
夏休み5日目。この日は今年の夏休み中、唯一の旅行らしい外出。
岩国を出発して山陽線の下りに乗車。電車は海岸線沿いを走る。
左側の車窓は海の青、右側は山の緑という典型的な(と個人的に思う)瀬戸内の風景。


大畠駅で下車。駅前にいたタクシーをチャーターし、大島大橋を渡って、いざ周防大島の旅へ。(この島の正式名称は「屋代島」なのだが、地元民は誰もそうは呼ばない。「大島」で通っている。「大島」もたくさんある、ということで、「周防大島」と言うことも多い。)
大島大橋から最も遠い、島の反対側にある「陸奥記念館」が最初の目的地。
車で小一時間かかったのだが、途中の風景が素晴らしく、全く退屈しなかった。風景といっても延々海の景色が続くだけなのだが、海の色、波の形などまさに千変万化、さまざまな表情を楽しめた。
「陸奥記念館」に到着。
陸奥(むつ)は旧日本海軍の戦艦で、長門型戦艦の2号艦。当時、同型艦の長門、イギリス海軍のネルソン級2隻、アメリカ海軍のコロラド級3隻とともに世界最強の戦艦の7隻と目されていた。ちなみに長門は太平洋戦争開戦時、連合艦隊の旗艦だった。(長門の次代の旗艦が大和。)この長門は終戦時、唯一生き残った戦艦として米軍に接収され、連合国側の老朽艦とともにビキニ環礁での核実験で標的艦とされた。その際、他の艦船が次々と沈没する中で被爆後4日間沈没しなかったことで、その優秀性が注目された。
しかし、同型艦の陸奥は1943年、謎の爆発事故を起こし、沈没。1970年にはサルベージが行われ、その時引き揚げられた武装や遺品がこの「陸奥記念館」に展示されている。

昨年訪れた呉の「大和ミュージアム」のような大掛かりな展示ではないが、実際に引き揚げられた「本物」の説得力はやはり大きい。
屋外に展示されている艦首部分と14cm副砲には圧倒される。


写真は記念館前から見た瀬戸内海。まさに「多島海」。
陸奥記念館を出て、次の目的地は元正寺。村上水軍の頭領として戦国期に勝ち約した村上武吉(参照:2010-07-28「秀吉と武吉 城山 三郎」)永眠の地。
だが場所がわからない。地元の、それも「村上」姓の人にも尋ねたがなかなかはっきりしない。だが変に観光地化していないところは好感が持てた。
しばらくさまよってようやく尋ねあてた。瀬戸内海を見下ろす眺望の地。水軍大将にはふさわしい土地のように思えた。

そして大島最後の目的地は「日見(ひみ)の大仏」。西長寺にある平安期の木造阿弥陀如来座像で、国指定重要文化財。

大仏殿の扉が閉まっており、拝観できないかと思ったのだが、扉の一部がガラスになっており、そこから見ることができた。光背や台座までがきちんと保存されていて、見応えがある。資料的な価値も高いのだろう。
多くの石像が並ぶ裏庭も面白い空間だ。

これで大島から帰還。この日は、この後電車で光市に移動してパキスタン料理店「ラホーリ」で昼食という予定にしていたのだが、電車の時間が悪かったのでそのままタクシーで直接お店へ。マトンカレーを注文。辛さを「ふつう」でオーダーしたせいか食べやすいのだが味には深みがあり、楽しめた。パキスタン人のオーナーの対応も非常に感じが良く、心地よく過ごすことができた。
実はこの日は台風が接近中。天候が悪化する前に遊ぼうと思って急ぎ足で回ったのだが、ちょうど帰りついたところで降り始めた。幸運。
岩国を出発して山陽線の下りに乗車。電車は海岸線沿いを走る。
左側の車窓は海の青、右側は山の緑という典型的な(と個人的に思う)瀬戸内の風景。


大畠駅で下車。駅前にいたタクシーをチャーターし、大島大橋を渡って、いざ周防大島の旅へ。(この島の正式名称は「屋代島」なのだが、地元民は誰もそうは呼ばない。「大島」で通っている。「大島」もたくさんある、ということで、「周防大島」と言うことも多い。)
大島大橋から最も遠い、島の反対側にある「陸奥記念館」が最初の目的地。
車で小一時間かかったのだが、途中の風景が素晴らしく、全く退屈しなかった。風景といっても延々海の景色が続くだけなのだが、海の色、波の形などまさに千変万化、さまざまな表情を楽しめた。
「陸奥記念館」に到着。
陸奥(むつ)は旧日本海軍の戦艦で、長門型戦艦の2号艦。当時、同型艦の長門、イギリス海軍のネルソン級2隻、アメリカ海軍のコロラド級3隻とともに世界最強の戦艦の7隻と目されていた。ちなみに長門は太平洋戦争開戦時、連合艦隊の旗艦だった。(長門の次代の旗艦が大和。)この長門は終戦時、唯一生き残った戦艦として米軍に接収され、連合国側の老朽艦とともにビキニ環礁での核実験で標的艦とされた。その際、他の艦船が次々と沈没する中で被爆後4日間沈没しなかったことで、その優秀性が注目された。
しかし、同型艦の陸奥は1943年、謎の爆発事故を起こし、沈没。1970年にはサルベージが行われ、その時引き揚げられた武装や遺品がこの「陸奥記念館」に展示されている。

昨年訪れた呉の「大和ミュージアム」のような大掛かりな展示ではないが、実際に引き揚げられた「本物」の説得力はやはり大きい。
屋外に展示されている艦首部分と14cm副砲には圧倒される。


写真は記念館前から見た瀬戸内海。まさに「多島海」。
陸奥記念館を出て、次の目的地は元正寺。村上水軍の頭領として戦国期に勝ち約した村上武吉(参照:2010-07-28「秀吉と武吉 城山 三郎」)永眠の地。
だが場所がわからない。地元の、それも「村上」姓の人にも尋ねたがなかなかはっきりしない。だが変に観光地化していないところは好感が持てた。
しばらくさまよってようやく尋ねあてた。瀬戸内海を見下ろす眺望の地。水軍大将にはふさわしい土地のように思えた。

そして大島最後の目的地は「日見(ひみ)の大仏」。西長寺にある平安期の木造阿弥陀如来座像で、国指定重要文化財。

大仏殿の扉が閉まっており、拝観できないかと思ったのだが、扉の一部がガラスになっており、そこから見ることができた。光背や台座までがきちんと保存されていて、見応えがある。資料的な価値も高いのだろう。
多くの石像が並ぶ裏庭も面白い空間だ。

これで大島から帰還。この日は、この後電車で光市に移動してパキスタン料理店「ラホーリ」で昼食という予定にしていたのだが、電車の時間が悪かったのでそのままタクシーで直接お店へ。マトンカレーを注文。辛さを「ふつう」でオーダーしたせいか食べやすいのだが味には深みがあり、楽しめた。パキスタン人のオーナーの対応も非常に感じが良く、心地よく過ごすことができた。
実はこの日は台風が接近中。天候が悪化する前に遊ぼうと思って急ぎ足で回ったのだが、ちょうど帰りついたところで降り始めた。幸運。











みかんの島だとばかり思ってました(^^;
すみませぬ、大島の皆様。
地元でもほとんどPRしている気配がありませんから。
むしろ、この記事で存在を知っていただけたなら、本当に光栄です。
決してアクセスしやすい所とは言えませんが、海の綺麗なところですし、
ダイビングのついで(?)にでも是非どうぞ。