February 9, 2012
ずいぶん前に買ったのになかなか読みだせずにいる本がある。司修『本の魔法』(白水社)もその中のひとつだ。調べてみたら昨年の12月18日にアマゾンに注文しているので、1ヵ月以上経ってやっと開いたことになる。第38回大佛次郎賞を受賞した作品で、司修氏が装画・装幀を手がけた本とその作家、また周辺の文学者や編集者たちとのつながりが、語られている。本そのものの引用も多く、この本の中身を濃くしている。何よりも驚いたのは、私が今度読書会のレポーターになった時に取り上げようと思っていた本が、最初の章に登場していたことだ。この本についてはあとで触れることにして、埴谷雄高『死霊』、島尾敏雄『死の棘』、森敦『月山』など、読書会で読んだ本が出てきている、また、その著作を取り上げた作家も次々と登場する。読書会に関連していない作家は数えるほどだ。メンバー4人で、好き勝手に選んでいるつもりでも、どこかに共通点があるのかと、ひとつ発見した思いだ。本と作家についてこれだけ深く語られると、どの本ももう一度読み直したいと思う。また江藤淳『なつかしい本の話』、水上勉『比良の満月』『寺泊』、古井由吉『杏子・妻隠』等々、すぐにでも読んでみたい。
司修という人は、不思議な人だ。高い芸術性を備えた才能と同時に、いつも生活者のにおいがする。司が意図していることかどうかは分らないが、同じ筆一本で生きていく人であっても、作家(司も作家ではあるが)と画家の違いかもしれない。彼が装画・装幀を引き受けた作家たちと酒席を共にする中で、酔いつぶれながらも、自分と少し距離を置きながら、何か憧れをもった目でその人たちを眺め、語る。そして、本書の最後の方に登場する、水上勉や小川邦夫との交流では、無二の友のように心を通じ合わせる。父親がなく、中学卒業と同時に働かなければならなかったといった、司の育った環境について、彼が語り、またいろいろなところで伝えられているが、そういったこととは関係なく、彼の本来持っている気質のようなものではないかと思う、平凡な言い方だが、才能プラス優しさと人懐っこさのようなもの。私が司修の作品に惹かれたのは、こういったものだったかもしれない。どこを探しても自分の中にないものだ。昨日午後から夜半にかけて読み続け、読了した『本の魔法』には、多くのことを教えてもらった。ときには熱いものが込み上げてくることもあった。まさに本の魔法にかかってしまった時間だった。
本書に登場する作家のほとんどが鬼籍に入っている。いずれ人は死ぬ。特にこのごろ「死」が現実味を帯びて自分を縛るようなことがあり、少し恐くなりさえする。しかし今日この本を読めてよかったと思う。そしてここに登場する作家の本を読める日常に感謝したい。次回の読書会の本、田中慎弥『切られた鎖』(新潮文庫)、加賀乙彦『科学と宗教と死』(集英社新書)は、今日アマゾンから届くことになっている。まずはこの2冊を読もう。先に触れた、私が読書会で読みたいと思っている本は、武田泰淳『富士』(中公文庫)だ。『本の魔法』に登場し、読書会でその作品を一度も読んでいない作家の本である。










