インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

小暴君が消える

2014-10-19 15:36:51 | 身の回り
  10月半ばの日曜日は、天候も良く、室内は27度を超え、雅太のチェック模様な服は汗ばんでいた。今月、会社の「小暴君」が辞めたという事件があり、5年という月日の長さをひとしお噛み締めてみる。

 雅太はカルロス・カスタネダの著作物を4年近く読み耽っているわけであるが、実践が重要なのであり、それは「夢見」やら「マジカルパス」に限らず、こてんぱんに自分を叩き伏せてくれるような「小暴君」が必要であるらしい(『意識への回帰』)。

 現代だからこそ、暴力や刑罰は行われぬも、出来るだけ法に触れぬ範囲内で、社内の人(上司でさえ)圧迫するような存在が、雅太の会社には存在していた。背が高く、目つきが並でなく、逆らいがたいオーラを放っていたわけである。同じ部署であった時には、非情な命令やら理不尽な叱責を受けたり、それで辞めた同僚を多く見てきた。雅太も「どうしようもない野郎だ」と心の中が煮えくり返っていたわけであるが、何とか耐え抜いてきたわけである。だが、時が経つに連れ、そういったやり方が会社には合わなくなったせいか、クレームが多かったせいか、辞職に追い込まれたようだ。

 そういった小暴君とも、雅太は時が経つに連れ、接触するようになった。同じ立場に回ったわけではないが、ちょくちょく話をするようになった。部署が変わったということもあろう。小暴君はその立場が故に孤独なのかもしれぬ。

 雅太は彼を見るたびに、時代こそ違えば、織田信長といった名だたる戦国武将になったのかも知れぬ、と考えたりした。現代社会、株式会社は利益を上げなければならないと同時に、労働者は保護されなければならない、ので、戦国時代のルールは通用しないから仕方がない。

 そんな小暴君であるが、最後には雅太の実家の米を大量に購入してくれた。雅太も彼も来年はどうなっているか分からぬが、また米を渡す時には言葉を交わすことになるのだろう。私生活では案外、実家思いで、愛妻家、別の側面を見たりする。とりとめの無い話をし、別れ際に「一番ためになりました。良い修行になりました」と雅太が頭を下げたとき、彼の眼差しに薄ら笑みが見られたような気がした。
 
 5年前には思いもしなかったことであるが、滅多に会えないような貴重な人物であったような気がするのであった。
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