(273)『自然と人間の歴史・日本篇』高度成長期へ向けて(外国貿易)

2017-08-09 10:33:11 | Weblog
(273)『自然と人間の歴史・日本篇』高度成長期へ向けて(外国貿易)

 日本の外国貿易においては、1959年頃までの我が国の貿易収支は大方赤字基調(輸出額に比べて輸入額が過多な状況)で推移していた。当時も決済の大方はドルで行われてい。だから、貿易収支赤字の場合はその分だけドルを調達しなければならず、その経済主体は国際金融市場で円を売ってドルを買わねばならない。その分だけ円が下がり、ドルが上がるという按配であった。といっても、直接の売買に携わるのは外国為替公認銀行に限られていた。輸出入に関して、外貨割り当てや輸出入の政府による認証が行われていた中では、取得した外国為替は同銀行に売却することを義務付けられていたのだ。海外への投資や、逆に海外からの民間借り入れなどの資本取引は当時極めて制限されていた。そのことから、民間による海外取引による外貨の売買は同銀行に集中する仕組みとなっていた。
 その同銀行には、外国為替の資産・負債残高の持ち高規制があって、そのプラスとマイナスの超過額は外国為替市場において売買され調整されることになっていた。そして、同銀行の上には通貨当局(大蔵省の外国為替資金特別会計と日本銀行、日本銀行は同会計の実務も含む)が座っていた。というのも公的な外貨資産はまず同会計が保有し、次いで同会計からの借り入れなどによって日本銀行が保有することになっていた。通貨当局はそれを流動性の高い資産で運用せざるをえず、もう一方では、IMF条約により、1ドルが360円の上下0.75%、357円30銭から362円70銭の間に維持されねばならない。それなので、その結果日本全体が保有する外貨資産あるいは負債の額は外貨準備高にほぼ一致することになっている。そのため、1959年頃までは好景気が続くと輸入もふえていたから、その分円が売られドルが買われる訳で、外貨準備高が綱渡りを強いられる事態もあって、「20億ドルの壁を割り込むと景気の引き締めを行う」というストップ・アンド・ゴー政策がとられていたのである。

(続く)

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