(276)『自然と人間の歴史・日本篇』第二の黒船(石油化学)

2017-08-09 10:38:38 | Weblog
(276)『自然と人間の歴史・日本篇』第二の黒船(石油化学)

 石油化学産業の発展について、およその流れはこうである。
 「石油産業は典型的な装置産業であって、石油コンビナートという相互に関連する工場の結合体として臨海部に立地が拡大していきました。鉄工業とともに高度成長の花形産業と言われる所以です。1955年から70年の石油関連産業の生産量は10倍近くに増加しました。
 55~57年、通産省が「石油化学工業育成対策」を発表しました。
 55年、石油化学製品国産化への道開ける。ポリスチレンの国産化が始まりました。
 55~58年に第1期石油化学工業計画で三井石油化学、住友化学、日本石油化学、三菱油化の4センターが認可されました。
 57年、石油化学工業懇話会が発足しました。
 58年2月、石油化学産業の本格的発足しました。我が国最初の石油化学コンビナートが岩国・三井石油化学、愛媛・住友化学で完成しました。エチレンの生産が開始されたのに伴い、低密度ポリエチレン、高密度ポリエチレンなどの国内での生産が始まりました。
 59~64年、先発4センターの拡充計画と東燃石油化学、大協和石油化学、丸善石油化学、出光石油化学、化成水島の後発5センターの建設を認可。石油化学へのこの政府の介入は外資法に基づくもので、外国技術の導入は外資審議会が決定していました。それは資本自由化の前の措でした。
 59年、合成ゴムの国産開始。石油化学製品の生産額が輸入額を初めて上回りました。
 61年、ポリプロピレンの国内での生産が始まりました。
 64年、東海道新幹線や東京オリンピック施設の建設などでプラスティックの用途が拡がりました。
 64年に特振法の対象業種の予定であったが、法案が廃案となって立ち消えとなりました。
 64~65年、第3期、エチレン年産30万トン時代に入りました。
 65年、ナフサの輸入が始まる。石油化学製品の輸出額が初めて輸入額を上回りました。
 66年、エチレンの年産100万トンを超えました。
 67年6月、石油化学協調懇談会が新設のプラントについて「エチレン年産30万トン基準」を発表。30万トン石油化学プラント時代が始まりました。
 67年、プラスチックの清算が西ドイツを抜いて世界第2位になりました。
 69年3月、丸善石油雅楽がエチレン年生産30万トン基準による1号プラントが完成。全国ではエチレン年産200万トンを突破しました。
 70年、全国ではエチレン年産300万トンを突破しました。」(HP:丸尾泰司「戦後日本の政治経済社会の歩み」)

(続く)

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