プレトニョフの秋のリサイタルはやっぱり中止で、
セット券でチケットを売ってしまったトッパンホールは
やっぱり大事になってしまったようです。
お知らせ
それはそれでいいんですが、引退って・・・。
しばらくピアノを休みたいってだけじゃないのかなぁ。
作曲のための時間を取りたいって言う話はどこかで聞いた事があるし、
人生の7割だか8割だかを移動に費やすのは虚しいって
言ってるのを読んだ記憶があるし、
今年はボリショイでオペラ振ったりするし
勉強する時間も欲しいんでしょうね。
まあ、そんなところかなと。
実際、身動きできない飛行機での長い移動、時差ぼけ、
言葉や文化の通じない国で基本的に他人ばかりが相手の仕事でストレス溜めてるのに
一日サボれば自分にわかる、二日サボれば妻にわかる、
三日サボれば一般人にわかるといわれるピアノの世界、
ピアノのポテンシャルを下げないようにするには
毎日毎日何があっても、移動先の見知らぬ国で
ピアノの練習場所を見つけ、何時間かかけて練習する必要があって
これって、とんでもなくストレスフルだと思います。
時間が欲しいという思いにとらわれたときに、
ここを削りたいと思うのは不思議じゃないのかもしれません。
要するにくたびれて切れちゃったのかなと。
そういう状態だったら、こちらは冷静に受け止めて
やりたいようにやって満足するのを待つのが正解だと思うんですね。
騒ぎ過ぎるのは良くないと。
本人がまたピアノを弾きたくなった時にすんなり再開できるような環境を
作って待っているのがいいような気がします。
ああいうタイプは無暗につつけば、
意固地になって二度とピアノなんか弾かないとか言い出しそうなので。
もしかすると、すでにトッパンホールがそういうつつき方をしたせいで
引退なんて言葉が飛び出てきたのかも知れませんね。
おかしなことにならなきゃいいけど。
作曲するための時間が欲しいという理由なら
ピアノ曲を作って、その曲を演奏するために帰ってきてくれるなんてのは
いいですねぇ。
自作曲のCDなんか作って。ロックスターみたい。
クラシックの世界じゃ、そういうのはクロスオーバーなんていわれて、
クラヲタは仕分けをしたがるけど
ショパンやリストくらいまでの時代はそういう形をとっていたし、
今のロックはそういう形だし、
大衆に支持される音楽のあり方はそういう形が一番自然なんだと思います。
古典曲かいわゆる現代音楽をしかつめらしく演奏する以外は認めないなんて
変だしね。
ということで、あんまり騒がずに気長に待とうと思います。
もっとも、待ってる間にクラシックマイブーム終わってるかもしれないけど(笑)。
マイブーム復活の周期と合ったりしたらまた楽しいかもしれませんね。
実はアシュケナージのN響音楽監督就任はまさにそういうタイミングでした。
偏狭なクラヲタどもに台無しにされたけど。
それはともかく、最後に八つ当たりさせてもらいます。
なんでまるたの好きなピアニストはみんなしてピアノ弾かないとか言い出す?!
今年は好きなピアニストのリサイタルてんこ盛りで楽しめるはずだったのに!!
追記
2/20以降に、上記トッパンのブログにアクセスされた方はお気づきと思いますが、
記事が修正されていました。やっぱり引退は間違いだったようです