新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

組織を運営する能力

2017-10-24 08:34:08 | コラム
政治家を志すならば先ず実社会を経験せよ:

これは先日あらためて紹介した故緒方竹虎が同家で書生をしていた地元の名門修猷館高校を経て早稲田大学政経学の学生が、大学を卒業する時に教え諭した台詞である。私は諭された当人(同期入社だった)から聞いて、そういうものかと思った。私は政治家の手腕の発揮の仕方にも色々と分野や乃至や種類があるのだろうくらいには考えている。そして、人によっては政治家になるまでに一定以上の人数で構成されている会社、団体のような組織の長を経験しておく必要があるだろうとズーッと考えてきた。

それは「組織の長たる者はどのように組織を作り上げ、人を動かしていくかを経験しておくことが将来必ず役に立つはずだ」と信じているからだ。そういう組織と人を統治していくことは県会議員等の地方議員を経て国会に出来た方には経験する機会も暇もなかったと思っている。そういう議員が当選回数も少なく、失礼を顧みずに言えば「数合わせ要員」である間は何の苦労もなく問題も生じないだろう。「組織と人を動かすこと」は秘書さんたちを使うこととどれほど違うゲームかを学ぶ機会はないだろう。

また、幸運にも閣僚に任じられれば、そこにあるその議員が長となる官庁は恐らく我が国で最強の部類の組織だろう。新大臣の能力如何に拘わらず動いていける組織ではないのか。そのような統治をする能力のことを、我が国の議員たちかマスコミか知らないが、何故か「ガヴァナンス(governance)のようなカタカナ語を使って格好を付けてようとしたが、私に言わせれば、英語擬きを使って自らの至らなさを補おうとでもする企みだろう。Oxfordには”the ability of governing a country or controlling a company or an organization” とあるから、意味は間違いではないようだ。

小池百合子さん率いる希望の党はこの度の選挙では、発足当時に豪語したほどの結果が出ずに議席を減らしたのだが、私はマスコミが挙って貶すような惨敗ではなく、予測できた当然の結末だったと思っている。その主たる原因の一つとして先ず言えることは、指導者である小池百合子東京都知事と希望の党の組織の結成と運営と指導の経験が全くなかったことがあると思う。しかも、小池さんは自らが掌握した全権を如何に適正に行使するかを、全く経験してこられなかったので、独断専行も多かったし、発言にも誤りが多かった。推測すれば、側近に人を得ていなかったも知れないのか、人を見る目を鍛えれる暇もなかったとも言えるだろう。

私は何もここで小池批判を繰り返している気はない。言いたことは「自分が全権を掌握する組織を作り上げて(「立ち上げる」という妙な表現を流行らせたのは何処の誰だ!?)それを成長させる経験を積んでこそ指導者たり得るのである」なのだ。しかも、組織の長は「組織の構成員一人一人に権限を委譲して責任を持たせて仕事をさせることが、どれほど恐ろしいかを知るべきなのだ。その経験なくして部下に任せる度胸も備わっていなかったにも拘わらず、何でも自分でやろうと思えば、失敗することが多いのは当たり前ではないか。

それほど簡単ではない自分の組織の運営が滞りなく行っていない状態で、他社(他党?)との経営統合や合併を企図するのは時期尚早であると言える。そこまで企てるのならば、周囲によほどカタカナ語にすれば「スタッフ」(=参謀)である手練れの経験者か法律の専門家がいない限り、組織の長が狙ったような成果が挙がる確率は低いと思う。ここで、いきなりアメリカの会社の例に話が飛ぶが、かの国では事業本部長は自ら面接してこれと思う者たちを集めて新規事業に進出を企てるのだ。アメリカ礼賛ではない、飽くまでも比較論の一端である。

矢張り、小池さんの批判の如きになってしまったかも知れないが、私は実社会(会社勤務でも良いだろう)の経験もなく、そこで自分の責任で組織を任されて、部下に権限を与えて仕事をしたことがある人が国政の場に出ていく方が、故緒方竹虎の言にもあるように、望ましいと考えている。では、どのような会社でも良いのかと言えば、そこには容易ではない選択がある。その人物が会社を選べるのはなく、選ぶのは会社側の権限なのだから。



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