大阪近代建築BLOG

消えていく近代建築に異議申し立て
-大オオサカまち基盤(大バン)-

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印度ビルディングの歴史その1(まさきち)

2005-02-13 01:12:28 | 歴史アーカイブ
産経新聞を見てメールをくださった、初代印度ビルディングオーナーのお孫さん。
謄本を上げても遡れなかった歴史に出会うことができました。
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現在残るその建物は、昭和初年、私の祖父・新良貴徳兵衛が
当時珍しかった鉄筋コンクリート3階建ての薬種問屋新良貴徳兵衛
商店として大倉組 - 大倉建設(?)に発注して作ったもので、
私ども一家は終戦後まで商住に使用し、馬車、肩引車で雑踏する
商いの現場から、一転6月の焼夷弾攻勢や終戦前夜の京橋に集中
した1トン爆弾の猛攻などを地下室で死ぬ思いで過ごしたさまざまな
思い出を残しております。
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平成13年、古いアルバム整理され、自分史を自費出版されました。
『道修町なかぼん成長記』
大掃除の休憩に屋上でのんびりしているときに次のようなお話を聞かせてくださいました。
 ・子供のころは屋上でドッチボールなどもしていた。
 ・戦争のとき、屋上のタイル舗装に焼夷弾が落ちたが、割れずに無事だった。
 ・当時はこの周辺にはこのような鉄筋コンクリート造の建物はほとんどなく、
  堺筋を越えた町内に少しあったくらいで、かなり目立っていた。
 ・空襲のとき、まわりの町内の人が、地下の防空壕にみな避難してきた。
  「あそこに行けば助かる」と町内のひとは思っていた人が多く、
  今でも「その当時は有難かった」と恩を感じている人もいる。
 ・屋上の道側の壁の真ん中にある棒には、町内で召集されていく人の名や、
  元旦には国旗を掲げていた。

「この部屋では仕出しの料理を頼んで出征していく人を見送る会をしました」
とお聞きして、そこに流れた時間の長さがじーんと感じられました。
(3/20にはその部屋でシンポジウムを行います)

大掃除まで手伝ってくださって、うれしいコメントをお寄せくださいました。
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思いがけない60年ぶりの「我が家」との再会。太ももや腕などが
ハリを訴えても、心良い興奮でなかなか寝付けませんでした。

改めて内部を見ると、僅かながら往時のままに残った所どころに、
どの階段も幅が狭い上に段差もきついという、案外な記憶違い
もありましたが、このあたりがこうだったとか、ここで兄弟たちが
あんなことをしていたなど、次第にイメージが湧いてきました。
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新良貴徳兵衛の名前発見 (tek_tek(ことOGAWA))
2016-01-06 08:45:53
歴史研究をしているtek_tekです。
おはようございます。
福山市神村町今伊勢宮さんという神社の社殿整備の献金者の中に山南出身の新良貴徳兵衛さんの名前を発見しました。
http://img.yaplog.jp/img/18/pc/t/e/k/tek_tek/4/4867.jpg

こちらでは仁丹創業の森下博は有名ですが・・・・新良貴徳兵衛のことを知る人はありません。是非情報をお願いします。

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