日本民家再生リサイクル協会(JMRA)の運営委員の中に照井善明さんという建築家がいる。
建築や歴史の本など多数所蔵され、また建築関係に限らず、美術品や骨董など美しいものに造詣が深い。
JMRA九州の活動の中で、都市と農村との繋がりや、循環型のしくみづくりに特に熱心な方でもある。
そんな照井さんから、ぜひ読んでほしい・・・と言われ、一冊の本を拝借した。
村尾行一著「山村のルネサンス」(1984年1月15日発行)。
今から22年前の本であるが、指摘されている問題点は今もそのままであるようだ。
(以下抜粋)
このように日本は森の国であり、山村の国だといってよく、さらには「木の文化」の国だとまでいわれている。がしかしである。
なるほど我々日本人の生活は木に囲まれた生活であった。その程度こそ昔に比して減退したとはいえ、いまなお、やはりそうである。
だが、いやしくも「文化」という以上、森林がたくさんあるとか、木材をよく使用するからといった物質的なことだけで、「木の文化」と規定してよいのだろうか。
文化(=カルチャー=耕作)の母体が実生活そのものであることを承認しつつ、だからこそ文化が単なる生物的生存の繊維以上のものとしての「木の文化」であるためには、精神、心情、価値といったあたりまえのあり方こそが決定的な意味を持つと考える。
とすると、森をこよなく愛し、木を金属や石やコンクリートやましてプラスティックなどやらよりも良いもの好ましいものと考え、さらには森と木を民族のいわば個性と誇りやかに思う価値意識が社会全体のものとなっていてこそ、その国の文化が「木の文化」であると規定してよい。
こうした見方からすれば、日本では皮肉な解釈から「石の文化」と断じている欧州が実は「木の文化」圏だと思う。もし、「木の文化」の見本のような国はどこかと問われたなら、私は躊躇なく、それはドイツだと答えたい。
そして日本、少なくとも近代日本の森と木に関する価値意識については多言を要しない。
この国は決して「木の文化」の国ではない。
なおいえば、木は卑しい物、古臭い物、欠点の多い物といった観念が支配的であるうえに、そもそも森林と林業について一般に無知無関心なのである。
ただし断っておくが、こうしたこと自体をとやかくいうつもりは毛頭ない。これからはそれですむのだろうか、ということである。
世界最古の木造建造物のある日本は、自信をもって「木の文化」の国だと思っていた私には、ショッキングな言葉ではあるが、
実感として感じていることは、書いてあるとおりだとも思う。
もう少し、村尾行一氏の視点について考えてみたいと思っている。











「今の街づくりには、今までの文化を感じるものはない。」
って言ってた。。。
そして、「文化がない街には心がない。心がない街で人は育たない」
って。
自分の考えと一致した。
文化って。。。
つい昔までは、日本は「木の文化」だと思う。
今は確かにそうじゃないね・・・
竹垣や、板塀も「腐るからエンビにして。」なんていう人は多い。
もちろん、デメリットを説明し考えを改めていただくが。
このままだと、何千年後に「地球を破壊すること」が文化になってるかもね・・・
いやいや、そんなことになっちゃ困るね^^
地道にがんばろう!!!