(1)『自然と人間の歴史・日本篇』日本列島の形成と変化

2016-01-19 22:16:22 | Weblog
(1)『自然と人間の歴史・日本篇』日本列島の形成と変化

 日本列島は、いつ頃、どのようにして形成されたのであろうか。これには、これまで幾つかの仮説が提出されていて、まずは、2015年1月2日NHKテレビで放送の「生放送!日本列島誕生世界初の超低空撮影で迫る日本列島3億年の謎/日本縦断・奇跡の絶景/冒険!絶海の西之島火山誕生現場に肉薄/鍾乳洞内を空中撮影/潜行!海底大探検へ」から紹介したい。この番組によれば、今からおよそ3億年前(古生代石炭紀のあたりか)には日本列島は存在しなかった。3億年といえば、古生代の石炭紀(3億5900万年前~2億9900万年前)に当たる。恐竜の時代より、さらに遡る。
 この説を含めた有力説によると、3億年前の古生代石炭紀のあたり、もしくは中生代ジュラ紀末になるまで、日本列島の大半はアジア大陸の東の海底にあったろう。その形ができていったのは、主に火成活動による地質形成によるものであったと考えられている。なにしろ、4つのプレートがぶつかり合う世界で最も活動的な場所なのである。そのために、今でも地震や火山活動が頻発している場所なのだ。
 では、日本列島から一つを選んでみよう。北海道の辺りはどのようにしてできたのだろうか。これを説明するものに、プレートテクニクスの理論がある。この中で、4つのプレートのうち、ユーラシアプレートと北米プレートの境界は、現在は日本海の東側に列島に沿ってある。けれども、かつては今の北海道を縦断する位置にあった。それが、両プレートの衝突によって北海道の土台がつくられたという。仕組みはこうだ。東側の北米プレートが、西側のユーラシアプレートに衝突して、めくれ上がるように乗り上げた。それでできたのが、現在の北海道の日高山脈である。その際、激しい衝撃がプレートの一番下にあったマントルの一部を地表に押し上げ、かんらん岩の山・アポイ岳をつくり上げた。
もう一つの地殻変動の原理が、「付加体」と呼ばれるものだ。再び、プレートに登場してもらおう。ハワイ諸島に見られるマグマが地表近くに浮き上がってきているところ、ホットスポット上につくられた火山島のまわりには、次から次へとサンゴ礁が発達していった。それらの死骸の殻などが海底に降り積もっていった。これらは、太平洋プレートに乗って年に10センチメートル位の速さで西へと移動していく。ハワイからミッドウェー、カムチャツカまで一列につながるサンゴ礁や海山の列は、そうしてできた。
 これらの岩石は、海洋プレートに乗って次々と北上しつつ、海洋プレートが海溝から沈み込むところに次から次へと到達していく。されらの岩石がぶつかる時にその一部がはぎとられて、大陸から供給された泥や砂とともに、次々と大陸側に付け加わっていった。このようにしてできた地質体を、付加体と呼んでいる。およこのようにして、今から1億4000万年前頃のジュラ紀の終わりになると、これらの大陸に付け加わった地層は、プレートに押されながら隆起し、陸地となった。地質学では、このときの変動を「ジュラ紀変動」と呼んでいる。
 岩石がプレートに乗って大陸近海まで来るのに、どのくらいの時間が掛かったのかと言うと、ざっとハワイと日本との距離は約6400キロメートルを年間移動距離の約10センチメートルで除して太平洋プレートの大雑把な移動速度を割り出す。すると、ハワイのサンゴが石灰岩となったものや、「チャート」といって石灰岩と同様、「放散虫」(ほうさんちゅう)と呼ばれる生物の殻などが堆積したものが日本列島までに来るには、約6400万年かかる計算だ。そこで付加体とは、海洋プレートに運ばれてきた石灰岩やチャートが大陸プレートの下にもぐり込むとき、その表面の層がはぎとられて大陸プレート上に押し付けられたものだ。これができる海溝では、大陸側から流れ落ちてきた砂岩や泥岩とごちゃまぜになり層として連続しないばらばらの地層をつくっていく。これが「メランジュ」と呼ばれる。ちなみに、アポイ岳ジオパークの石灰岩は、岩石中に含まれている放散虫の化石から、約2億2000万年前にできた。つまりは、海洋プレートが沈み込む日本列島は、付加体によってその土台がつくられたというのだ。
 さて、ジュラ紀末に陸化したであろう日本列島は、その前の古生代の昔から、その後の新生代中新世になって日本海ができるまで、長らく東アジア大陸の一部を成していた。この間の列島の有様、その変化については、興味深いことが色々とわかっており、ここではその中から一つ、現在の岡山県西部、川上郡の町であるところの大賀(たいが)地区では、日本列島全体でも珍しい、古代の地形が見られる。その名を「大賀デッケン」というが、地質学では、地層が切れた際の衝上面と水平面との角度が40度以上である場合を押し被せ断層と呼び、それ以下の低角度をデッケン(Decken)あるいはナッペ(Nappe)と呼ぶ。
 ここに大賀という土地名は、地名で滝がある「大竹」と、「仁賀」とを併せた由来となっているらしい。その大賀から徒歩2~3分の距離で仁賀の家並みがある。道は、岡山県道294号線を辿って現地にさしかかる。この場所には、領家川が流れている。この川は成羽川の支流であって、領家川流域の吉備高原に位置するところだ。
 現地の着くと、案内板が立っていて、こうある。
