読み解く」などと大げさなタイトルで書いてきたが、的外れな部分も多かったかもしれない。でも私は奥田英朗をこれからも読んでいこうと思う。
〈敬称略〉
〜最後に私の好きな奥田作品〜
「総務は女房」(『マドンナ』収録)
「フレンズ」 (『イン・ザ・プール』収録)











最近奥田作品にはまりつつあって、読み漁ってるところです。
参考にさせていただきますね!
とっても参考になりました。
夏炉冬扇ではなくて夏扇冬炉でした。
これからもおじゃまさせていただきます。
『イン・ザ・プール』から、奥田英朗大好きになりました。
他のも読んでみます。
これからもよろしくお願いしますね。
「奥田英朗を読み解く」おもしろかったです。
また私は「空中ブランコ」しか読んだことないので、
これからいろいろ読んでいこうと思っています。
私からもTBさせてもらいました。
わたしもいま奥田作品にはまってきているところです。
もっとこれからたくさん読み漁ろうと思っています。
奥田氏の作品はまだ4作しか読んでいません。「最悪」からはまりました。
途中でやめる事が出来ず朝までかかって一息に読んでしまいました。
音次朗さんの解説、とても良いですね。
他の記事も探索させていただきます。
「東京物語」が手元にありますが
他にもあれこれ読んでいて
いつそこにたどり着くやら。
また遊びにきてくださいね。
これからも宜しくお願いします!
ちなみに僕が読んだことのある彼の作品は、読んだ順に『サウスバウンド』『ララピポ』『イン・ザ・プール』『空中ブランコ』です。
『イン・ザ・プール』は映画も観ました。映画は本の内容がかなり凝縮されていて、やっぱり原作を読むほうが面白いと感じました。
あとは『マドンナ』や新作『ガール』など読んでみたいです。特に『ガール』は全国的にも人気があり、読むのが楽しみです。
空中ブランコで奥田英郎の世界観の虜になりました。
奥田歴はまだまだ浅いですが、これからいろいろと読んでいきたいと思います。
論説、大変参考になります。まだ『最悪』一冊しか読んでいないのですが、他の作品も無性に読みたくなりました。
とても参考になりました!!
まだ『イン・ザ・プール』『空中ブランコ』しか読んだことないので、これから探して読んで見ようと思います。
ありがとうございました(m*_ _)m
奥田さんに対して新しい印象を持つことが出来ました
これからもっと奥田作品を読みたいと思いました!
>みんひろさん、たしかに希有な世界観を持った作家だと思います。
>あおさん、そう言っていただけると、とても嬉しいです。
>みかげさん、小説誌には精力的に発表している旬の作家ですから、今年もまだまだ新刊がありそうですよ。
とても楽しくブログを拝見いたしました。
奥田さんは次に何をしてくれるのか。。?と思わせ
また期待を裏切らない作品でいつも新作を楽しく
待っています。
初めてTBするので、緊張してしまいました。
奥田英朗はかなり読んでいるつもりですが、実は「野球の国」や「延長戦に入りました」などのエッセイが一番好きです。
「東京物語」は今読むと悲しささえ感じます。
「港町食堂」は『旅』掲載時から好きでしたが、写真がないと印象が変わりますね。
写真がない方が、奥田英朗のセンチメンタルな部分が強調された作品になった気がします。
奥田英朗は、まだ既読が少ないので
これから沢山読みたいと思っています。
こちらからもTBさせてくださいね。
これからも奥田英朗は読み続けたいと思います。
奥田英朗初心者です。
これからたくさん読み始めたいと思っていますので参考にさせていただきます。
最近、マドンナを読み終えました。面白かったです。
空中ブランコ、インザプールを今後読んでみたいです。
“奥田英朗考”
とても興味深く読ませていただきました。
『最悪』も先日読了しました。
奥田作品は寝不足&長風呂になってしまうところが困りものですね。。
私は彼の感性は大好きです。
『イン・ザ・プール』は図書館で借りて読みましたが、2週間の間に何回も読み返してしまいました。
そのころ私も欝っぽくなっており、非常に共感できたからです。伊良部先生のような人が本当にいたらいいのにと思います。型破りのようで、実は治療の本質を突いていると感じるからです。
映画は全然ダメでした。私の評価ですが。深刻みが全然感じられない。患者の状態は、面白おかしく描写されているけどとても切羽詰っているんです。映画ではそれが感じられませんでした。文庫が発売になったので、買いました。
ララピポは、本屋で少し立ち読みしようと思ったら、帯に「お下品な作品」と言うようなことが書いてあったので、ためらわれて、断念しました。図書館で借りて読みました。
いや、これも良かった。私が今まで読んだ彼の作品は、いわゆる「負け組」らしき人々が主人公のものばかりです。でも、奥田さんの彼らへの暖かなまなざしが感じられるんです。一風こっけいな言動をする彼らへの優しさが感じられる。・彼らを認めているまなざしが。
サウスバウンドもしかり。
あのお父さんは、まるで自分自身を見ているようでした。
これから、まだ読んでいない作品に挑戦しようと思います。
ありがとうございました。
著者は男性目線も女性目線もうまく描ける素晴らしい作家だなぁという印象で、最近気に入っています。
でもまだまだ作品を読んでいないので、どんどん読んでいきたいと思います。
ララピポ、サウスバウンドとたて続けに読みました。
奥田さんといえば、このブログ、とやってきました。
奥田さん、読めば読むほど、その才能に惚れこんでしまいます。 まだ未読の作品がいくつかあるので楽しみです。
TBさせていただきました。