『55』『岡山の今昔』瀬戸内の幸多し

2016-12-07 20:10:09 | Weblog
『55』『岡山(美作・備前・備中)の今昔』瀬戸内の幸多し

 さてさて、瀬戸内地方の岡山(日生から笠岡くらいまでの山陽道及び瀬戸内沿岸)のあたりの幸は、種類、数とも実に多くある。まず陸の幸から始めると、岡山ならではのものに果物栽培がある。わけても、玉島(現在の倉敷市玉島)や船穂町(高梁川の西岸に広がる)では、桃やマスカットなどの果物栽培が盛んである。花の栽培も盛んで、春から夏にかけては、ゆるやかな傾斜の丘陵地には、スイートピーの鮮やかな色がふんだんな光を浴びて輝くのであろうか。マスカットを搾り取った白ワインも製造されているとのことで、岡山の果物王国の中心地となっているところだ。葡萄や花の他にも、桃の栽培にも歴史がある。明治以前から在来種による栽培が続けられていた。そこへ1876年(明治8年)に中国から「天津水蜜」、「上海水蜜」が導入される。官業試験場でそれら新品種の試験栽培が始まり、やがて本格的な栽培に漕ぎ着けたのだと伝えられる。なぜ、岡山で桃栽培が根付いたのかは、このあたりの温暖な気候と関係が深いらしい。気候については、玉島のあたりは、日本でも一年を通して有数の晴れの多い日と聞く。恵まれた気候風土と長年にわたり蓄積された先人たちからの栽培技術の向上が積み重ねられてきた。これらにより、「白鳳」(はくほう)や「清水白桃」などに代表される白く美しい桃が開発され、今では日本屈指の桃の産地となったことが窺える。ただし、その価格は2015年夏の時点で桃果1個が2百円以上もする。これだと、産地からの送りもので貰わない限り、庶民の口には相当に入りにくいのではないか。
 では、海の幸はどうなっているのだろうか。岡山沖の海では、昔から現在に至るまで、瀬戸内の魚や貝、海草などが沢山獲れる。その当時の絵図の幾つかを拝見すると、確かに、かつての岡山沖(東側からやって来て吉井川、百聞川、旭川、笹ヶ瀬川、高梁川の河口部)に口をあんぐり開けて待ち構えているかのような形の島が描かれている。島の大きさを大きく見せている絵図があるかと思えば、そうでなく遠慮がちに海に浮かぶ小島に描かれているものもある。歴史を紐解くと、それなりの干拓の始まりとしては1618年、現在の倉敷市西阿知から粒浦辺りであった。この時の干拓により児島は、陸続きの児島半島となった。西側の端は阿知潟(あちがた)、東側は入海としての「児島湾」になった。その後の1692年から1824年までは、まるで取り付かれたかのように、主に新田を求めての、沿岸領主たちによる干拓が相次いでいく。岡山藩でみると、岡山市沖新田・興除新田の干拓が続いたことにより、江戸時代の初期(寛永)から末期(慶応)までの約240年間に約6800ヘクタールもの土地が造成された、と言われる。
 江戸時代の海岸線のイメージとしては、古地図に頼るしかないものの、江戸中期の文人画家で知られる池大雅(いけのたいが、1723~1776)も、ここに来て、一服の絵を描いている。「児島湾真影図」(99.7センチメートル×37.6センチメートルの絹本着色)という絵は、40歳代の半ばに友人の韓天寿と共に、山陽のこのあたりを旅したときの作品だと推測されている。自由気ままな旅人としてこの地に来た際に、一気呵成に描かれたものだろうと推測される。そこで当時の児島湾だが、岡山の浜から南に、湾曲した島があり、「児島」と呼ばれていた。そこで絵を拝見すると、児島湾を囲む半島部分の一角であろうか、小高い山が重なるようにして、海へとせり出している。岩肌がもこもこ向こうに伸びている。これだと大雅は、山陽道から南下して海岸の、とある出っ張りというか、描かれている小高い山の手前にまで身をせり出し、その向こう越しに瀬戸内の海を眺め渡したのであろうか。実景は、この絵の通りであったのかどうか。その後の干拓で失われてしまっているので、なんとも判断がつかない。ともあれ、向こう側には四国の山なみが、山の手前には家が描かれていて、ほのぼの海に浮かんでいる舟ともども、漁師の営みなども感じさせる、逸品に違いない。
 そんなこんなで、このあたりの海辺は、行き交う人もかなりであったろうが、土地の人々の生活の場でもあった、このあたりに住む人々は、目の前の海で穫れた具材を、昔からいろいろな郷土料理に取り込んできた。新幹線の岡山駅の駅弁売場を覗いてみると、色鮮やかに飾った料理が点灯にズラリと並ぶ。新幹線を利用する度に、弁当の種類が実に多いことに驚く。その中に、「祭り寿司」の弁当がある。別に「祭り」でなくても、桜でんぶなどて箱の中のご飯を綾取っているので、まばゆいばかりで、見ているだけで心が浮き浮きしてくる。これと良く似ているというより、同じものの別名ともおぼしき郷土料理に、江戸期の始めから岡山地方の家庭料理となっている有名な「岡山ばら寿司」(他の地方のばら寿司を区別するため、「備前岡山ばら寿司」と呼ばれることもある)がある。こちらは駅弁のために開発されたのではなく、江戸期から町屋かつて池田光政が岡山城主であった時代、「町人の食膳は一汁一菜たるべし」との倹約令が出された。ところで、岡山の町人達はこれに真っ向から逆らうのではなく、表向きはこの命令に従っているように見せかけて、「実をとる」作戦に出た。
