(360)『自然人間の歴史・日本篇』持株会社の解禁

2016-09-19 18:05:24 | Weblog
(360)『自然人間の歴史・日本篇』持株会社の解禁

 1990年代後半の独占禁止法の大資本よりの改訂について、丸尾(筆者)はこう紹介したことがある。
 「97年6月の独占禁止法の改正で、それまで禁止されていた純粋金融会社が解禁されました。これに至る経過は概ね次のようなものでした。
 95年12月、公正取引委員会の研究会が「部分解禁」の報告書を纏めました。
 96年1月中旬、公正取引委員会が「部分解禁」の当初案を自民党に提示しました。
 96年1月下旬、公正取引委員会が「原則自由」の修正案を発表しました。
 96年2月、与党(自民党、社会党、さきがけの3党連立内閣の面々)がプロジェクトチームを発足させました。
 96年4月、連合、日経連、日本経営団体連合会が労使スタディチームを発足させました。
 96年6月、与党が、持ち株会社の解禁をひとまず断念しました。
 96年10月の総選挙で自民党が勢力を示威維持。これにひきかえ社会党改め社会民主党は議席をへらしました。なかでも「部分解禁」を主張して自民党と対峙した社民党の多くの議員たちは政界を引退したり、新興勢力の民主党へ移籍していきました。こうして「原則自由」論が優位になっていったのです。
 96年12月、労働省の研究会が「あたらしい法的問題はない」との報告書を発表。連合は、持ち株会社と子会社の労働組合との関係等をめぐって納得せず、労働関連法の改正を求めました。
 97年1月、公正取引委員会が「原則自由の政府案」を作成。与党の独占禁止法協議会に提出しました。この後は、持ち株会社解禁へ動き急の感を拭えません。
 そして97年12月15日には持ち株会社の設立等の禁止の解除に伴う金融関係法律の整備等に関する法律案、銀行持ち株会社の創設のための銀行等に係る合併手続きの特例等に関する法律案を可決、成立しました。98年3月の金融持ち株会社の解禁によって、独占大企業はコングロマリットを形成する道を開かれたのです。
 99年4月の大和証券の持ち株会社化が先鞭を付けました。本体を持ち株会社化することで、法人向け部門やデリバティブ(金融派生商品)部門を分社化する手法を取りました。」

(続く)

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