『美作の野は晴れて』&『自然と人間の歴史・世界篇』&『自然と人間の歴史・日本篇』&『岡山(美作・備前・備中)の今昔』

自分史と、世界史と、日本史と、岡山の民衆史です。『自然と人間の歴史・世界篇』と『自然と人間の歴史・日本篇』は全面改訂中。

(271)『自然と人間の歴史・日本篇』高度経済成長へ

2017-08-09 10:28:08 | Weblog
(271)『自然と人間の歴史・日本篇』高度経済成長へ

 当時の日本は、すでに「神武景気」(1954年(昭和29年)11月~57年(昭和32年)6月」と呼ばれる、初っぱなの高度成長期を通り過ぎていた。1953年(昭和28年)~1960年(昭和35年)、岡山の南部、水島、児島、玉島の地に水島臨海工業地帯の本格的な造成が始まった。県当局(県知事は1951年に推進派の三木行治が就任)の旗振りで2503ヘクタールもの工業用地が確保された。続く1961年(昭和36年)~1966年(昭和41年)には、自動車、石油化学、製鉄といった当時の最先端産業が進出し、過ぐる日の京浜、阪神、北九州、中京の工業地帯におけるのと同じように、我が国有数の臨海工業地帯として産声を上げた。
 これらの重化学工業化が展開されることにより、1956年(昭和31年)度の『経済白書』(経済企画庁)は、つぎのような奇抜な指摘で国民を鼓舞した。
「回復を通じての成長は終わった。もはや戦後ではない。今後の成長は近代化によって支えられる。それは経済成長率の闘い、生産性向上のせり合いである。幸運のめぐり合わせによる数量景気(注:物価が上昇しなくても、取引量の増加で景気がつよくなること)の成果に酔うことなく、世界の技術革新の波に乗って新しい国造りに出発しなければならない」とある。
 ここにあるように、国内経済においては「もはや戦後ではない」と言われるようになり、未曾有の好景気ということで神話から名を取った「神武景気」(54年11月~57年6月)「岩戸景気」(58年6月-61年11月)、「いざなぎ景気」(65年10月-70年7月)が短い不況を挟んで続いていく。
 また、このような急激な経済成長は、同時に、戦前とは異なる形での政治腐敗を生み出していった。その代表例として、1954年(昭和29年)、第5次吉田内閣で起きた「造船疑獄事件」を紹介したい。
 1954年1月、外航船建造融資利子補給及び国家補償法の制定の請願、及び同法に基づく計画造船の割当てに伴う補助金と利子補給の受給(1953年度の計画造船(37隻445億円、うち財政融資266億8000万円)の適格船主選考に係るもの)を巡り、海運・造船会社が政界にカネをばらまいた贈収賄事件が明るみに出た。同法(前年に成立)は、国家資金を造船、海運界につぎ込む計画造船と、さらにその補助金の利子を格安にする仕組みを定めるもので、当時業績悪化に苦しんでいた造船・海運業界が国の助けを求めていたものであった。
 1954年1月の東京地方検察庁による山下汽船会社の家宅捜索が行われ、同社幹部2名と同社社長、それに運輸省官房長らが逮捕された。これが発端となって検察の手は政界に伸び、同年2月には衆議院が有田二郎(自由党副幹事長)の収賄による逮捕許諾請求を期限付きで認めたほか、衆参両院で4人の議員が逮捕された。与党(吉田茂首班内閣)である自由党幹事長佐藤栄作に対しても、検事総長による逮捕許諾請求がなされた。しかし、時の法務大臣の犬養健は、指揮権(検察庁法第14条に基づく)を発動してこの請求を却下した。同年9月7日付け新聞各紙によると、衆議院決算委員会において、佐藤藤佐検事総長は、この件で政界に流れたカネは2億6700万円であり、佐藤栄作幹事長に対しては2件の容疑で逮捕状を請求した旨証言を行った。そればかりではない。答弁の中で彼は、「突然指揮権が発動された」、それから「どうして犬養氏が急に変わったのかわからない」といい、法務大臣に政治手圧力が加わった可能性のあることを想像させた。
これで同収賄罪での起訴を免れた佐藤幹事長であったが、その後政治資金規正法違反の容疑がかかり、逮捕・起訴されに至る。だが1956年、本人は日本の国連加盟に伴う恩赦にて免訴となったことで難を逃れた形となった。
 なお、この事件の公判時の検察側冒頭陳述については、もし国民がこのような状況を聞いたなら、すべてが怒り心頭に達するほどの、国民を著しく愚弄したものであった。詳細には、室伏哲郎氏により、次のように伝えられているところだ。
 「1953年3月14日の衆議院解散の直後、佐藤(栄作自由党幹事長)は船主協会総務委員長俣野健輔に会い、船主協会からの寄付を懇請した。同協会では、政府の海運助成策推進のためには自由党を援助する必要があると考え、3月20日同協会会長浅尾新甫と俣野が自由党本部を訪れ、佐藤に現金1000万円を手渡した。佐藤はこれを総理官邸に持参し、秘書官に渡したが、寄付金の受入については、自由党会計責任者の橋本に対し明細書を提出しなかった。外航船舶建造融資利子補給、同補償法案が第16国会で成立、公布された53年9月15日前後、佐藤は俣野にさらに1000万円の寄付を懇請した。同協会では、第9次前期以降の計画造船による新造船の船主より特別経費分担金を徴収、9月24日1000万円を俣野らが自由党本部に持参、佐藤に手渡した。この寄付も明細書を橋本に渡さなかった。森田汽船社長森田喜千八から53年10月ごろから受け取った寄付金200万円の明細書も渡さなかった。造船界では53年9月下旬、佐藤が日本造船工業会丹羽周夫に1000万円の寄付を懇請し、同工業会は10月下旬自由党に700万円、11月19日300万円を渡した。」(室伏哲郎「汚職の構造」岩波新書)

(続く)

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