 このばら寿司の作り方は、まず沢山の具を用意しておく。NHK「美の壺・選・すし巡り旅」(2015年4月放映)で紹介された、ある主婦が作るその寿司は、広げると、びっしり詰まったカラフルな色がまばゆいばかりだった。美しさでも人を引きつけるだけの魅力を持っている料理だ。この例によると、二十四種類にも及ぶ。江戸期にどうであったかは教えられなかったが、しいたけやれんこん、ふきやきぬさや、菜の花、そら豆などは当時でも比較的安価で調達できたのかもしれない。いまでは仏教などの催し事で精進料理が出されるのは稀だが、寺で修行するお坊さん達の食事には高野豆腐がよく入れられる、それがこの寿司にも入っているとは知らなかった。
 このばら寿司の主役は鰆(さわら)や蝦、穴子などの魚類であって、こちらは、当時は町人でも、普段は裕福な家庭しかそろえることができなかったのかもしれない。重箱の一つを用意しておいてから、最初に重箱の底にそれらの具を載せていく。錦糸卵、しいたけの煮しめかられんこん、鰆、あなご、ふきなどを置き、その上にきぬさや、菜の花、蒸し蝦などを順次に置いてから、その上に具が見えなくなるように酢飯を重ねる。こうすると、役人がやって来ても、「はい、このとおりの質素な飯でございます」と言い逃れることができた。食べる時は、これを逆さに大皿に受けて本当の表を出汁、きらびやかにしてからいただくのだそうだ。このようなエピソードがどれだけ通用したかは知らないが、権力に屈しないという岡山町人の心意気、そして春のおとずれを綾ることで食の楽しさを大事にしようという心意気には脱帽するしかない。
 岡山に来たら是非「食べてみられえ・・・」(方言)と土地の人に勧められる「特産寿司」は、他にもいろいろある。岡山沖で穫れる小さめの魚といえば、ママカリではないか。この魚は、和名をサッパといい、体長は十センチに満たない、ちょと小さめから、十センチはあろうかと見える中くらいのものまで寿司ネタになっている。その背が緑黒色、腹が銀白色のコノシロとか、コハダに似た魚だ。学者によって、この魚をイワシ科に入れる人とニシン科とする人で意見が分かれるらしい。ママカリが棲息しているのは汽水域で、五~七月ごろ産卵期を迎えて内湾に集まって来るとのこと。元々は南日本から朝鮮半島南部の南海に分布していたのが、最近は温暖化の影響なのか、新潟あたりの海でも出荷できるほどの量が穫れるようになっているのかもしれない。
 岡山産のママカリは、午窓、日生、下津井、笠岡のみならず、今では埋立ての進展で海からかなり遠くなっている児島や岡山のあたりでも、漁師の網にかかっていたらしい。ままかりは、暑い日中は藻の中にいて、夕方近くになると藻の外に出て群れをなして泳ぎ回り、さらに、太陽が沈む頃には大群となって沿岸近くの浅瀬までやって来る習性があるらしく、陸岸よりの海域の海面近くに浮刺し網き網を仕掛けて引き揚げていたのだという。ところが、倉敷の水島灘などの工業地帯が近いところでは、船舶の往来が激しいため、安全の観点から戦後5年目くらいからしだいに制約を受けることになって来た。代わりに、安全にはほど遠い、船舶の常用航路付近で操業する漁船も見られるようになっている、とのことだ。
 このママカリを使った郷土料理には、そのままこんがりと焼いたり、2枚にして甘酢に漬けたり、さらに刺身にして食べることもあるのだろうか。とくに有名なのがママカリずしで、駅弁への登場は、1982年(昭和57)年ともいわれる。長方形の容器の中にママカリのにぎり寿司を並べたシンプルな駅弁ながら、ママカリの鱗をそぎ、尾を残して頭とはらわた、そして骨をはずして開いてある。古くは、ママカリの押しずしも作られていたようだ。これは升型の木枠の底に葉らんを敷き、その上にすし飯を置いて、ママカリの酢漬けをのせ、さらに葉らんを敷く。これを交互にくり返して強く押して四~五日おいてから食べていたらしい。
 さらに最近の岡山駅で弁当売店に出されているものに、「あなご寿司」、それに「はも寿司」、「蛸弁当」などもあるようで、昔からの料理方法とともに、これらの海産物の水揚げが岡山の海のどこらあたりであるのか、是非知りたいものだ。

(続く)

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