 「天然記念物 大賀の押(お)し被(かぶ)せ(大賀デッケン)、昭和12年6月15日国指定海流や河川流によって運搬された土砂などは、その運搬作用が止むとき堆積し、地層を形成する。一般に地層が上下に積み重なるとき、上に重なった地層は下にある地層よりも新しい。ところがこの大賀地区では中生代の三畳紀(約2億年前)に堆積した新しい地層(成羽層群)の泥岩・砂岩の上に古生代の石炭紀・二畳紀(約三億年前)に堆積した古い時代の石灰岩層(秩父古生層)が重なり、新旧の地層が逆転した「押し被せ構造」となっている。
 このめずらしい地質構造は中生代の白亜紀(約一億年前)に起こった大規模な地殻変動によってできたものである。このとき地層は横からの大きな力で押されて、上にふくらみ、さらにふくらんだ部分が倒れこんだり(横臥褶曲)、ずれたり(衝上断層)し、そのあと上部の地層が削られ、その結果残った部分が現在の姿となっているのである。
現在も、この石灰岩層と泥岩層との境界部は河床に明瞭に見られる。この露頭は大正12年東京大学の小澤儀明博士によって発見された。
 なお、以上の説明とは別に、秩父古生層は隆起して浸食を受けさらに沈降し、その後この地層の上に成羽層群が堆積したという考えもある。
 文部省 岡山県教育委員会 川上町教育委員会」(現地案内板より)
 ここにあるように、中生代三畳紀(その中のざっと約2億年前と見られる地層)の泥岩、砂岩の地層(成羽層群(なりわそうぐん)といって、現在の川上町)の上に、古生代石炭紀ペルム期(ざっと約3億年前)、二畳紀の石灰岩の地層(秩父古生層)が覆いかぶさって、地層の逆転がおこっている。
 「このとき地層は横からの大きな力で押されて、上にふくらみ、さらにふくらんだ部分が倒れこんだり(横臥褶曲)、ずれたり(衝上断層)し、そのあと上部の地層が削られ、その結果残った部分が現在の姿となっている」というのであるから、その原因となった中生代の白亜紀(約1億年前)に起こった大規模な地殻変動の、より詳しい解明が期待される。
 ここに中生代三畳紀というのは、中生代を三つに分けたうちの第一の時代をいう。英語名がTriassic systemといって、現在から約3億4800万年前に始まり、約2億1300万年前に終わる約3500万年の期間を数える。1834年年にF.A.vonアルベルティが南ドイツで三つの堆積条件の異なる地層群が重畳していることから、こう名づけられた。
 もう一度、振り返っておこう。今からざっと1500万年前、この後日本列島になる部分が大陸から分離し始める。それから更に時間が経過していった。今から600万年前頃までの間にも、日本列島の周りからには3つものプレートが地球内部へと沈み続けて来たのであろう。その地球内部への沈降しているところで、海面下の火山活動が盛んになる。そのことで火山が沢山できて、溶岩や火山灰などが沢山降り積もり、地質学の用語で「付加体」を形成していた。そのことにより、日本列島になってからも、その土台は形成され続けているとみられてよい。ちなみに番組によると、その時の有様を現代に伝える地層としては、中国地方においては山口県に秋芳洞があって、その洞窟内で珊瑚礁の化石が発見されている。つまりは、石灰岩の厚い地層をつくっていった。生物化石が含まれるということは、この地においてその生物たちが生きて活動していた「地質時代」を示しうる。地質学では、それを特定する石を見出して、それに「示準化石」(しじゅんかせき)の名を付けているところだ。
 日本列島のそれからについては、どうなっていったのであろうか。これについては、2017年6月、独立行政法人産業技術総合研究所の地質研究チーム(高橋雅紀・主幹)による新説が発表された。『日本列島の成り立ちから見た関東平野の基盤構造』(インターネットで配信のもの)に、研究の要約がある。それには、大雑把に、1900~1500万年前に、日本海が拡大したことで、日本列島がユーラシア大陸から分離した。1500万年前には、今度はフィリピン海プレートの沈込みにより、日本列島を形づくる岩盤に「強い圧縮変形」が生じる。後者は日本列島の南にあって、当時から年3~4センチメートル北西に動いていた。
 そこで、この両者の動きの方向の違いにより地層・地殻の「ずれ」が発生したのを、この「ずれ」を埋めるため、日本列島の東側にある日本海溝が年1~2センチメートルずつ陸側に動いたのだという。もっとも、これは地質模型を使っての推論であるようで、自然の中からの確たる証拠はまだ提出されていないように感じられる。
 それから1000万年以上にわたって、地殻の沈降それから隆起が発生した。これにより陸からの土砂などが浅海域に堆積していくことで、後期中新世になると新たな陸地が広がった。さらに今から300万年前には、強い東西からの圧縮応力が加わり、それが逆断層運動に連なることで従前からの山地は隆起する一方、山間盆地や海岸平野は沈降していった。その結果として、全体的に起伏に富んだ地形が広がった模様。先の阪神淡路大震災や新潟県中越地震を引き起こした地殻変動を巡って、その原因が従来考えられていた太平洋プレートではなく、南海トラフを形成するフィリピン海プレートの動きにあるとしている点でも、目新しい。

(続く)

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