おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

諏訪大社の前のミシャクジ(御左口神社)にお参り

2017-07-27 | 山伏修行

今回の旅の目的のミシャクジにお参りです。

昨日、諏訪大社の歴史ついて少し触れましたが、

縄文時代からの長い歴史があります。

上の写真でブル-の部分は諏訪湖で赤いピンは、縄文遺跡です。

茅野市には、平成29年3月現在348カ所の遺跡があります。

土偶がつくられたのは縄文中期(約5000年から4000年です。

なぜこれだけの集落が残されたのは、①豊富な動植物②集落づくりに適した地形

③本州最大の黒曜石の原産地であると考えられています。

今回初めて尖石縄文考古館にバスで向かいましたが、

穏やかな八ヶ岳山麓を感じさせ、縄文遺跡があったことを感じさせてくれました。

4000年以上前に沢山の古代の人たちが営んでいたことに感動します。

諏訪神社の歴史をひもとくと古事記に遡ります。

大国主命の国譲りで「たけみなかたの神」が建御雷神に敗れて

科野国の州羽海に逃げて、この地から他に行かないと言って、

父と兄の言葉に従うことで許されました。

伝承では、建御名方神は、「軍神」で「武神」であることと

矛盾があります。しかし、古事記が一般に知られるようになったのは

江戸時代と言われています。

その当時、高志(越後)から科野国(信濃国)に君臨していたのが、

モリヤ一族でした。そこで中央政府は、

宗教的封印で、中心地である諏訪の安泰を保証する代わりに、

武力放棄の誓約をさせた。その証が、春宮・秋宮の建設であり、

皇別祠職金刺氏の派遣である。

神長官 守矢史料館

設計は、東大生産技術研究所助教授 藤森照信先生です。

 

カシノ木、カヤの木、クリの木の古い由緒ある樹種である。

みさく神は、諏訪社の原始信仰として、神長官の神。

神長官家の祈祷は一子相伝で、神長以外他の何人もたづさわることを

許されていません。

ミシャクジ社(御左口社 御社宮司)

 

 ひとつひとつ由来があります。

稲荷社、天神社、霊石、神明社。

古墳もあります。

小さい御柱はかわいいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神事は、諏訪上社前宮十間廊で行われ、十間廊に鹿の首70頭余りを

供えたものである。

現在では、剥製の鹿の首3頭で神事を行っています。

古代において生け贄の儀式のなごりではいわれています。

人身御供も・・・・ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 階段は途中で無くなっています。

 

 

 

 

 

 

ウイキペディアから

突峠(つえつきとうげ)は、長野県茅野市と同県伊那市境界にある峠。標高1,247m。国道152号が通っている。

茅野(諏訪盆地)側は糸魚川静岡構造線による地溝によって直線距離が3kmに満たないにもかかわらず高低差が400m以上にもなる急傾斜となっている。道が険しいことから峠の名が付けられたとの説があるが、本当の名の由来は、次の通り。杖突峠の南に位置する「守屋山」は諏訪大社のご神体であり、かつてこの峠では神降ろしの儀式が行われていた。降りてきた神がはじめてその杖を突く場所がこの峠であることから、杖突峠という名が起こった。また、この峠は晴ヶ峰(ハルガミネ)の別名を持つが、この名前の由来も前述の通り、「ハレ」の儀式が行われる峰であることからである。

 

 

 

 

 

 今度ゆっくりこのガイドブックで散策したいですね。

フォッサマグナの構造線には、いろいろな歴史があります。

古代の人は地震に対して恐れと敬う気持ちを持ち、後世にに

伝えようとしたことが各地に見られます。

龍神を祀ってある場所は、活断層のある場所で

地震のまえに前兆現象が見られて地域と言われています。

阪神大震災のときに地震の起きる1時間ほどまえに

朝になったかと違えるほど明るくなったとの報告があります。

 

 

ありがとうございました。

諏訪というところは、歴史的に大変興味を引くところですね。

「たけみなかたの神」は大変興味をそそられます。

今で言ういじめから逃れて「ごめんなさい」と謝った弱々しい神が、

武田信玄や上杉謙信の軍神として祀られているのです。

不思議ですね。

 

 

 

 

 

 

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