(254)『自然と人間の歴史・日本篇』敗戦

2017-08-09 09:31:03 | Weblog
(254)『自然と人間の歴史・日本篇』敗戦

 1945年4月には、ソ連軍がウィーンとベルリンに突入する。4月30日にはヒトラーが自殺し、5月にはドイツ無条件降伏、「第三帝国」が崩壊する。ここにドイツは、ソ連軍の進駐した東と、アメリカ軍の進駐した西の東西に分裂した。1945年7月17~8月2日には、ポツダム会議が行われる。7月26日には、ポツダム宣言で日本の無条件降伏を要求、8月15日には最後に残っていたファッショ勢力の日本が無条件降伏し、第2次世界大戦が終結する。この日、昭和天皇裕仁による国民向けラジオ放送が流れた。彼は、今後予想される国民の苦難について、「たえ難きをたえ、忍びがたきを忍び」と呼びかけた。こうして昭和天皇は、連合軍と国際社会に対しては戦争責任を認める行いを認めたものの、自らの戦争遂行責任を語ることなく、また日本国民に対しては一切の謝罪を口にしなかった。この同日時点で、日本兵の数としては、内地に370万人、海外からの引揚者としての陸軍が296万3000人、また海軍が38万1800人(旧厚生省援護局調べ)となっていた。
 1945年(昭和20年)9月2日、米戦艦ミズーリ号の艦上で、ポツダム宣言に基づく日本の降伏文書の調印が行われた。連合国側は、連合国軍最高司令官のマッカーサーと、アメリカ・中国・イギリス・ソ連・オーストラリア・カナダ・フランス、オランダ及びニュージーランドの各国の代表が調印した(なお、この調印済み降伏文書の写真は、吉田裕編「戦後改革と逆コース」吉川弘文館、2004に収録されている)。なお、この式典には、日本からは政府代表の重光外相と、大本営代表の梅津参謀総長が参加し、署名した。
 ここでいう「ポツダム宣言」というのは、同年の7月に英米ソの三カ国首脳がドイツのポツダムに集まり、日本に参戦していなかったソ連(日ソ平和条約があるため)を除いて、英米両国が中国の国民政府の同意をとりつけて発布したものだ。この宣言には、こう書かれてあった(元の英文は、Posdam Proclamation,26July1945。現代訳は、例えば大下他編『史料が語るアメリカ』有斐閣、1989)。
 「千九百四十五年七月二十六日
米、英、支三国宣言
(千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ)
一、吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ
二、合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国カ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ連合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ
三、蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レサル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スヘク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スヘシ
四、無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国カ引続キ統御セラルヘキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国カ履ムヘキカヲ日本国カ決意スヘキ時期ハ到来セリ
五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス
六、吾等ハ無責任ナル軍国主義カ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序カ生シ得サルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス
七、右ノ如キ新秩序カ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力カ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマテハ聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ
八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ
九、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ
十、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ
十一、日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルカ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルヘシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルカ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラス右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルヘシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルヘシ
十二、前記諸目的カ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府カ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルヘシ
十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス」(出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊)による。
 当時の日本の鈴木内閣は、当初この宣言を黙殺する態度に出ていた、広島と長崎に原爆が投下されるに及んで、天皇が8月10日に受け入れを表明するに至る。ついに内閣は腰砕けになり、「国体護持」を期待して同宣言を受託する。なお、戦争の最高責任者(少なくとも当時の明治憲法下ではそうなるというのが通説)とされる天皇の決断は、『玉音放送』(ぎょくおんほうそう)として国民に放送された。その中では、国民に対する、国際的な見地からも耐えうる責任の所在と謝罪の吐露は見えなかった、と言わざるをえない。戦後70年を経た今日、尚もこれを「聖断」とみなして述べる向きがあるが、そんなことでは決して済まされないだけの事実の蓄積がその時既にあったのだ。日本の敗北が決定的になったのはその前年のことであり天皇、内閣・軍部ともそのことを認識していた筈であろう。かつ、この宣言が出されてからの日本が介在しての、内外の無辜(むこ)の民の甚大なる被害を思う時、そのような言葉の綾(あや)で昭和天皇を含めての戦争遂行責任を無に帰することは決してできないだろうし、それこそが私たちの世代が古今東西からの、歴史というものの検証に耐えうることに繋がるのではないか。

(続く)

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